何をする、何がしたい? いや、何ができる?

ずっと前から、東京を離れることは考えていたけれど、今、この街で背負ってるもの……店や家族……を考えると、そして、膿のようにたまりにたまったさまざまな出来事を処理するストレス、そして何かを新たに始める体力(だって52歳だぜー)を考えると、このままこの場所にいるしか方法はないな、と思っていたりもしていました。

ただ、状況は、そんなに甘くなく。

僕は何かを判断する時に、2つ以上、別の方向から何か惹き寄せられるような出来事が起こったら、それは必然なんだろうな、と思うようにしています。自分の意思で何かをしたい、っていうのはいつもなく、気づくといろんな流れに身を任せて、どんぶらこどんぶらこと流されてきたもの。それでとんでもない悪い流れになったことがないのは、ただただ運が良かっただけなのかもしれないけれど、今回も2つ、いや、ホントのことを言えば6つくらいのいろんな要素が、一気に自分に「も、京都へ行ったらええやん」と囁きまくってきた。ヒソヒソヒソヒソ……ヒソヒソ……うーん、じゃぁ、仕方ない。行くか。行くよ、いや戻るよ。分かったよ。わかーーった! 決定!

普段、動かないこと牛の如き自分だけれど、いったんギアを入れたら、動く動く。もう、何も考えずに、「とにかく京都に行って考えよう!」と。もちろん、いろんなつながりは今も残ってる。でも、そんな25年前の友人たちにべったり頼ることなんてできないし、新たに何かをはじめなければ、と。

ちょうどそのころ、新潟は松代で、デザイナーの秋山伸さんのedition nord.が主催するワークショップ&トークイベントが企画されていました。まつだい農舞台という素敵な場所で、秋山さんがセレクトした数々のハンドメイドで作られた本の数々と、そこに滞在しながら製作された「本」を舞台にした作品の数々が並ぶ。そこで、あの秋山さんとなぜか自分のような、“何者でもない”人間が、対談するっていうのだからちょいと可笑しい。もちろん「リソグラフ印刷を使って、自分たちの力だけで入り口から出口まで本を作る」人間として、話をさせていただいた。こちらの対談は当方のhand saw pressがリリースしているzineに詳しく掲載されておりますので、もしご興味がある方は、ぜひぜひ。

このイベントはとても刺激的なものでした。東京を離れて、自身の故郷でもある南魚沼という雪深き場所で、家族とともに自分の本当にやりたいデザインで本当に作りたいアートブックを製作し続ける秋山伸さんの立ち位置は、あらたな可能性を感じさせるものであり、もちろん、書籍・zine・雑誌・本……どう呼んでもいいけれど、印刷され製本されたモノの力というもの、そして自分が「(開店休業中だけれど)編集者である、編集者でありたいと願う」ということを再確認できたのでした。

そして、このイベントを前に、秋山さんのお手伝いで来ていたTさんを紹介される。聞けば、Tさんは現在京都に暮らしているらしく、書店を中心としたさまざまな複合施設(と呼べばいいのだろうか)、「ホホホ座」にて時折バイトをしながら創作活動を続けているとのこと。
「ホホホ座で働いてはるんですか。いや、実は、このあと京都に行くんですよ。ちょっと京都に住むことを考えてて」
「あ、そうなんですか。じゃ、もしよかったらホホホ座の松本さんに会ってみたらどうですか? なにやらいろんな物件情報も持ってるみたいだし」

ホホホ座はもちろん知っています。それをやってる元ガケ書房の山下さんには、10年以上前、ウチからリリースすることになったシンガー、長谷川健一君のCD-Rボックス・セットをガケ書房から出していた関係もあり、そしてもちろんそれ以前からなにやら京都で面白い動きをし続けている人として存じ上げておりまして。また、ホホホ座の山下さんと松本さんが編集・取材していた書籍「わたしがカフェをはじめた日。」に関して、同じく本を作る人間として少し思う所もあったりしたもの。ただ、日々の忙しさから、京都に帰っても、ホホホ座浄土寺店の前を通ることはあっても、中に入ったことはなかった。それ以前に、松本さんがどういう人か、まったく知らなくて、ちょいと不安で。噂では、ちょっと変わった方とも訊くし……ま、変わり者の自分が言うことではないか(笑)。

実を言えば、京都に帰って何をやるか、何を生活の糧にするかと考えたときに、まず「なぎ食堂」が頭に浮かんでいました。一応、東京で12年、毎日毎日料理を作り、数冊のレシピ本やエッセーも出版し、一応は人に知られるようなそんなヴィーガン食堂の看板を京都に持ってこよう、と。あと、やっぱり日銭を稼げる仕事は、たとえ厳しくともありがたいこともあり。でも、京都のベジ界のクオリティが異様に高いことも存じ上げていて。正直、東京でベジ屋をやるときにいろんな店を回ったけれど、「ココすごい!」と思うところはほぼなかった。確かに洒落てはいるしまずくもないのだけれど、味が凡庸というか、ぼんやりとしている感じがあって。値段も高いし。でも、京都で入ったいくつかのベジ屋は、観光客はもちろんだけれど、日常食としてのベジをベースに考えられている感じがして、お値段もおてごろ。かつ、ちょっとした店主の工夫が散りばめられていて、正直……勝てる気がしない(笑)。だって、僕はバッタもんだしさ。料理の修行なんてしたことないしさ(言い訳)、それ以上に、今、料理を作る情熱がね、ちょっと下がっちゃってるのですよ(あ、言っちゃった)。

料理を作るのはもちろん楽しい。それが「創作」ともなれば、もっと楽しい。ただ、毎日毎日12年も料理を作り続けてきたんだ。飽きるよ(笑)。それ以前に、自分が飽きっぽいのは自分が一番知ってる。楽しみながらできないのであれば、たとえ生活の糧としての魅力はあっても、毎日毎日、続けることができない。ガデム。

それでも、僕は2人の子供を育てるために、自分が生きるために、何かしらの仕事をしなくちゃならない。それはわかってる。それ以上に、去年から始めたリソグラフという機械を使った印刷スタジオhand saw pressでシコシコと印刷物を刷るという行為が、今、本当に楽しくて楽しくて仕方なくって。このhand saw pressは、自分を含めて3人で運営されているのだけれど、3人とも他の仕事を持っていることもあり、今はまだ仕事として毎日オープンすることはできない状況。だから、ここからまだ誰も利益を得ていない、というのが、このスタジオの現実。この場所とシステムを維持するために、それぞれが時間を作って仕事の印刷をする、という形になっています。

ただ、日本には、まだウチと数件しかないリソグラフのオープン・スタジオだけれど、世界に目を向ければ、北はバルト三国から南はアルゼンチンにいたるまで、このようなスタジオが600近くあるというのをご存知か? そして、それらのスタジオから、日々、面白いアート作品やzine、書籍、雑貨が産み落とされています。そんな世界が今楽しくて楽しくて仕方なく。そんな自身のリソグラフへの必要以上の愛とTipsを綴ったzine「わたしとリソグラフ」が、今まで3冊発表されている。こちらもご興味がある方はぜひ一度読んでいただければうれしい限り。かーなりマニアックですが(笑)。

そんなリソグラフスタジオを京都でやってみたい、と、新潟から京都へと向かう車の中、季節外れの大雪で、慣れないチェーンを付けて雪山を乗り越えながら、なんとなく考えていました。でも、そんなことできるのでしょうか? いやはや、どうなんだろう? 

それ以前に、この雪山を、果たして僕らは無事越えることができるのでしょうか(笑)?

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