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大学生というものについて

大学3年生になって直面したものは、未曽有の災害だった。


いま私は、人との接触をできる限り避け、外出も可能な限り控えた中でこの文を書いている。といっても、そこまで気が滅入るようなものでもない。もともとインドア体質なので、家に引きこもって読書をし、ゲームを楽しみ、ツイッターを眺めるのはそこまで苦ではないのである。

だが、自分以外に目を向けてみれば、惨事というほかないであろう。全世界の感染者数は150万人を超えた。日本国内だけでも、東京の感染者数は連日過去最高を更新し続けている。

それだけではない。大学生として一番身近にその脅威を体感するのは、大学のオンライン講義への移行や大学構内での学生活動の停止である。同時に、大学によって行われる課外活動も今学期はすべて中止に追い込まれてしまった。これで一番被害を被るのは新入生に違いない。

私の大学は少々特殊である。それゆえに、集まる学生もその特殊性にひかれてやってくる。その特殊性を担保する学生活動や課外活動が制限されれば、多少なりとも大学に対する興味関心が薄れるかもしれない。講義を受けているだけが大学生ではないのだから。

そのような状況で、私自身も最近あることをたびたび思うようになった。そもそも大学に入ったのはなぜだったか。大学を卒業して何をしたいのか。そのために何をするべきか。


どうして大学に入ったか

現代において、大学は学問の府という役割以上に、学生にステータスを付与する役割が強くなってきている。私もその例に漏れない。私は「海外で活躍したい」という目的のために大学に進むことを選んだ。

高校2年の冬、高校側のプログラムで、アメリカはサンディエゴに1週間滞在することになった。当時の私は陸上部で、規則が厳しかったために本当は応募するべきではなかった。陸上の成績が良くないにもかかわらず練習をしないことで、顧問になじられるのは明らかだったからだ。

それでも応募し、結局は合格した(同じ陸上部で成績優秀な女子も参加したことは不幸中の幸いだった)。そして、サンディエゴでカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)を見学することになったのである。

一言でいえば、私の大学観を完膚なきまでに破壊する体験だった。雲一つない青空の下、どこまでも広がっているのかと見まがうほど広大なキャンパス。巨大で整然とした研究棟や図書館。何より、多種多様な服装、髪形、体格の学生たち。どれをとっても、私が想像していた『大学』とは異なっていた。

私が想像する大学とは、もっとこじんまりとしており、どちらかといえば閉鎖的なイメージが強かった。早稲田大学や青山学院大学を見学した際に同じようなイメージを抱いたのだが、UCSDはそのどれとも違っていた。

だからとても驚き、同時に「こんなところで学べるならどんなにいいだろう」と思ったのである。

それ以降、私の大学選びの基準は「どれだけ海外に近づけるか」に変わった。ある意味この選択は逃げであったし、胸を張れるものではない。いずれにせよ、このような基準に最も適合していたのは私が今在学する大学であったのだ。

今にして思えば、なんとも即物的な理由である。もう少し高潔な理由を用意しておけばよかったと思うが、詮無いことだ。


大学を卒業して何をしたいのか

永遠にモラトリアムを続けることはできない。大学を卒業した後は就職をして、人生の大半を社会の中で労働に捧げる必要がある。私としても親のすねをかじり続けたいわけではないので、将来に思いを巡らせてみることにする。

だが、さっぱり思いつかない。昨今の就職事情が厳しいことや、特にアカデミアにおける労働市場が縮小し続けていることだけではない。単純に、私自身が社会の中で武器としうる能力がわからないからである。

これまで人に貢献することがなかった人生の中で、いきなり自分で食い扶持を稼いで、社会の中で生き残るための能力を見いだせていない。これまであらゆる競争で負け続け、最後に残った勉学のみでここまで生き残ってきた。そこに後悔は微塵もないが、逆に言えばその潰しのきかなさは就職において著しく不利に働く。自分の長所すら満足にアピールできない人間をだれが雇いたいと思うだろうか?

ならば、この勉学を極めるしかない。だが教師ではなく、せめて社会へ何かを提起し、新たな知を生み出す職に就きたい。ならば研究者か。しかし研究者として生き残るためには途方もない努力と、人脈と、一定のスキルが求められる。それを果たして身に着けられるのか。どんなに良くても博士課程修了前に。

だが、「こうなりたい」と思えているのはまだ問題ではないかもしれない。


将来のために何をするべきか

目標を設定するよりもその目標を達成するほうがはるかに難しい。そういうわけで、「海外で活躍する」研究者になるには何をすればいいのだろうか。

どんな大学で、どんなことをしてきたかが問われるのは至極当然のことである。そのようなわけで、世界的に著名な大学院の入学基準を調べていくと、推薦状と英語能力と志望理由書が大きなウェイトを占めている。この時点で、英語を少なくとも流ちょうなレベルで使えるようになり、推薦状を書いてもらえるよう大学にいる時点で努力する必要がある。

問題は大学院に入った後で、修士までなら単位をとるのみで取得できる大学院もある。だが博士を取得するには博士論文を執筆してそれが認められる必要がある。国際的なジャーナルに自分の論文が年何本載ったか、という基準を設ける大学院も多い。自分の力を常に証明し続けるプレッシャーと、実際的な仕事量に耐え続けられるか。

最後に、大学院を出た後である。修士で終わるにせよ博士課程まで進むにせよ、最終的には就職先を見つける必要がある。そのために研究の傍らで人脈を広げ、少しでも自分の有利になるように人と交流するべきである。私が最も苦手とする分野だ。

このような課題がすでに見えている。実際にこの道を進もうとしたときには、もっと多くの課題が見えてくるであろう。「それでも進みたいか?」「みんなと同じ道に行けば、まだしも課題は少なくて済むかもしれないぞ」という誘惑は尽きない。正直なところ、さっさと就活のための準備を進めてしまえば楽なのだろう。


最後に

それでも、私には勉学を極める道しか見えない。それしかできないし、それが一番私にあっているからだ。たとえどれほど課題が多くとも、課題が見えているだけまだましである。

打算的な理由もある。このような課題をこなす過程で得た、語学力や研究のためのスキル自体は、道半ばで力尽きたとしても無駄にはならない。それらを活かして生きのびる道もまだ残されていると思える。少なくとも日本は、そのような働き口には(労働環境を度外視すれば)困らないであろう。

だが根本的に、海外に対するあこがれは高校3年生のころから全く変わらないのである。日本にいるよりも、世界を飛び回るほうが自分の知らないことをより多く知れる。この知識欲のために、私は日本の外を志すのである。


この災害が収束したら、次はどの国に行こうか。それまで何を学べるだろうか。興味と関心は尽きない。

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