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「作る」と「育てる」

「ものづくり」「まちづくり」
「子育て」「保育」

物事に対しては「作る」
生物に対しては「育てる」

そんな印象を持っていたし、実際にそういう使い分けをしていた。
目に見えて動くことはないが、生きている植物はどちらにもなりうる対象であるから、これを例に使い分けを考えてみる。

「育苗」と「苗づくり」
同じことでも植物、生き物にフォーカスすると「育」。
食物、商品という価値にフォーカスすると「作」。

これに当てはまらない言葉がある。
「稲作」

米作りはわかる。日本人の主食、米を生産して価値を生み出している。しかし、「稲」というのは、「イネ科」という植物としての分類があるほど、植物、生物に寄っている。しかしながら「作」を使う。

実際、「作る」と「育てる」という行為にはどのような違いがあるのか。

「作る」というのは範囲の広い言葉で、自由度が高く、五感で感じられるもの全てに対して使われる。そして、「作り手」という言葉があるように、主体がこちら側にある上で、形成することといえる。

対して

「育てる」というのは、対象、つまり、あちら側に主体があるときに使われる。「育て手」という言葉がないように、「育てる」というのは主体的な行為とは言えないのかもしれない。

再び、植物で考えてみる。
まずは、種を選んで自分で蒔いたとき、それが芽を出しさえすれば、すぐに枯れてしまったとしても育てたと言う。しかし、発芽しなかった場合は言わない。

次に、自生している植物。これは育てるとは言わない。しかし、周りの余計な草を取った途端に育てると言う。

樹齢1000年の木の周りの草を取ったり、枝を払ったりしても「育てる」とも「作る」とも言わず、「守る」や「管理する」と言う。

みえてきたのは、対象に主体性があると認め、その主体性が成就するように、行動を起こしてはいるが、直接働きかけることはないのが「育てる」のようだ。
種を選んで、まいた瞬間からそれに対して直接働きかけることはない。

触れたり、整形したりすることは「育てる」ではなく「作る」のようだ。
切ったり、吊ったり、裂いたりする盆栽は「作る」と言うし、果物などの摘果は、選ばれた対象をよりよく育てるための行為と言える。

つまり、意図があるかないかに関わらず、対象に直接働きかけた時点で「育てる」ではなく「作る」に寄っていく。
反対に、周りの環境を整えながら、対象が育っていくのを待つ行為を「育てる」と言っている。そして、どちらの言葉も、対象が影響を与えうる存在のときに使う言葉である。

子どもを育てると言っているが、それは本当に「育てる」だろうか。待つことを忘れて、主体を見誤り「教育」や「しつけ」と言う都合のいい言葉で、「作って」しまっていないだろうか。

「人づくり」なんてことを平気で言う人がいるが、そんなことができるのだろうか。「まちづくり」と言って限られた人が限られた空間で考えたことを実行しているが「人」や「まち」と「自身」の関係を考えて言葉を選んでみたらどうだろうか。
主体がどこにあると捉えていて、自分をどういう存在と捉えているのか。どう考え、どうしたいのかが透けて見えてきてしまう。

「作る」と「育てる」の違い、使い分けを考えていたら
どこに主体があるのかを見極め、対象にどうアプローチするべきか考えることになった。

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