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嬉しかったこと(バトンリレー)


のほほ~んとしていた罰かしら、なんて冗談です。森尾さんから愛しいバトンが飛んできました。




■バトンを拾ってしまった


チェーンナーさんの"バトンリレー企画"は、優しい波紋がどこまでも広がっていくような愛の企画、と言ったら伝わるかしら。

飛んできたものにはとりあえず手を伸ばす。これは、幼い頃から餅拾いをしてきた習性のようで、拾ってしまった。

「人にしてもらって嬉しかったこと」かぁ。さてさて、何があるかしら。

飼っていた犬にしてもらって嬉しかったことならピ~ン!とくるけれど、人という縛りがありますね(笑)。



■『嬉しかったこと(母のおもひで)』


さんざん人に迷惑かけて、人に生かされて、ここまで生きてきた気がします。

人生はとんとん。良いことも、悪いことも、とんとん。何でも、とんとん。

でもですね、そうすると、残りの人生、釣り合いをとるには、人に喜んでもらえるような生き方をしなくちゃいけないようです。

さて、人は、何をしてもらうと喜ぶのかな?
あたしは、どんなときに嬉しかったのかな?


最初に思いつくのは小学生の頃のことです。
まだ幼かった弟が(確か小学校の低学年だったかな)、あたしが大切にしていた玩具を壊したことがあります。

母のお気に入りの3歳年下の弟、てっきり「お姉ちゃんだから我慢しなさい」と言うと思っていた母の口から出た言葉は、「貴史、お姉ちゃんに謝りなさい」でした。

それまで最低の母親!とめちゃくちゃ評価が低かったのが、いいところもあるかも。急に母を見る目が少しだけ、本当に少しだけれど変わりました。

同時に、この世界もまんざら捨てたもんでもないな、という気がしてきました。

子どもの癖に妙に上から目線ですが、こんな些細な出来事で、もう少し生きてみよう!と思ってしまい、今に至りました。


母には、『子育て』とはこうあるべき!とかいう深い思いはなく、何気なく言ったのかもしれません。でも、、、

ピタゴラスイッチ

人生を決めるのは人との出会い。誰と、どう関わるかが人生の分岐点(ピタゴラスイッチ)になるのかもしれません。

あの時、もし母の言葉が違うものだったら、あの分岐点で左に行ったあたしは正真正銘の天の邪鬼になってたかもしれないなぁ。

(今も天の邪鬼の要素が強いけどね)

あの時、自然に出せる、きき脚の右に進んだから、その後の人生も、踏ん張りのきく方の右脚をグイッと前に出してきた気がします。

(書いていて、自分でも意味不明)

あとは年齢とともに気になるフレイルに注意して、転けないように生きるだけです。

いやいや、人生100年時代だし、これからも人生の分岐点となるような出会いがあるかもしれないなぁ。

それは誰かしら?

誰だか分からないから、人生はおもしろい。出会った人は大切にして、渡されたバトンはありがたく受け取って、あたしもこの世界を紡ぐ何者かで在りたい。

そう思う夏の午後でした。暑いねぇ~

おしまい



■さいごに


あっ、目が悪くて、バトンを森尾さんに投げ返してしまいました。森尾さん、あとはよろしくお願いいたします~。

と言うことで、森尾さんよりアンカー宣言。
これにて打ち留めです。

チェーンナーさん、今回も愉しく参加させて頂きました。ありがとうございます!


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いつもコメントを書いてくれてありがとう!