まーくん
つらい経験の追憶。信じるも信じないも、読み手次第。 僕も気分次第で公開と非公開を繰り返すつもりです。
アダルトチルドレンとして育った自分の苦しみを、文字面にして叫びます。
「孤独な夢想家の戯言」におさまりきらなかったもの。中の人のさらなる思い。などなど。
週に2回のお風呂と、毎日決まった時間にとる何とも味気ない食事。 それ以外はひたずら、朝から夜までベッドかデイルームで過ごすしかない日々。 その時も今も入院に納得していない自分にとっては、まったく無駄でしかない時間の浪費であった。 そんな日々に他のみんなもストレスがたまるのか、毎日のように誰かと誰かの口論。悪態をつくだけでは飽き足らず、手を出したりデイルームの椅子を振り上げて暴れる人なんかもいた。 そうなると看護師や介護士がすぐ飛んでくる。悪質と判断された場合は則、隔離室行
ちょっと前だと考えられなかったが、最近の世の中はなんでもインフレだという。 そうはいっても、東京の家賃は高すぎる。もはやフツーの日本人が住める街ではなくなってきている。 例えば2023年に開業した「麻布台ヒルズ森JPタワー」の中にある居住用分譲マンション・「アマンレジデンス東京」の価格は、なんと最高で200億円以上というのだから、驚きだ。 (引用:最高価格200億円!「麻布台ヒルズレジデンス」は日本一の高級マンションだが意外なデメリットも?!) そして麻布といえば風街。風
ある日の夕食時でのこと。 食事は一応朝、昼、夕と出る。デイルームで集合して食べるので、個食は許されない。 テレビも消せと言われ、食べる前にみんなで「いただきます」を言う。 まるでガキのような扱いだ。 一般病棟でも入院したときによく見る、あの食事が入っているケース。 看護師さんがデイルームの中央に運んできて、一人一人名前を呼ばれて取りに行く。 (一応アレルギー持ちや高齢の人に配慮して、間違いがないようにしているらしい) 「○○さん。おかえりなさい」。 ん?「おかえりなさ
入院する少し前に、運命的な出会いを果たしていたのは、今は亡きR神父だ。 出会いといっても、手紙とメール。電話だけ。 そうそう、最初の出会いはR神父の書かれたいたとある一冊の本だ。 本当はリアルでも対面して会えるはずだった。実際に会うつもりでいた。 だがしかし、結果それはかなわなかった。 「○○は入院をする必要はないね」とR神父は断言していた。 だが悪魔の誘惑により、災難に見舞われてしまうことになった。 入院の寸前、R神父と電話で話すことができた。 「そうですか。でも
今回も、病棟で出会った少し不思議な人をご紹介。 ふとした瞬間、何の前触れもなくぶつかってくる人がいた。 僕は最初、この人に嫌われていたと思っていた。 明らかによけるそぶりもなく、堂々と向かってぶつかってきやがる。絶対わざとだ。 ある日看護師長さんにこのことを相談してみると、「アイツは目が悪いんや」という。 いや目自体は、しっかりと見開いているように見えるのだが・・・ しかし人にぶつかったら、都度都度謝ればいいのに。 その後も観察すると、なるほど確かに僕以外にもしょっ
今日は病棟で出会った印象深い住人を、二人紹介しよう。 1人目。 体型は太目。プロレス好きの男性でPSさんとしよう。 何かあればプロレス、プロレス。 僕が静かに本を読んでるときに邪魔してくる人はいなかったが、ひとたび雑談の輪に加わるとプロレスの話になる。 一般社会と違わず、朝はだいたいみんなテンションが低かった。 しかしPSさんだけはご機嫌。僕や馴染みの人と顔を合わせると「よっ!」といって手をあげる。 そこまでならば、ちょっとテンション高めの感じのいいおじさんだと思
第一の覚書で書いた翌日の朝。 Tさんの「とんでもないところに、来てしまったと思ってるでしょう」との声そのままに、ゲンナリしながら朝を迎えた。 食事はデイルームで一斉に食べる。一人になりたかったのだが、部屋で個食することも許されない。仕方なしにデイルームに向かうのだが、またこの時間も穏やかでない。 決まっているようで決まっていない席に座り、うつむきながら硬すぎるコッペパンに手を伸ばす。 瞬間、目の前を何かが動いた。びっくりした。さっきまで僕の左前にあったはずの牛乳が斜め
母からは父の悪口を言われ。 父からは母の悪口を言われ。 父方の祖母からは、母の悪口を言われ。 母方の祖母からは、父の悪口を言われる。 誰も見ていないところで、僕にだけ。 結局夫婦や家族なんてものは、対外的にはいい形のふりをして、実のところ憎しみあっている。 子供は実のところ、自分たちの所有物、願望をかなえるための道具でしかない。 そんなことを今になって言語化できているわけだけれど、幼い自分にとっては、何か違う?違和感。もやもやのようなものでしかなかった。 (以前か
フロアにはSRさんのような眼光の鋭い御仁も何人かいたが、一見して何も問題がなさそうな人のほうが圧倒的に多かった。 その中の一人。とてもおとなしそうな男性。40代ぐらいに見えた。 こちらが質問をしても返事を返してくれる。だがその応答速度が、「異常に遅い」のだ。 その人をHOさん(返事が遅い)としよう。 僕「HOさんは、どんな仕事をされてたんですか?」 (およそ1分後) HOさん「深夜のトレーラーをひっぱっていたよ」 僕「僕は退院できますかね・・・」 (およそ30秒
元祖声優アーティスト・林原めぐみさん。 声優さんについてあまり詳しくない僕が初めてその名を知ったのは、昼休みの休憩時間に流れていた『Successful Mission』(アニメ『セイバーマリオネット』のオープニングテーマ)という曲だった。 声優さんから音楽へ、ではなく音楽から声優さんへという流れである。 当時すでに林原さんは『スレイヤーズ』のリナ、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイなど、そうそうたる役柄を演じられていたわけで。 「閣下」などのあだ名がつけられている
そんなTさんが僕以外に気にかけていた人がいる。 やせ型で、院内を移動する際は車いすを使っている。 一見温和そうなおじいさん。 しかし、眼には鋭い眼光を宿している。 お風呂は週に三回。決まった曜日に同じフロアの患者がいっせいに入る。 その人を見てはっとした。背中一面に立派な龍を飼っているのだ。 温和そうに見えて鋭い眼光の理由はこれか。合点がいった。 以下、この人のことはSRさん(背中に龍)とでも呼ぶことにしよう。 僕は昔、学校になじめない生徒だった。陰湿ないじめにも合い、
そうだな、あれははるか昔の記憶-。 今から書くことは、いくらか物語であって、いくらか真実である。 読者諸氏は、どんなふうに読み取ってもらってもよい。 僕の心が壊された日。 突然として踏み入れることになる「そこ」は、文字通りこの社会から隔絶された、閉鎖的な空間だった。 その日の記憶は、あまり鮮明ではない。 昼過ぎに踏み入れた記憶はあるが、夕方までどう過ごしたのかも。 夕食は各自で食べると思っていたのに、朝昼夕の食事はデイルームでみんなで食べるから、お前も来いという。 そ
愛しい人への想いは、尽きることはない。 どこへ行っても、自分がどんなものになっても。 もっと想いを伝えたかったのに、愛する人は離れてしまった。 そこから自分の時計は、まるで止まってしまったかのよう。 穏やかな冬の日差しを受けながら、新しい年の足音を感じだす師走。 この時期になると、僕は毎年この曲を聴きたくなる。 TM NETWORKの『Still Love Her (失われた風景)』。 ※1988(昭和63)年12月9日、エピックレコードジャパンより発売 私事だ
150年前に新橋と横浜の間で開業した鉄道は、夢や希望や明日を願う人々を乗せて、今日もひた走る。 蒸気機関車から始まった駆動形式もまた、より快適に、より早く、より安全なものを求め、進化し続けているようだ。 人に歴史あり。鉄道にも歴史あり。 東海道新幹線の品川駅が開業したのは、2003年10月1日のことだった。 一連のキャンペーンソングとして起用されたのが、TOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』である。 ※2003(平成15)年10月1日、ユニバーサルミュージッ
先日、自転車で道路を走行していたときのこと。 自転車は左側通行なので道路の左側を走行していたら、真正面から猛スピードで直進してくる親子らしき人物が向かってきた。一切よけようとせず、直進でだ。 僕は猛スピードでの事故を怖れ、まず速度を落として直進者をよけようとした。 だがよけきれず、母親との事故は免れたが一切スピードを落とさなかった子供は、僕とぶつかり転倒。 その子供はわっと声を上げて泣きだした。 (おいおい、勘弁してくれよ) 僕は「大丈夫ですか?けがないですか?」と
相変わらずのひどい不眠症。 最近は再び悪夢にも襲われ出している。 なので、今は深夜4時なのだが、今から数年前の出来事を回想し、どうしてもnoteにその思いを吐き出したくなった。 実家から出ていた僕は、当時既に母との関係は疎遠にはなっていた。 が、あることで電話をしたら、相手が一方的に激怒。 「死ぬ!(死んでやる!)」と言って、がちゃっと電話を切られた。 心配になった僕は瞬時に警察に、こんなことがあったので様子を見に行ってほしいと連絡。 「分かりました。あなたも今か