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だいじょうぶ。自分で選べる人に、君はなるよ

新卒入社する会社を選ぶことができなかった。人生で初めての大きな挫折。就職活動の結果は散々だった。

「金融はぜったい受けておけ。どこか引っかかるから」と大学の先輩に言われて、しぶしぶ登録した金融機関だけが私に内定をくれた。

胃腸炎になるほどに身も心もすり減っていた私は、エントリーシートを出した20社ほどの選考がひと段落した時点で就職活動を終わりにした。金融機関に興味はなかったのだけど、そこに就職するよりも就職活動を続ける方が苦行のように思えたから。

今振り返ると、本当にごめんって思う。ここでもうちょっと、踏ん張ればよかったよね。でも、できなかった。ごめん。

社会人になってから、私がどんな経緯でキャリアを選べるようになるのか、記しておくね。最後は明るく締まるはずだから、こんな社会人生活いやだって思っても読み進めてほしい。

入社してみると、「女性が働きやすい・活躍する会社」なんて就職活動のときに聞いていた話とは全然違って、完全な男社会だった。これは、私が昔でいう「総合職」で入社したためかもしれない。

選ばずして入った会社ではあったけれど、入ったからには同期に負けたくなかった。「社会で男と対等に渡り合うには、男以上の学歴を持て」と言われて育ってきて学歴は手に入れていたから、男社会に屈してたまるかとの気持ちもあったと思う。

そんな気持ちは、あっという間にしぼんだ。

ジョブローテーションでは、総合職は普通経験しない部署に5か月間配属された。同期の男子は、普通どおりなのに。

そのつぎのジョブローテーションでは、女子の総合職といえばここ、という部署に配属された。入社時から、「法人がやりたいんです」の1点張りだったのに、有無を言わさず「個人」にまわされた。

やりたい仕事を選ぶ権利はなかった。でも、結果として先輩と上司に恵まれて、コツコツ着実に仕事を覚えることができた。

転機は突然おとずれた。個人での仕事ぶりが評価されて、法人担当に抜擢。「十数年ぶりの女子法人営業」「地元有力企業を担当する初めての役職者以外」という名誉ある肩書を手に入れた。

正直、法人の部署に行きたい気持ちは消え失せていた。だって、個人で働いている間に、法人は怒号が飛び交う殺伐としたところだと知ってしまったから。

異動が発表された瞬間、嫌すぎて泣いた。それでも、自分の能力が認められたのは嬉しかった。

まじめなのが、いけなかったのかもしれない。せっかく期待してもらったんだから、頑張ろうと思って一生懸命に働いた。何もわからなくて、聞いてもちゃんと教えてくれる先輩はいなくて、右も左もわからなくて、でもミスは許されなくて、本当にもうただただ目の前のことを期日どおりこなすことに尽力した。

頑張っても頑張っても、先輩のようにうまくはやれなかった。私の次に若かったのは、会社内での表彰を何度もとっているエース級の中堅社員だった。若手は私だけ。できないことを理解し、励ましてくれる人は同じ部署にはいなかった。

感情をあまり表に出さない、落ち着いて見えるタイプとよく言われるのに、会社にいる間はいつも泣きそうな顔をしていた。実際に涙がこぼれることも多々あった。

こんな社会人生活、嫌だって?なんで辞めないのかって?そうだよね。泣くぐらい辛ければ辞めたらよかったのに、「石の上にも3年かな」とか思って踏ん切りがつけられなかったんだよね。

だけど、「3年ここにいてたまるか!」って思う事件が起きた。

ある日の定例会議で、私は理不尽に怒鳴られた。いつも怒鳴られていたけど、比べものにならないぐらい傷つけられた。怒鳴った本人をコントロールするはずのトップも追認するような発言をして、私を守ってくれる人は誰もいないと気がついた。

頑張っても頑張っても、出した成果が褒められることはなくて、できないことばかり言及される。そして、怒鳴られる。上司に怒鳴られて泣きそうなところに、先輩も励ましじゃなくて嫌味を言ってくる。

辞めようと決めた。早ければ早いに越したことはないと。

運よく、学生時代に使っていたWantedlyでスカウトが届くようになった。

スカウトしてもらった企業と話すうちに、やりたいことが見えてきた。ずっと言葉に興味があって、書く力を身につけたいと。

就活中、こんなこと考えてなかったのにね。なんであのとき気がつかなかったのか、悔やまれるところだよ。

まあ、戻れない就活の話は置いておいて。転職もWantedlyを使ってやろうと思って頻繁に見ていたら、すごくワクワクするスカウトが来た。今いる会社の社長からのメッセージだった。

正直、迷いがあった。もともと社名は知っていたから、まだ志望動機とかいろいろ話す場数を踏んでない今行って、落ちたら嫌だなって。

こんなとき、1年目の私だったらどんな選択をするんだろう?そう、ここから選べるようになるかどうかの、分岐点は始まっているんだよ。

そのときの私は、話を聞きにいくことに決めた。未経験の編集者を、この会社が募集するタイミングは今しかないかもしれない。しかも、向こうから声をかけてくれるなんて、この一度だけだと思ったから。

面談当日、自分のこれからの話をただひたすら聞いてもらったことは記憶している。ワクワクが、面談後もずっと続いていたこともよく覚えている。Wantedlyでのやりとりを見返すと、恥ずかしくなる。

面談の次の日起きたら、内定のメールが来ていた。迷う理由なんて、なかった。この会社に行く。

両親に自分の想いを正直にぶつけた。両親の敷いてくれたレールから外れることを、私が選ぶなんて思っていなかったはずだ。

怖かった。初めて自分一人の責任で、人生を決めることになるから。誰かの入れ知恵やアドバイスのせいに、できなくなるから。

納得してもらうのに2週間ぐらいかかった。家系のなかで異端児ともいえる選択。いろんなことを言われたけれど、やらない後悔をするのは嫌だった。

自分で、決める。

一番後悔のないというか、後戻りのできない進路の決め方だと思う。両親をはじめとする誰かの価値観を借りて決めると、他責にしてしまうときが絶対くる。

今、私には転職したことに1㎜の後悔もない。キャリアは常に模索しているけど、前向きなお話。

社会人1年目の、なにも選べなかった私に伝えたい。

だいじょうぶ。選べる人に、あなたはなるよ。

ただ、チャンスが来たと思ったときに、うじうじ悩んで逃さないようにだけ気をつけて。やらない後悔より、やる後悔だから。

私は今、とても楽しい。

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