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日々是祝日:出町柳(2021年9月14日)

8月は希死念慮の季節であった。

前期の授業が終わったところで、遠出の計画が立てられぬ以上、本当に外に出ることがなくなってしまった。

「金とメシとゲームがあれば家で十分過ごせるだろう」というのを前提に話を進める論客がそれなりにいて、強靱な人間だなあ、と思った。精神が健康なら、家でダラダラしていればよいだけの話なのだけど、そういう状況ではない。日常の中にいては吹き払えぬ種類の憂鬱というのは確かにある。

家の中で酷暑に喘いでいる僕は、ときどき思い出したかのように

「狂う!!!!!!」

と喚いては、頭を柱に撲ち付けていた。世間の大学生も大方そんな様子らしい。

そんな感じで日々を漫然と過ごしていたのであるが、言霊というのは本当らしい、「狂う」とばかり言っていたものだから、クーラーが水を吐き出すわ、祖父が脳梗塞で倒れるわ、父が変な言いがかりを付けて弟を打擲するわ、モノやらヒトやらが次々に壊れていった。自分の将来なんかに不安を感じている場合でもなくなって来て、杭全神社に詣った帰りに平野川に飛び込んで自殺した。秋風が流れた。

9月に入った。京都に向かった。

幸い雨は小降りに変わっていた。8月の気怠さを振り払えぬままで、これではいけないと焦るが、しかしなにをしたものか、とりあえずルネで本を物色してみるも、生来の吝嗇からか財布が気になって買い物も満足にできない。結局『グレート・ギャツビー』だけ買って出てしまった。屋上を見やると事務局員がいた。先輩後輩で軽口を叩きながら、テントに溜まった雨を落としているようであった。

気分に任せて歩いていると、出町枡形商店街に着いた。出町座を眺めながら「金と時間があったらな」と思ったが、歩いていると、「この町のみ力は?」という題の小学校のアンケートポスターがあったり、鯖街道を歩いた感想が集まっていたりするのを見つけて、こういう街の中にいられたらな、などと思っていると、鍋を見つけた。

「ぐつぐつグツグツ煮込んでます。 あけたら! いい匂いが?」

と蓋のところに書いてあるので、素直に従うと、そこには○○○○が○○○○○○してあって、思わず○○○○○○○○。

なんとなく心が軽くなった。

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京阪特急に乗った。七条を越えると地上に上がる。外はもうすっかり暗くなっていた。隣の女性はうつらうつらしながら、しかしヘアゴムを弄る手つきが繊細であった。ここから大阪市まで結構かかるので、続きを読もうと鞄から『雪国』を取り出した。駒子との出会いの振り返る場面で、島村は酷い男だなあと月並みな感想を抱きながら顔を上げると、もうすぐ京橋だろう、ビルの電飾が断然煌びやかであった。隣を見ると、先ほどの女性はいつのまにか、会社のUSBをつないでパソコンを触る中年の男性に変わっていた。

僕は出町柳で、大勢の人間と一緒に大阪に向かったはずであった。勝手ながら、ほのかな連帯感のようなものまで感じていた。しかし、当然ながら電車の乗客は絶えず入れ替わる。僕と一緒に乗った人たちは、一体どこで下りたのだろうか。今、一緒にこの車両に乗る人たちは、一体いつ乗ってきたのだろうか。ガラスの向こうから電飾の冷たい光が心の中に滑り込んできて、自分は孤独である、という感じがより真実らしく思えてきた。

下りる準備をしないといけないと思って、小説を鞄にしまい込む際、手になにかが触れた。この間「ピングー」のガチャガチャを引いたときのカプセルであった。

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卵を模したカワイイ代物であるが、一方でガチャのカプセルという点では、一度開くと閉じられないという致命的な短所があった。僕はそれを大変煩わしく思っていたのだが、

「でもまあ、卵の再現としては、これが誠実な態度かもな」

そう呟いた。

「親ガチャ」だなんだと言われているが、ともかく一度開かれてしまったそれを開いてないことにすることも、そう見せかけることも不可能なのである。今の自分の境遇を一旦は受け入れないといけない。憂鬱に対して、現実逃避的に「狂う」などと喚いている場合ではないのである。

「現実を見よう。現実を」

そう言いながら京阪電車を降りようとした。しかし、なぜか立つことができない。なんど踏ん張っても、背中に力を入れても、立つことができない。

そうだ、僕は8月末に平野川に入水したのであった。現実では、僕は死人なのだった。

京阪特急は生きとし生けるものの乗り物。乗降客として、死人はお呼びでないのである。

————京阪特急のドアが閉まり、走り始めた。電車の中にも、下車した客の中にも、僕の姿はなかったという・・・・・・

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(ちなみに当たったのはピンガでした。kawaii !!!)

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