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病める薔薇

佐藤春夫の「田園の憂鬱」の初版本を頂いた。1919年のもの、ちょうど100年前の本。印字がページの裏に写って、うっすらと前のページの字が見えるのと、触るとデコボコしていて、言葉は触れるものなんだと知る。

近所のヤマブキの咲く花がある家は、鬱蒼とした木や花に囲まれて、それはまるで「田園の憂鬱」に出てくるような家のようだと、私はすごく気に入っていた。しかし、その家は取り壊しが決まったらしく、日に日に緑の量が減っていき、ついにはやっと家の全貌が明らかになった。これまで植物に囲まれていて、どこが扉なのかもわからなかったし、階段があったことも知らなかった。

その家が明るみになる途中、ヤマブキに隠れていた一本の薔薇が、やっと日の目を見ていた。誰に見られるでもない場所にコッソリと咲き、私は不憫だと思ったが、薔薇は別に誰のためにでもなく自分の力で自然に咲いているだけ。美しいから見てくれと主張しない、その姿勢に私は魅力を感じる。大きな木が取り払われ、心もとなくチョコンと咲く赤い薔薇は可愛らしかった。次の日にはヤマブキも薔薇もなくなっていた。

大勢に見られることも、たくさん咲くことも、陰で誰にも見られずにたった一つだけ花をつけることも、同じ価値がある。それでも、やはりあの薔薇は不憫だと思ってしまうのは、世界に優劣をつけている私の心が貧しいからだ。

緑が少なくなった都会、今朝は曇っていて午後から雨の予報、春は終えようとしていて、憂鬱な季節への兆しを感じる。

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