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【#あの選択をしたから】あの時怒ったから、10年続くイベントが出来た

おはようございます。三月です。
みなさんの「創作のモチベーション」はなんですか? きっとポジティブな人たちは「誰かに楽しんでもらいたいから!」と言うのでしょう。もしくは「自分が作りたいから」とか。

私の20代のころの創作のモチベーションは、確実に「怒り」でした。

■10年前、夏

2012年に東京では史上初の「謎解きイベントのフェス」が行われました。いままで、個人個人(団体団体)でイベントを実施してきた謎解きイベント制作団体(当時はまだほとんどの人が法人化をしていませんでした)が一堂に会し、一つの会場でイベント行う。
それは私の夢でした。

2011年に私はこんなツイートをしています。

私も、もちろん出展団体のひとつとして渾身のイベントをつくってフェスに参加しました。そのイベントは「謎フェスのあんたがたに挑戦します」というタイトルで、セブンイレブンのネットプリント機を模したダンボールくんに20円を入れると、暗号が出てくるというイベントで、それはそれでプチ炎上したのですが、それはまた別のお話。

2012年に行われたイベントは大変盛り上がり、もちろん初めてのイベントだったので課題もありつつも、ほとんどの出展者、参加者が「来年も、またやりたい!」と思ったものです。

2012年の時点で、私には来年のフェスでイベントとしてやりたいことの構想がありました。そのために「わたし、来年はこの部屋が使いたい!」と大きな声で宣言をし、たしかにそのとき「いいよ!」と言われたのです。

まあ、30代になった今ではわかります。
口約束なんてしても忘れるってことを。
あとでちゃんとメールなりで念押しをしておけばよかったんです。

2013年のフェスの準備が始まり、私も出展団体の代表のひとりとして今回も出展を決め、たのしいフェスのために尽力をする……つもりでした。

■大人げない怒り

ビンビンに立っていたフラグのとおり、私が望んでいた部屋は私たちの部屋に与えられませんでした。その部屋はいわゆる人気者、今風に言えばインフルエンサーに与えられました。
いや。あの瞬間はびっくりしましたね。「え!去年から約束してたんだけど!どゆことなん!?」と言ってもどうにもならない。

今の私が考えればわかります。集客のために名前の知れた人が必要なこと。混雑緩和のための導線。それは今の私たちが考えていることです。

さて、どうしよう。
不人気団体を率いる私は、言われるままに違う部屋で何か違うことをするのか。この不平等な社会で、不平等を受け入れて生きていくのか。

あの日私は友人たちと、神田の激安謎の居酒屋シンジゲートでお酒を飲みながら、設置されたテレビでリアル脱出ゲームTVを眺めていました。
アルコールには多くの問題点がありますが、私たちにはアルコールが必要でした。酒の勢いも借りながら、イベントへの不満点で盛り上がる、ありていに言えば愚痴を吐きまくっていた私たちは、気付いたのです。

「ならば、私たちが自分たちの理念に従ったフェスをやればいいのでは?」

それは2013年の夏のはなしです。
ブチ切れていた私は「よ~し!! 同じ日に別会場でもっと面白いフェスを作って、ぶつけてやるぞぉ~~~!!!」と阿呆を言いました。
なんかみんな、いいんじゃない!って言いました。

「怒り」というのは、すごいモチベーションです。
いや、もしかすると、お酒のせいかもしれません。

そんなこんなで私は「フェスへの出展」を辞退するという選択をしたのです。

■すべてがフェスの実現に向けて進んでいた

とはいえ、問題はたくさんあります。
会場は? 予算は? 出展団体は?(ここにいるメンバーが向こうのフェスを離脱したとしても、当時のインディー謎解き団体はほとんど既存のフェスへ出展します)

会場は?
会場には心当たりがありました。尖ったコスプレイベントに使っていた廃病院が都内にあり、あそこなら各部屋をそれぞれの団体に貸し出して謎解きイベントをすることができるでしょう。急いでホームページを確認して会場費を確認します。

……手は届く。でも高い。

予算は?
ならば、ならばクラウドファンディングに頼ってみよう。
2013年当時、まだクラウドファンディングは始まったばかりで、一部の珍しいモノ好きしか使っておらず、謎解きイベントではほとんど使用されていませんでした。
「優先入場」「特別なイベント」を用意して、支援を募ろう。
きっとともだちが何人か買ってくれて、予算の足しになるはず!と私たちは盛り上がりながらプランを作りました。
「誰も買わないと思うけど、ネタ枠で10万円の支援枠、つくっとこうか!」
このときは、誰もこの決断が大きな伝説を作ることになるとは思いませんでした。

出展団体は?
もうこればっかりはどうしようもありません。在野でくすぶっている、謎解きイベントが好きだけど、作ってみたいけど、まだ作ったことがない人がいるはずだ。
公募してみよう。
どうなるかわからないけど、募集しよう。
それに、公募こそが「人気者だけではない、みんなで作るフェス」への唯一の解だ!

これが、この全てが、本当に全てがうまくいって、私たちは2013年11月3日へ向かって走り続けました。

フェスのタイトルは私が夢見た「リアルゲームの文化祭」、改め「ナゾトキ学園の文化祭」。ナゾガクのはじまりです。

■ナゾガク ナゾトキ学園の誕生!

ナゾガク2013ホームページより

会場にアポイントを取り、内覧に行く。イベント概要を伝えると(諸々注意事項はありながらも)実現できそうです。
出展をしたいと、当時は全然知らなかった在野の謎解きイベント好きから連絡が来ます。
クラウドファンディングはあっというまに(本当にすぐ)10万円コースがうまり、他のコースもたくさん支援いただき目標金額を達成します。

ここから先の話は、本題と異なってしまいますので、ナゾガク2013のtogetterなどを見てください。

2013年、自分たちでフェスを実施してみて思ったのは「これは、もっとちゃんと面白いイベントに出来る!私たちには出来る!!」という義憤です。まだまだ怒っています。
そして改善案をぶつけて、次のナゾガクを実施し、そしてまた次の……。
と続けているうちに、謎解きイベントのフェスは日本中で行われるようになり、一方私たちが怒っていた件のフェスは行われなくなってしまいました(会場にしていた場所が無くなってしまったのも大きな理由でしょう)。

ナゾガクにもいろいろありました。
運営メンバーが消えたり(元気ですか?)、ずっと使っていた廃病院が取り壊されて別の廃病院を会場にしたり(また廃病院じゃん)、コロナでしばらく動けなかったり、完全にモチベーションがなくなったり。

そうこうしているうちに、「怒り」はいつの間にか消えていました。
それでも、ナゾガクが続いています。

今思えば、なんて大人気がなかったんだ!と思います。
仕方ないよね、20代だったもの。

20代の私が怒ったから始まったイベントが、この2023年で十周年を迎えます。「ナゾガク2023 ナゾトキ学園十周年」は、2023年11月4日~5日に、埼玉県のみずほ台で行い、現時点で決定しているだけで50以上の謎解き団体が出展をしてくれます。

怒りから始まり、ぶち上げた理念に従う。
これが私の20代でした。

「あの時私が怒ってなかったらどうなってるんだろう」と思うことがあります。ほんとうに、今の自分とは全然違ったんでしょう。ナゾガクがなければ生まれなかったコンテンツがあり、出会いがあり、私の選択はまた私以外の人たちの人生を変えていきます。

また面白いことのために、みんなで集まってお酒を、飲も~~~~!!!!

三月ちゃんをいろんなイベントに出張させることが出来ます。ヤバそうなイベントに自分で行く気はないけど誰かに行ってきてほしいときに使ってください。