冷えるな、熱くなれ

こんばんは。まーがりんです。
ここ最近一緒にご飯食べてた人がお腹壊してる。大丈夫かしら。
私は何とも無いのですが心配です。早く良くなりますように。

昔から「自分が誰かの助けになれば」「誰かに希望や勇気を与えることができれば」と豪語する人を冷めた目で見てしまう癖があります。
正直に言うと、そう豪語する人に対して「自分ごときが他人に希望や勇気を与えれると信じて疑わない、自己肯定に溢れた幸せな人」と見てしまいます。
すごいね、えらいね、自分にそんな価値があると信じてるんだね、誰かの気持ちを動かすことができるなど傲慢も甚だしいね。頑張ってね。醜い自己満足や利己主義を綺麗ごとで飾るなよ。
とても嫌味で卑屈な人間だなと思います。自分の無力感や価値のなさを諦念している。

最近思うのは、仕事でも趣味でも人生でも、本気で自分は誰かに希望や勇気を与えれると信じている人は強いのかもしれないということ。
私自身の考えを投影してしまってるのではないかということ。
だって本気でそう考えてる人達は総じてポジティブでギバー(与える側の人間)だから。
自分は無価値だと思っていない。自己肯定が自分自身でできる人たち。憧れるし、眩しいなと思います。
そう感じているということは希望や勇気をもらったんでしょうね。ほら、言わんこっちゃない。

私も大義を掲げてみようと思います。
自分でも誰かに希望や勇気を与えれると傲慢でも信じてみてもいいんでしょうか。
そうすることで新しい発見や自分自身の成長にも繋がるなら、win-winです。
私は自己成長や自分のために何かをしたがる利己的な人間だと思っていましたが、視野を広げて見れば大義のために動くことがひいては自分のためになるのかもしれません。
冷めるな、自らの大義を掲げろ、熱くなれ。

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