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嘘をつく人々

誰も邪悪であろうと願うことはない。それでも邪悪な行動をする人は、道徳的な不条理に陥っているというわけだ。

カントの言葉は当たり前のことを言っているけれど、その当たり前が刺さる。

誰も邪悪な自分になんかなりたくもないし、自分の大切な人が邪悪だなんて思わない。

それなのに、本人もまわりも望まない邪悪な行動を、意図も容易くとってしまうのは何故だろう。

カントはその理由として、「人間性の何より悲しむべきところ、忌まわしいところは、    虚言、嘘をつける能力にある」と、繰り返し述べている。

うちの猫のマールは嘘をつかない。おそらく嘘をつくという意識も意思もない。だから、いつも純粋な目をしている。

子どもを「無垢な存在」と呼ぶ人がいるが、では、いつ、どのような条件の下で、彼らは無垢から嘘をつく存在に変身するのだろう。

知恵を持つわたしたち人間の、それは進化? それとも愚かな退化だろうか?

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児童養護施設で働いていた時、2歳の女児が平気で保育士に嘘をついていた。言葉を自由自在に操れるようになると、彼らの語彙には嘘が当たり前のようにインストール済みで、あとは、嘘をつくか否かの判断が委ねられていた。

でも、2歳かそこらの子どもには嘘をついている自分に対する、嫌悪感や軽蔑の気持ちはあるのだろうか?

そもそも、無垢で生まれた彼らは、いつ、    誰に、嘘をつくことを教わったのだろう?

誰を模倣して、虚言、嘘をついて人間社会を生き抜く術を身に付けたのだろう?

可愛らしい顔をして、平気で嘘をつく女児が気持ち悪くも、「人間らしいなあ~」とまじまじ眺めたもんだ。

虚言、嘘をつくことは良くないことだ。それでも、本能とも呼べるその人間特有の能力、意味があるのだろう。

その児童養護施設には、5歳の男児がいた。彼は、嘘が巧い女児の兄だったが、どうやら嘘つきの才は妹にいってしまい、嘘が下手な子どもだった。

「僕はアホやき」と言いながら泣く兄を妹が慰めていた。

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アホだから嘘が下手というならば、嘘つきが溢れている政治の世界には、賢い人がいるのだろう。

でも、どんなに個々の政治家は賢くたって、彼らの知識や情報、倫理観などの連携が御粗末様だったら、無駄金の使い放題だし、無駄骨の折り放題だ。

会計監査院が内閣のお金の使い方をチェックしているらしい。「アベノマスク」はギリでセーフだったが、「Cocoa」は厳しく指導が行われるようだ。

個人的には、ほんの数十人のコ○ナ患者さん対応しかしてない病院に、多額の資金が投入された件も監査して欲しいし、コ○ナという災難のどさくさに紛れて、ちゃっかり儲けた人たちも監査して欲しいもんだ。

あと、会計監査のみでなく、倫理監査などもやるべきだろう。

アメリカでは、大統領になる人は聖書に手を置いて「神に誓って(So help me God)」と宣誓を行う。

日本の内閣総理大臣は、何に宣誓しているのだろう。自分の胸に手を当てているのかな。そこに何があるのかな。