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将来起業したいと思ったときに踏み止まるためのノートだよ。

このノートは
将来起業したいと思っている人を
少しでも手助けするためのノートです。

僕の主観が
多大に入っています。
夢を挫く内容もあると思います。
お気をつけを!


起業家と持て囃され
大学生起業家や、週末起業家が
生まれては消えていきます。

起業したい!という気持ちだけでは
なかなか続かないものです。

それは金銭的な問題だけではありません。
モチベーションを保つのが至難の技。
どんな壁があるのか少し話してみます。


創業期(社員5名ほど)

会社を立ち上げて最初の仲間を見つけるのはとても大変です。いわゆる創業メンバーなのですが、志を共にするメンバーである必要があります。
でなければ、ただの創業期からいた、ただの社員になってしまいます。今後起こるであろう問題にみんなで対処することが出来ず創業社長の孤立が必ず起こってしまう原因になるでしょう。

社員として採用すると雇用保険や健康保険、厚生年金など会社としての社保完備を進めることになるのですが、創業メンバーは売り上げを把握していることも多く、この社保に対して支払われる金額を丁寧に説明しなければ、社長のポケットに入るお金が多くないか?など離反の元となります。出来ればみんなで納税まで進めるほうが後々の問題のタネにはならないでしょう。
これを社長一人でやることで孤立へと繋がっていってしまうのです。

最初の拡大期(社員20名ほど)

まだ、皆んなで社員旅行へ行っていました。一年に一度ほどでしょうか。箱根や、熱海、草津など温泉やスノボにと楽しんでいました。
会社ではなく研究室のノリでした。この頃に皆んなではじめての受託開発を請けて泊まり込みで開発。皆んな現場仕事も持っていたので、現場が終わっては事務所に立ち寄り、朝まで徹夜で頑張ったものです。

新井、西山、千田、江口、清野、久保田、この頃の仲間を一番覚えています。家族よりも濃い時間を過ごした大切な仲間達です。

今となっては、誰もいなくなるとは思ってもいませんでした。会社の上場なんて考えてもおらず、みんな20代でスキル習得に貪欲。とにかく毎日徹夜が楽しく、朝に大戸屋で食べた朝食。息抜きに始めた麻雀が朝まで続き、何しに徹夜してたんだっけ?
そんな時間が今でも懐かしく思い出すと辛くもある時間です。

社員はメディアを使って集めたりもせず、友達が友達を呼んでくれる時期でした。

停滞期(社員40名から50名)

会社としては人数も増えてきましたが、拡大を急ぎ過ぎたこともあり、皆んなの心は離れていきました。一人一人と過ごす時間は少なくなり、新しく入ってきたメンバーはワガママばかり。
今までの会社のことを知ろうとはせず、目先の給与の良さにだけ執着していました。
スキルを身に付ける大切さよりも、やりたい仕事優先で不協和音が聴こえてきます。
会社のビジョンがしっかりしていなかったため、何を目指して集まったのか?僕らは何を目指しているのか?

僕が会社の方針を決めずに拡大を図ったことが唯一の失敗でした。

僕は彼らも含めて当たり散らす相手もおらず一人で模索を続ける日々でした。とにかく腹を割って話してみれば良かったと今では思います。

再生期(再び50人の壁をこえる)

失敗を払拭するために、僕は外部からの出資を受けることにします。簡単には行きませんでした。最初の出資まで一年を要します。

この間、通常の業務に加えて出資依頼のための検討資料作成に追われ続けました。家族はもちろん全てを蔑ろにして仕事だけに打ち込みます。

暗中模索とは言ったもので、出口は全く見えません。とにかく答えがないのです。既存事業は計画もなく育ってきたものであって、計画に沿って拡大したことがなかったのです。

現実的な計画なのか、誰が営業するのか、開発の指揮は僕が取り続けるのか、バックオフィスは?

様々な不安要素を忘れるためだけに、ただただ仕事に打ち込みました。その結果、無事に出資を取り付けます。そのお祝いは誰としたと思いますか?誰ともお祝いはしていません。労いの言葉もありませんでした。
ここまで会社はバラバラになっていたのです。
ここからが再生の始まりです。

バックオフィスの太田、人事の鴛海がジョインしてくれました。

初めての本当の仲間でした。会社経営の一部を全て任せることが出来たのは、この再生期の始まりでした。

太田は僕の継ぎ接ぎのバックオフィス体制の立て直しを図ります。
鴛海は僕の人事方針を汲み取った採用計画を立ててくれました。

それにより開発も完全に任せる余裕が生まれたのです。何もかも一人でやるよりも、誰かに任せたほうが臨機応変に動けると悟りました。

山本は、新規サービスの開発にあたって、僕が使えない言語をわざわざ選んでくれました。僕を開発から完全に外すためです。とても嬉しいことでした。口を出せない以上、任せるしかないんです。

その体制で一年が経過しました。
いまのメイプルシステムズはどう変わったでしょう。

経営陣は、それぞれの職責を担う人材へと成長しました。僕を含め責任を感じながら働いています。
社員数は既に100人の大台が見えています。
こんなにも会社が変わるんだと内部に居ながらにして一番驚いているのは僕だと思います。

起業はするもんじゃない

ここまで10年やってこれたのは運です。
何度も会社を辞めようと考えてきました。

僕はこんな人が欲しいと思ったときに、集まってきてくれるという運を持っています。

太田は複数社の経理、財務、上場準備などを経験してきた優秀な右腕です。

鴛海は前職まで人事畑を歴任しており、2000人近い組織の人事リーダーまでやっていた左腕です。

山本は開発からデザインまで足を突っ込んでいる僕の頭脳です。

こんなメンバーは集めようと思って集まるものではありません。

会社のステージが変わるときに、運良くジョインしてきてくれた人たちです。
運に左右される経営というゲームは全員が上手くいくわけではありません。ゲームオーバーが幾つも待っています。人生は簡単にリセット出来るものではありません。

将来、起業するのが夢なんです!
なんて一回考え直したほうが良い。
辛いことばかりで、そこに耐え切れる自信があるなら、初めてチャレンジするものです。

ってことを考えてた平成最後の年明けでした。
今年も良い年になると良いなぁ。

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