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浅草橋でフレーミング

これは一週間前くらいの、浅草橋の地下鉄ホームである。かなり自由でどうでもいい構図、どうでもいい写真で気に入っている。

小さい頃から何だか私って変わっている気がして、人とは違う気がして、みんなとわいわい楽しんだあと、すこし虚しくなったりするときがあった。その時は楽しいが、ふと一人になると、本当に楽しかったかな、なんて思ってしまう。楽しかったくせに、やっぱり行かなければよかった、と思うこともしばしばである。それで、浅草橋駅の椅子で突然ボロボロ泣き始めて、自分でも訳がわからないので、でも泣き顔はなんだか笑えたので、駅によくある謎の鏡で写真を撮ったことがある。鏡の四角の中に映った顔は、とても嫌そうな顔をしていたと思う。

それで、私というのは枠外のものである、ということをついに自覚したのであった。撮影者というのはフレームの中に収まらない方なので、フレームの中にいることに違和感を覚えるのは自然だと思う。自分が規格外であることを認識すると、楽になる。規格外なんだから、無理矢理に枠の中に入らなくても良い、ということを知ったのだ。

フレームというのは写真の枠に限ったことでない。あちらこちらにあって、私はフレームインとフレームアウトを繰り返しながらどんどん歩いていく。縦横無尽に東京を歩き回ることは、自由を謳歌していると言えよう。それで、目の前に来たこの電車に私はヒョイと乗ったわけだ。


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