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ルサンチカ『SO LONG GOODBYE』(12/10  14:00〜の回)

――あの子は、演劇を続けるらしいよ。 学生の頃の終わりだった。後輩の子と、また別の後輩の子の話をしていた。学生の頃が終わってもあの子は演劇を続けるらしい。特別裕福な家の生れというわけでもないし、大手の事務所に入るわけでもない。ただ、このまま京都に残って俳優を続けるらしい。なにしろ彼女の親は両親ともが俳優なのだから、そういうふうにして生計を立てていく算段だって、イメージだってついている。お金ではない。ことはリアリティの問題なのだ。彼女にも彼女の家族にもそれはそれなりにリアルで可

    • 文学界9月号 「特集:エッセイが読みたい」についてのメモ

      エッセイが流行っているかどうかもよくわかっていないが、メモ書きとして。 寂しいかもしれないが個人的な結論は、 「私が関心があるのはメタフィクションで、エッセイにはそれほどでもない」というものになる。 ただ、エッセイとフィクション、とりわけエッセイと私小説・メタフィクションの棲み分けをはっきりさせることができたという点では、学びのあるものをいくつか読むことができた。 そもそもエッセイとはなにかということについて特集の中では、野村訓市「エッセイとは何かをめぐる小さな旅」が一番

      • 「凡災」⑥

        第5回 ことばと新人賞に応募した落選作「凡災」を一章ずつ掲載しています(6/15)  はーきれいなとこやなへもこかれへんわ、と大阪までエル・グレコかどうかもたぶんわからずぎらぎらの展覧会をのしのし見にきたおばはんらが言ったときいた話は聞いただけで見てないからほんとかどうかも知らんけど、こかれへん、の品のなさはどこかも知らん遠くのお寺のありがたいらしい壁と出会うときのいきなりにうろたえあわてるおばはんらのこたえそのものみたいで笑えた。でもほんとはこかれへんのやからおばはんらが

        • 「凡災」⑤

          第5回 ことばと新人賞に応募した落選作「凡災」を一章ずつ掲載しています(5/15) はちのすの名はかたちでなくまだらに因る。胃がきまったかたちをもつことなくやわくいくらも変わるから羽虫の巣の肌理にも似たつらなりに徴づけられるほかないしろものが黒と白と店先に並ぶ。白を手にとれば、わざわざ黒いのを白くするためまず風呂湯くらいの水に一じかんさらし、さらに沸したのを少し冷ましたくらいの水に三ふんひたしてあと、先がひろがり捨てられるまえの歯ぶらしで白くなるまでごしごしこすつてまた一五

        ルサンチカ『SO LONG GOODBYE』(12/10  14:00〜の回)

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        • 『凡災』
          6本
        • ホラー以外のすべての映画
          6本
        • 映画、文
          5本
        • 和訳文:その他
          4本
        • 和訳文:映画批評
          6本

        記事

          「凡災④」

          第5回 ことばと新人賞に応募した落選作「凡災」を一章ずつ掲載しています(4/15) 婚姻の祝かえしはなべしやぶよりもふりーずどらいがよいというので、三こーるでつながれた電話が祖父のもとにとどくはずの郵送をとりやめさせた。注文のまえに偶者どうしで相談すればよかつたものの、相談を思いついたのはせねばならぬ注文を終えたあとだ。 ふりーずどらいのほうがよいと図られた祖父の暮らしは許可証を返してくるまを失したあとだ。娘のくらす借家塔の車駐列でぐるり石にのりあげるおぼつかなさは祖父の運

          「凡災」③

          第5回 ことばと新人賞に応募した落選作「凡災」を一章ずつ掲載しています(3/15)  ひだり手のなかでひらく鏡は機械の目で字界をたどる鳩として翼にこの両目を乗せ舞いあがる。ぐるりを青く塗られた列車の顔ふたつの横に同じ色で書かれた駅の名を読みあげ赤に白丸のぴん留のそばをいくつか過り太い橙の線をしるべに手の中の鳩は地上を見下ろしたままぐるりぐるり、ふた指でつまんで拡ししぼつて縮し昇り降りしてやつと鏡の中にこの足が立つ地べたの位置と向きを見つける。次は水道道路と書かれたただ白い線

          「凡災」③

          『凡災』②

          第5回 ことばと新人賞に応募した落選作「凡災」を一章ずつ掲載しています(2/15) こしだされた液がはりつめ溜まるときの圧が臓袋に凝して成る信号にくらやみから導かれ引きづり出された身体はふかふかの羽毛から床のつるりに降ろされると、足裏をつたいのぼる冷気の針にまとわりつかれねむ気はずたずたにされ、されつつ這い這いで雪隠に迫る。孤りになることが適うと腰かけた両ふとももに白い陶の座の冷気のとどめは刺さりあがり、声にならぬ叫びが漏れ音もしないのに耳のよくなる気もしたつかのま、やがて

          『凡災』②

          「凡災」①

          第5回 ことばと新人賞に応募した落選作「凡災」を一章ずつ掲載しています(1/15) 昼は祖母の室にいた。ともに生地に帰つた偶者がわかりますかわかりますかとふた言み言はたらきかけ愛想のない獣園の獅子のように組んだ両腕に伏せつた祖母がたまにあげて返事とも無視ともつかぬ微さで面をゆらす。きめられたわずか一五分は惜しみ惜しみ歓交わすはずだつたが、その実はむしろすることもなで余され施設員からふたりずつと口定められたのにしたがい早々と先からじれつたそうに覗く祖父と代わつた。野球帽と口覆

          「凡災」①

          『アステロイド・シティ』、『バービー』

           2023年には感染症と隔離をテーマにした二本の映画でマーゴット・ロビーという女優が印象的な役を演じたというささやかなメモを残しておきたい。 ***  一本目は、ウェス・アンダーソンの『アステロイド・シティ』である。1955年、宇宙人到来事件をきっかけに世界から隔離された荒野の小さな街アステロイド・シティの群像を描く劇中舞台劇と、これを完成させようとする劇作家と俳優たちの紆余曲折を描く二段階構成のメタフィクションである本作において、かの女優はまず隔離騒動に巻き込まれた家族

          『アステロイド・シティ』、『バービー』

          Stranger 「ぶっ放せ! ドン・シーゲル セレクション」(1/24〜)

          「第十一号監房の暴動」(1954) 活劇かと思えば、メロドラマだった。 刑務所と聞くから、アクション・暴力・猟奇・脱獄など期待して見るがそのどれも見当たらない。気になるのは、暴動の首謀者らしきダンといういかにも恰幅のいい、悪ガキがそのまま成人しただけのようなジャイアン風の男が、まず四人の看守を人質として獲得するとき、独房の並ぶ廊下を手前から奥に向かって一直線に駆けるショットがやたらと長く艶っぽいとまで言いたくなる特別さで他とは区別されて撮られたショットである。 直後、第十一

          Stranger 「ぶっ放せ! ドン・シーゲル セレクション」(1/24〜)

          『ケイコ目を澄ませて』短評

           耳の聞こえないプロボクサー小河恵子を育てた荒川ジムの会長に取材する中盤のシークエンスに、おそらくこの映画唯一のジャンプカットがあって、はっとする。実際の撮影現場がどうかは知らないが、ばっちりキマったショット、ショットで組み上がるこの映画に俳優の演技が仕上がるのを待つゆらぎに満ちたシークエンスはほとんど似つかわしくない。飾り気のない、たとえば「ボクシングは闘う意志がなくなったら続けられないんだ」というような台詞を、短く厳しい枠の中で過不足なくものにすることができるのはたしかに

          『ケイコ目を澄ませて』短評

          小田香『セノーテ』短評

           数え間違えでなければ、『セノーテ』(小田香、2020年)には25人の肖像が登場する。肖像というのは8mmカメラで撮影された人の顔のクロースアップだ。この映画の撮影地に暮らすメキシコ人たちの顔なのだろう。若い娘の、老人の、男の、女の、中年の顔。文字通り老若男女が揃っている。前後のショットでその人の職業が養蜂家だとか漁師だとかわかるものもある。これらはすべて映像だ。これらが肖像「写真」や肖像「画」であった可能性は考えられないだろうか。そのほうがよかったかもしれないと。作り手はな

          小田香『セノーテ』短評

          高橋洋『ザ・ミソジニー』短評

           あたりまえだが画面を超えて伝わるなにかがあるから映画を見るのだ。しかし、その何かは決して見えない。実際のところ驚異であったり共感であったりあるいは恐怖であったりする何かは、見えないゆえに画面という制約を誰の意図にも縛られることなくすりぬけてあちらとこちらを行き来する。ゆえにきっとこれは病にこそよく似ているのだ。 『ザ・ミソジニー』でもっとも怖いシーンかどうかは知らないが、それは中盤に訪れる。直接的にか、間接的にか娘に殺されたらしい母親の亡霊は、交霊術の儀式のために椅子に縛り

          高橋洋『ザ・ミソジニー』短評

          ホラー以外のすべての映画(7) 災と再現

          再現された災害はいかにして到来するのだろう。 それは必ずしも計算によって構築された爆撃や暴風雨が実在する観光名所や政府機関を次々とモニュメンタルに倒壊させていく記号的なシミュレーションであるわけでもなく、多くのドキュメンタリー映像のようにそれを被っていくばくかの月日が流れた瓦礫を背景に実際にその被害にあった当事者たちへの聞き取りを通じて撮影者が決して直接そのレンズに写すことの叶わなかった出来事を事後的に観客に想起させようとする営みであるわけでもまたなく、あるいはコンピュータの

          ホラー以外のすべての映画(7) 災と再現

          オールタイムベスト(26.03.2022)

          ①「めまい」(1958,アルフレッド・ヒッチコック) ②「素晴らしき放浪者」(1932,ジャン・ルノワール) ③「アワーミュージック」(2004,ジャン=リュック・ゴダール) ④「丹下左前 百万両の壺」(1935,山中貞雄) ⑤「サンライズ」(1928,フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ) ⑥「幌馬車」(1950,ジョン・フォード) ⑦「NOVO」(2002,ジャン・ピエール・モリザン) ⑧「ロートリンゲン!」(1994,ジャン・マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ) ⑨「

          オールタイムベスト(26.03.2022)

          アピチャートポン・ウイーラセタクン『メモリア』から(1)

           始まるや否や真っ暗闇に人影、それからバンッ! 心臓に悪い破裂音は、心地いいとも神秘的とも言い難い。はっきり言って不快な「ノイズ」。しかし、残念。重要な舞台装置であるこの音がいつどこから鳴るのか、あと2時間半おびえつづけなければならない。  どこからともなく聞こえるこの大きな音にある日突然苛まれ始めたのは、コロンビアのメデジンで花屋を営むジェシカ(ティルダ・スウィントン)。はたしてそれへの対処法なのか、見知らぬものへの好奇心からか、音響技師のエルナンにこの音の再現を依頼するこ

          アピチャートポン・ウイーラセタクン『メモリア』から(1)