リアル脱出ゲームのストーリーがつまらないワケ

この記事では、これまでのリアル脱出ゲームや現在進行形で公演中のリアル脱出ゲームの雰囲気的なネタバレや、ある程度の展開、ストーリーバレがありますので、予めご了承の上御覧ください。

リアル脱出ゲームのストーリーって、面白くなくないですか?

もちろん、各種謎解き公演では謎解きの快感を売っているのであって、面白いお話を売っているんじゃないので、それはそれでいいんですけど……。

公式が物語で推してきてるので、物語として語ることも必要なんじゃないでしょうか。2015年本当にリアル脱出ゲームに参加していない私が、過去の公演をアレコレ振り返りってみるかもしれないし、見ないかもしれない。

■そもそも物語とは?

プロット (英語: plot) とは、ストーリーの要約である。(中略)プロットは出来事の原因と結果からなる。ここでいう原因と結果とは、例えば「犬が歩く。棒にあたる。動物病院に運ばれる。治療を受ける。回復する」といったことである。(後略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88_(%E7%89%A9%E8%AA%9E)

つまりは因果関係である。わかりやすく脱出ゲームで言えば、

原因:何故か不思議な密室空間に閉じ込められた

結果:脱出する(or出来ずに死ぬ)

という、非常にシンプルなものとなる。このシンプルな物語の代表が、「Escape from the RED ROOM」でしょう。RED ROOMで物語としての批判がないのは、物語がないからではなく、非常にシンプルで矛盾がないからということができます。

さて、もう一つ「ストーリー」という言葉があります。

ストーリーとは、小説、戯曲、映画、漫画等の創作物における筋のこと。 プロットと区別される。(後略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC

多くの場合、「謎解きのシナリオを考えよう!」という場合に考えられるのは「話の筋」であり、ストーリーということが出来るでしょう。例えば、不思議な魔法使いが出てきて、魔法を使って云々かんぬんという話の筋がストーリーです。

つまり、何が言いたいのかといえば、多くの雑な議論で使われている「物語」という言葉は、「ストーリー」と「プロット」が混雑している、ということです。簡単に便宜上、「プロット」を物語構成、「ストーリー」を物語の筋として以下使用してくことにします。

閑話休題)この議論もすでにしつくされたもので、私が大好きな「VIPPERのあんたがたに挑戦します。」は「ARG」であるか?という議論が活発な時期がありました。ARGの定義の一つとして「物語」が必要になってきます。あんたがたに物語はあるのか?という疑問に対し「ストーリーはないけど、ドラマはある」という発言がありました。つまりは「登場人物の行為・行動自体が物語を紡いでいるのではないか?」という話です。付随して「ドラマ」という考え方も別の視点としてわけて定義し、意識することにより「体験型ゲーム」をより考えることが出来るかと思います。

■リアル脱出ゲームの物語

さて、リアル脱出ゲームの話に戻しましょう。

最初に書いたように、私自身の参加ゲーム数が少ないことと、手を広げると描く時間がないことから、2015年の「物語重視」としてプロモーションされていた、上記画像で使用した「仕立屋シャルロッテの秘密」、ストーリー性も含めて所謂謎クラスタ内評判が高かかった「ドラキュラ城からの脱出」、そして私がこの記事を書くきっかけになった「ある映画館からの脱出」、2014年謎解き系イベント勝手に大賞(※)でストーリー賞第一位であった「忘れられた実験室からの脱出」あたりを中心に例に取りながら、ストーリーバレを含みながら、これ以降書いていきます。ネタバレにならない程度にぼやかしながら描くつもりでは有りますが、未参加でこれから参加する未来がありえる方の閲覧は十分にご注意下さい。(中心に、なので、謎のネタバレがOKになっている作品のネタバレは不意打ちに出てくると思います)

※この記事の筆者である三月が毎年年末に行っているアンケート。簡易結果はこちらで見れます。 https://docs.google.com/spreadsheets/d/1HhcKTQ1jfUBSwkyGTj3P03VJ2y8wmLvTN0LiDQlY5J8/edit#gid=1719721049

リアル脱出ゲームの「ストーリー」

「ストーリー」は、最初に定義したとおりに「物語の筋」ということです。例に取った公演であれば

>世界一の服には、世界一の謎がある。世界中のセレブ達を虜にする仕立て屋シャルロッテの洋服。それは世界一の洋服と言われていた。誰もがシャルロッテの洋服の秘密を知りたがった。なぜあんなにすばらしい洋服を作れるんだろう?ある日あなたのところに招待状が舞い込む。なんとそれはシャルロッテの仕立て屋の中を見学できる招待状だった!喜び勇んで出かけるあなた。しかし、そこで待ち構えていたのは、不思議で、不気味で、哀しい物語だった。(「仕立て屋シャルロッテの秘密」公式WEBより引用)

というのが事前に知らされている「ストーリー」で、最初に見せられるOP映像司会者の説明、そしてNPC(謎解きイベントの世界を中心に生きている人には「チェッカー」という言葉が馴染みがあるかもしれません)の存在やセリフ、そしてたまに出てくる日記手記といったテキスト類が「このストーリーの筋」を教えてくれます。

リアル脱出ゲームは、ミステリー小説の文脈で語られるとわかりやすいと思います。ミステリー小説がミステリー小説足りうる理由は「起こった事象に対して、すべての説明がなされず、そして情報開示の順番が敢えてバラバラになっている」ということです。「誰かを恨みました。恨んだのでこういうトリックを使って殺しました。それを第一発見者が見つけました。探偵がトリックを暴きました」という流れを「読者」が読んでも、それはミステリーではありません。「それを第一発見者が見つけました。」以前を隠し、「探偵がトリックを暴きました」の後に配置することで(間っていうのも有り得ますけど、仮にね)ミステリー小説はミステリー小説足りえます。

リアル脱出ゲームの基本構造 【原因:何故か不思議な密室空間に閉じ込められた / 結果:脱出する(or出来ずに死ぬ)】の原因の背景であったりというのがはじめは隠されていて、暴いていくことでシナリオが発展し、原因がわかるていくというのは、このミステリー構造とおなじです。

上記で敢えて「読者」という表現を使ったのですが、その通り、「ストーリー」を受けるにあたって、リアル脱出ゲームの参加者は参加者でなく「読者」です。物語を受容するだけの存在です。

「読者」にとってどんなストーリーが最良か、それはamazonで☆が人により異なるように、これは「合う/合わない」と言い切ってしまっていいでしょう。リアル脱出ゲームにおける「ストーリー」は、合う合わないです。

ここで、よく起きる議論が有ります。「リアル脱出ゲームのシナリオはすべてベタで王道なものである」という点です。実際、リアル脱出ゲームが「謎解きゲーム」である以上、参加者は謎を時に来ているため、複雑な物語を飲み込み咀嚼する時間はありません。そのためベタでありがちなストーリーとなりますので、基本的にそんなに物語の筋として好き嫌いが起きないものでしょう。

物語の筋を謎解きに絡まっていてすごい!みたいなことがたまに言われますが「物語時点では日付変更線をまたいでいないから曜日が違うんだ!」みたいな程度です。絡まってますかね……?


閑話休題)ちょっと別の目線からの話をすれば、「リアル脱出ゲーム」の参加者は、読書をしに来てはいません。ですのでこうした「受容する物語」はスルーされがちです。頭に入りません。

■リアル脱出ゲームの「プロット」

「プロット」は最初に書いたように、物語構成――もっと簡易的に言うと「原因と結果」の積み重ねと定義します。

ここで、物語の原因と結果について2つに分けてみましょう。例えば、「仕立て屋シャルロッテの秘密」においては「シャルロッテに過去あんなことがあった」だから「招待状を出し参加者を招いて」いた。参加者は「閉じ込められた」だから「そこから脱出しようとする」。というような積み重ねが起きています。

ここで、物語の原因と結果について2つに分けてみましょう。

・キャラクターが原因/結果となっていること。

・<あなた>が原因/結果になっていること。

基本的には、どちらの構造も有り得ますが、一般的に後者が多いほうが喜ばれる、ように見えます。実際後者<のみ>で構成されたリアル脱出ゲームは面白いです。最初に言及したRED ROOMがそうです。しかしながら、重要なのは前者での満足度です。現状の多くのリアル脱出ゲームにはキャラクターが存在します。シャルロッテ、ドラキュラ姫、アンドロイド、後なんか名前忘れた映画監督と●●●。キャラクターが原因/結果となる構成において、それを自分のことと認識できるかどうか、ということです。

(ここも実際はある程度感受性や合う/合わないにもなるのですが)

キャラクターへの愛着というか、親近感というかを高めておくこと。これが重要なポイントとなりえるでしょう。リアル脱出ゲームにおいてキャラクターはこう二分割できます

・犯人

・それ以外

そして、犯人を二分割します。

・トゥルーエンドで何とかされる対象

・トゥルーエンドで何とかされるじゃない

「犯人」が「トゥルーエンドで何とかされる対象」なのが、まさにドラキュラ城です。ドラキュラ城はキャラクターとしては基本的に1人と<あなた(に似た人)>で(NPCもいたけど)、彼女とに焦点を合わせることにより、大謎(およびトゥルー)でひたすら彼女のことを考えることが出来ました。そして<あなた>が<あなた>である必然性もあり、因果のプロットがゲームに落とし込まれていた、と言い換えることが出来るでしょう。

「犯人」が単に「犯人」でしかない場合は、単に面白犯人である場合は、アンパンマンとバイキンマンのような王道で対処されるので、問題はありません(深みもないけれど)。もしもキャラクターに深みがあるのに「犯人」が「犯人」でしかない場合で、トゥルーエンドで「犯人」がトリガーとして使用されない場合、因果がゲームではなく「ストーリー」として語られます。つまりは因果のプロットがゲームに落とし込まれず、ストーリーとして溢れてしまっています。こうしてあふれたものは多くの場合エンディング映像として消化されます。

リアル脱出ゲームにおける「ストーリーが良かった!おもしろかった!」と言われる多くのケースが「因果のプロットがゲームにどこまで落とし込まれていたか」で変わるということです。

私が「ある映画館からの脱出」の面白さがまったくわからなかったのがここです。このイベントはは本当にわかりやすいくらい典型的にに、「因果のプロットがゲームに落とし込まれていなかった」代表的な物語構造です。エンディングで流れたストーリーの何かしらでも、どこかで触れられていれば、恐らく満足度や納得度が変わっていたのではないでしょうか。「ふざけんなストーリーとしては●●●●●●のほうが面白いわ」というのは個人の趣味としての意見ですが、物語構造としての伏線がはられていませんでしたね。……はられていて気付いていないだけならこっそり教えて下さい。

シャルロッテにおいても救うべきキャラクターへの愛着が行われないまま物語が進むことは、物語を売りにする場合での問題点だったといえるでしょう。犯人が犯人でしか無いまま時間が進み、エンディングで突然語られるストーリーは、単に「ストーリー」でしかなく、参加者を「読者」にします。

基本的にリアル脱出ゲームは、物語としてのキャラクターのどんでん返しに弱いです。エンディング映像で行われるとすれば、それは参加者に「消化不良」として認識されます。行われるならば物語終盤でしょうが、「手記/日記」などという手法ではなかなかグループ全員が一気に読み、驚くという方法が取れません。リアル脱出ゲーム以外の公演であれば、NPCによる寸劇など、様々な取り組みが行われています。

キャラクターへの愛着というか、親近感というかを高めておくことによる満足度が上がったのが、まさに「忘れられた実験室からの脱出」です。パズピの集中投票だけではなく、一般からの評価も高いのが、この「脇に女の子を一人置いておくことによりキャラクターへの親近感を高めるシステム」です。このシステムは忘ラボの成功を機に、多用されることとなります。とはいえ、忘ラボのはなしは次の章になります。


■さらに超える、「ドラマ」としての物語

「忘れられた実験室からの脱出」が優れていたのは、お話としてのストーリーでもなく(凝ってたけどね)、物語構造としてのプロットでもなく、どこまでもアンドロイドと<あなた>のドラマとして特化したことです。

ドラマ(Drama)とは、登場人物の行為・行動を通して物語を紡いでいく、芸術表現の一形態。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88_(%E7%89%A9%E8%AA%9E)

半ば参加者の意思が話を決定できます。リアル脱出ゲームにおいては、物語の結末への原因は「謎が解ける/解けない」であり、参加者の意思ではありません。そこを参加者の意思という別の視点の介入が行われたことにより、そこに産まれたのが「ドラマ」です。

どの謎を解けた/解けないではなく、意志によって筋が変わること。これは謎解きゲームではなく「体験型ゲーム」としての「物語体験」として、非常に面白いものです。リアル脱出ゲームでなければ、AMGの黄泉平坂妖奇譚や、セブンキャッスルのWAR→Pといったゲームが構造として「ドラマ」を産むことが出来る構造でした。

リアル脱出ゲームがチーム制である場合、チームメイトとの感情の共有(驚き、悲しみ、苦悩)はリアル脱出ゲームとしての面白さの醍醐味の一つです。一つのドラマに向け苦悩するのは、謎解きではない別の素晴らしい感情体験を生むことが出来るでしょう。

しかしながら、リアル脱出ゲームが謎解きゲームである以上、根本としてのトリガーは謎でなければならないでしょう。そしてドラマは参加者に依存している都合上、チームのメンバーやその回毎にドラマの質が異なるという最大難点があります。


■どうしてリアル脱出ゲームのストーリーがつまらないのか

ここまで今まで「ストーリー」と読んでいたものを、こんなふうに分解してきました。

「ストーリー」…物語の筋

「プロット」…物語構造

「ドラマ」…参加者の行動・意思依存による展開。

どれも良い物も有ります。しかし、こうした問題点をはらみ、実際そうした問題があるゲームが有ることにより、リアル脱出ゲームのストーリーがつまらなく感じます。

「ストーリー」所謂王道のわかりやすい物語の筋しか無い。物語の筋の説明が受容的で、参加型ではない。

「プロット」自分自身が物語のトリガーになっているか/自分が頑張ることであの子を救いたいと思えるかの当たり外れが大きい。

「ドラマ」チームメイトがクソだとクソ。つきつめるとそもそも謎解きじゃなくなる。


■細かい話をします


大きな構造として、なんか面白いもん作るのは大変だっていうのを書いたところで、細かいつまらないポイントを上げていきます。

二段落ちが当たり前になっている、王道パターンからの予測ができるシナリオの流れによる満足度の低下です。「はいはい、どうせトゥルーエンドシナリオがあるんでしょ」という「予測できるびっくりどんでん返し」は明らかに満足度を下げます。ゲームとしての満足度だけではなく「わかりきったどんでん返し/伏線」はやはりそんなによろしいものではありません。後々になって「それが伏線だったの!?」となるのがよい伏線です。

根本なんですが、<謎解き>で物語への集中が削がれるっていうのもあります。本当は逆のほうが正しいです。<物語>で謎解きへの集中が削がれるです。つまりは、リアル脱出ゲームにおいて、ペンシルパズルを解いている時に、それがはペンシルパズルを解くのであって、あまりその後を意識しないんですよね。ペンシルパズルを解いた結果の答えが、たとえばキャラクターの好物、とかであれば因果がわかりやすいんですが、現在の小謎→中謎→大謎構造であれば、謎解きの結果が全て物語の結果として出ることは難しいです。

多分、そんなにこれは問題じゃないんですけど、<私>の立場がいまいち不明であること。会場には100人も200人も人間がいるて、何ならチームメイトは6人なのに、映像の中の<私>は1人です。1人の人間を6分割したのがチームメイトというのは、立場としては不安定です。チーム以外の人間は見えないていなのか、いるけど交流したら殺されるのか、意外とデティールが詰まってないんですよね。細かいことに気になると突然気になっちゃいます。

そして参加者がたくさんいることにより<あなた>の物語が<あなた達>の物語として薄まってしまうこと。

けっこうトゥルーエンドのパターンとして「ノーマルエンドの人は普通に生き残りました。トゥルーエンドの人のおかげで全員が生き残りました」っていうのは、納得度が高くて好きなんですよね。

そこらへんの小規模/中規模団体が雑に行う公演は、小劇場の素舞台で小道具もなく全てマイムで行っているようなものだと思うので、雑でも全然構わないんですけど、大きい会場で完成度完成度言うなら、その辺りの設定はもう少し自覚的になってもいいのかな、と思ったりします。

■最後に

面白いストーリーを観たかったら本を読むか映画を観るかすればいいっていう意見はまさにその通りなんですが、わたしはその本の中や映画の中に入りたいんです。



三月ちゃんをいろんなイベントに出張させることが出来ます。ヤバそうなイベントに自分で行く気はないけど誰かに行ってきてほしいときに使ってください。