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ちょうど今の時期学校での面談は保護者にとっては苦痛だろうか?
学校の先生にとっても同様だと思うが。

お母さんは「学校の先生にどう言ったらわかってもらえるのだろう?」と言い、学校の先生は「どう、お母さんに伝えたら良いのか?」を考えあぐねる。お互いがお互いに同様に感じている。

で、それぞれの思いを聞いた時点でお互いが協力できるのはまだまだ先やな。ってすぐわかる。なぜなら、お母さんは先生と対峙したところに居て、「わかってほしい。」という言葉を使っているから。

学校の先生も同じで保護者と同じ場所に立ち、子どもを見ようとしていない。大切なのは、子どもの学びをスムーズにするためにどう保護者と先生が協力して、学びの環境を整えるかと、どういうアプローチがやる気を萎えさせないかということ。保護者と教師が川の対岸に立ってみていてはお互いのことは理解できないし、結局そのことで子どもの環境は悪くなるばかり。

あー、そういえば学校の先生が簡単に言葉にすることで、浅はかやと思うことがある。今日はここまでにしてその事については後日。(^-^;


ココでは、出来るだけ私独自の考えを簡単に述べていくことにしようと思う。なぜ、一般的な人は「発達障害」や「子ども」や「わかもの」にういて書いてあることに違和感を感じるのか?が少しずつでもわかってもらえると思う。そしたら、私の仕事いくつかについても理解してもらえるのではないかと思う。長々長文書いて説明するのも良いけど簡単に書くのも良い気がする。違うか? (笑)

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