この街で、これよりもいい店を作れるような気がまったくしない!

雪は深く積り、新潟は松代から2つの山を小さな軽自動車で越えていくことは、ただただ怖かった。その間に、美人林と呼ばれる美しい木々が立ち並ぶ場所があったらしいが、そんなこと気づくわけもなく。車の後ろに2人の子供を載せて、「とうと、ホントに大丈夫?」と訊かれると、「あったりまえやーん!」と鼻歌を歌ってはいるものの、雪でタイヤ跡もなく、対向車がやってきたらもうどうしようもない細い山道をGoogle Mapだけを信じて(信じられないんだよなぁ)、目を泳がせながら越えていく。

山を越え、広い道に出ると雪はやんでおり、チェーンを外そうと少し広い場所に車を停めると、そこは苗場プリンスホテルの前だった。FUJI ROCKのセレブたちが宿泊するホテルということだけは知っていました。「ほー、こんなところでFUJI ROCKってやってるんや」とこれまでレーベルのアーティストが何回か出演しているにもかかわらず、一度も行ったことがなかった自分を少しだけ悔やみつつ、このさきもきっと行くことはないだろうと車を京都に向けて飛ばす。中央道の方にはほとんど雪はなく、さっきまでの暗雲が嘘のように軽快な足取りで京都へとたどりついた。

京都に戻って、まずはどこに住めばいいのかを考えていた。かつては左京区、京都大学のちょっと南、東一条の小さな四畳半のアパートに住んでいたけれど、あのころの左京区とは少し雰囲気が変わってしまったように、10数年前くらいになんとなく感じていた。加え、今回は子供2人がいるわけで、なによりも子供の学校や生活を一番に考えて場所を決めて行きたいとも思ったり。たしかに、噂では、人気の御所南小学校に入るために、ちょっとお金持ちの方々はわざわざ校区に引っ越してきたりまでしているとの話しも聞いた。また、東山区では、公立なのに小中一貫に近い形で運営されていて、「5・4年制」でやってる学校もいくつかある、という情報もあったり。それはー、面白いなぁ、なんかええやん、と東山近辺の物件も視野に入れてみたり。

それとともに、自分は京都で何をやったらいいんだろう、とまだまだ悩み続けていたわけで、自分の技術と持ち駒を鑑みれば、できれば、「印刷スタジオ(hand saw press)とベジタリアンレストラン(なぎ食堂)の両方の機能がある自宅」というありえない条件の場所を探し始める始末。飲食が可能な居住物件自体少ないのに、そこで印刷スタジオをやるなんて! そんな夢のような場所があるわけがない! それ以前に、そんなお金、どこにもない!

一応、いくつかの不動産屋と連絡を取りあってみて、事細かに相談してみるものの、なんだか「うーん、まぁ、そういうのあるかもしれないですけれど、ちょっと、今は……(まぁ、あったとしてもいきなりの外様にはわたしませんけどねぇ)」と鼻で笑われてるような雰囲気。いかんいかん、心が負けそうだ。こちらの腹が座っていないのを向こうは気づいてるぞ。「京都はそんなに敷居低くはおませんよ〜」……ほら、京都の不動産屋っぽい笑いを浮かべてるぞ(完全に被害妄想)。

そう言えば、こないだ新潟の松代で知り合ったTさんが、「ホホホ座の松本さんが物件いくつか持ってるみたいですよ〜」と言ってたな。面識はないけれど一度行ってみよう。ホホホ座、浄土寺のあたりやったなぁ。あ、そういえば、浄土寺の近くに、元々ウチのレーベルから素晴らしい作品をリリースしている井上智恵さんが「喫茶イノ」なる喫茶店をはじめてたはず。元々大阪で生まれ育った井上さんが京都に移住してどうやったか、話しが聞けるはずやし、まずは行ってみよう、浄土寺。

喫茶イノは、浄土寺街道沿いにひっそりとあった。小さな民家を改装したその店は、マニアック極まりない井上さんらしい、こだわりにこだわった素晴らしい店だった。深い緑色の漆喰の表、店内は日本では売ってなさそうな美しい壁紙が貼られ、少ない席数ながら、一人でやるには十分すぎるほどの座席配置。「さっすがー。素晴らしー」と店に入るなり、思わず口をついてしまうほどいい場所。「あ、お久しぶりです! お元気ですか?」といつもの井上さんが笑う。以前の大阪の店舗で、カレーが強烈にうまかったのは覚えていたけれど、メニューを見たら面白そうなのがある。

「そしたら、この“精進ベジタリアン和セット”っていうの、いただけますか?」

基本、ご飯の写真を撮るのはあんまり好きじゃないし、上手く撮れないとお店の方にも悪いのでほぼほぼ撮らない。ゆえにこのときの写真はないんだけれど、とにかく、その心づくしの料理は、とーにかくめちゃくちゃ美味かった。もう、自分がベジタリアンの店を12年もやってるなんてことが口が裂けても言えないほど。もちろんどう作ってるかはわかる。ただ、そのバランスが恐ろしくいい。食べることが、とにかく楽しい!

「これ、もんのすごい、旨い! なんなの、これ。驚いた。すごいすごい」ととにかく大興奮。そして、それ以上に気づいたことがひとつあった。それは……

「知り合いが作るベジ料理がこーんなに素晴らしくて、かつこーんなに素敵な店が京都にあって。自分がこの街でこれよりもいい店を作れるような気がまったくしない!」ということだった。

じゃ、話は早い。京都でベジ屋をやるのは、ちょっとペンディングにしておこう。もちろん、自分は自分で料理を作ることは飽きているとはいえ楽しいし、料理自体は自信がある。レシピだって死ぬほどある。それがオリジナルかどうかは別として他の店には負けないつもりだ。

でも、でもね。「店」はそれだけじゃない。うまけりゃ、面白けりゃいいってもんじゃない。12年やってきて、それはわかってる。そんなことよりも細かい心配りや「こうしたい!」という思いのようなものが形になってくる。今の自分には、その気力があるとはまったく思えないのだった。

それじゃ、やるべきこと、いや、やれることはひとつしか残ってない。僕は、京都でリソグラフのスタジオをやるんだ、と。

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