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日報 3月29日 心の在るところがふるさと

記入者:かくなみ みほ


コンサル君と連れ立って、地元のお蕎麦やさんに行きました。

「よくじいちゃんが出前をとってくれたなぁ」
と、子どもの頃を懐かしむようにコンサル君はつぶやきました。



店内に入る引き戸を開けると、
鉄琴を零したような音が盛大に鳴り響きました。

カウンター10席と、小上がりのテーブル席が3つの、
平成初期を思わせるこざっぱりとした雰囲気でした。

店内には、女性ボーカルのジャズが流れていました。

壁には、プロ野球選手のカレンダー、町の観光ポスター、
「コーヒーはいかがですか?一本150円」の店内セールスなど。


「そりゃあないよ」とか、
「でもあれだわ、ごめん。それちょっと持ってきて」とか、
すったもんだしながら作る調理場の様子がBGM。



「ぴゅ〜〜〜〜う」

と、やかんの声がしました。
まもなく、お茶とお水が同時に出てきました。



「天丼セット。ざるね、冷たい方。揚げ玉少々と、ホットコーヒー」
慣れた様子で注文を済ませたマダムは、スッ……とタバコを一本。

タバコのにおいが、ほんのり店内を満たします。



ほどなくして、わたしが注文した鍋焼きうどんがきました。
(鍋焼きうどんは、なんと言ってもネギがうまい)

コンサル君の注文した大盛り天津飯も出てきました。

それと同時に、わたしは背後に気配を感じました。
コト……という音がして、音の先を見ると、
ひとまわり小さい天津飯が鍋焼きうどんの横に置かれていました。

「サービス」
と言い残し、店主は厨房へ戻っていきました。



「ぎこちなさに年季が入っていて、すてきね」
と、コンサル君。

また来よう、と思いました。



Home is where the heart is.
ということわざがあります。

昔、コンサル君に教えてもらいました。
“心の在るところがふるさと”という意味です。


気のおけない友と過ごした日。
生きていることの意味を考えた日。
圧倒的な包容感と生きる喜びを覚えた日。

そして今日みたいに、
なんでもない夕方に蕎麦屋に入った日。

いる場所は違えど、
わたしの心があった場所は、みんなふるさと。



だから、地球は大きな故郷です。
みんなにとっても故郷ですね。
そんな水と緑の星に暮らしていられることが嬉しい。

明日も、心の在るところで生きよう。



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