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うつくしくちれ

「訴えたければ訴えて頂いて結構ですよ」
 と言いながら男は、私の前に分厚い紙の束を置いた。
「でも、ここにあなた、サインしてますよね、どんな結果になろうとも不服は申しません、と」

 男が指さした契約書には、確かに私のサインがあった。忘れていたわけじゃない。ただ、この結果は不満だという想いを伝えずにはいられなかったのだ。

「私は話したはずです、一時の感情でヤケにならない方がいい、それにあなたの家族が悲しみますよ、と。そしたらあなたは、自分がどうなろうと悲しむ人なんかいない、そして、この契約は長年の夢を叶えてくれるものなのだと、やっとの思いで、この発明をした私を捜し出したとおっしゃってましたよね」

 そう、しっかり覚えている。

「そもそも、あなたが契約したかった理由はなんでしたっけ。……そうそう、あなたは自分の無力さにうんざりしていた、特別な人間になれると自分に言い聞かせて生きてきたが、学校の成績も普通、容姿は普通以下、社会人になってからは、安月給で無能な上司にわめかれながらくだらない仕事をすることになり、ほとほと嫌気がさしたと。私は言いましたよね、過大な期待をしているようだが人生なんてそんなものだ、成功者にはそれなりの苦労があるし、人知れず努力をしているものなんです。努力をすれば成功するのかと聞かれたので、私は、報われない努力もあります、と答えました。あなたは、やっぱり契約するとおっしゃいました。私は内心、嬉しかったんです。私の発明は何の役にもたたない危険なものだと言われていたのに、あなたの夢を叶えることができるのだと思って。だから特に質のいい薬剤を使ったんです、ひときわ素晴らしく変身出来るように。そして、なるべく大勢から称賛されるように、コネを使って有名人が集うパーティー会場にあなたを連れて行ったんです、なのに一体何が不満なんです?」

 男はため息をついた。
「わざと嫌な匂いを撒き散らせて。引き取ってくれと会場から電話があった時には驚きましたよ」

 夫に先立たれ心を病んだ私の母は、花しか愛せない人間になってしまった。何よりも咲き誇る薔薇を、やさしい笑顔で眺めていた。母は私が成人する前に他界した。薔薇に囲まれた遺影はとても美しかった。私は平凡な人間として生きるくらいなら、人々から愛でられる綺麗な花になりたいと、華やかな大輪の薔薇になりたいと思ってきた。しかし念願が叶った私は期待していたほど注目もされず、愛でられず、全く心を満たされはしなかった。

「切り花の命は短いですから。これも最初にお話しましたが」

 意識が遠退き、私はカクンと首を垂れた。

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