Berlin_ベルリンの跡のタイル

歴史のパッチワークとしての都市・ベルリン

私の通っている大学は、歴史意匠が有名で、必ず過去とのつながりのもとにデザインするという暗黙の了解があった。

住民がとうの昔に忘れ去ってしまったその敷地のでき方、根付いている形のない文化、新陳代謝が激しい都市で消えゆくものを残す事に美徳を持つ、デザインとはそういうものだという共通認識のもとに教育を受けた。

「過去の軸を引いてきました」「インフラの痕跡を建築として顕在化します」そんなものを建築の設計に織り込もうと四苦八苦していたけど、学部時代はいまいちその意味がピンときていなかった。

それはデザイナーにしかわからないコードであり、建築に日常的に接する都市の住人たちは、それを空間体験としては認識できないのではないかと思っていたからである。(建築家が言葉で説明すれば理屈は通じるかもしれないが、一般の人々にとってはそれが一体なんだというのだろう)

一種のノスタルジアのようなものを抱きながら、再開発によって失われていく過去の産物への愛着を動機にして設計を行っていた私が、「負の歴史を後世に残す」という強い意思のもと作られている都市ベルリンに住んでみて気づいた事は、その行為が真っ直ぐに未来を見据えた結果であることでだった。

ベルリンには、過去の出来事をそのまま保存した建築やモニュメントがいたるところに存在する。それは普通の街並みの中に突如として「過去の叫び」と出くわすような感覚になる。

例えば、ベルリンの壁の跡には、ストーンが埋め込まれ街を歩いているとそこが東西の境界であったことを教えてくれる(カバー参照)、ナチス政権下で虐殺された人の名前、生年月日、命日、死亡した場所を10センチ四方の真鍮プレートに刻印してその人が住んでいた住居の前の舗道に埋めるという「つまずきの石」のプロジェクト、墓石の連続のようなピーター・アイゼンマンのホロコーストメモリアル、ダニエル・リベスキンドによるユダヤ博物館、不審火で焼失したドームに螺旋のスロープつきのガラスのクーポラがかけられた連邦議会(ノーマン・フォスターによるリノベーション)、戦争で焼失した森を戦後そのまま復元したtiergartenの森、戦争で破壊されたAnhalter Banhofの旧駅がそのままの状態で残された場所などなど。

それらは、過去への贖罪の意思という側面ももちろんあるだが、むしろ「きちんと未来に残し、それを二度と繰り返さない」という未来への強い意思と決意を示すデザインである。過去を省みるだけではない、あくまでも未来思考なのである。

そしてそれらの建築やランドスケープは、現在とは少しだけ異質な空気を孕んでいて、道行く人にその事実を教えてくれる。それらがベルリンの中枢にどかんと立っているのだ。日常的に目に触れる場所に。何かの記念日に思い出し、省みるメモリアルではなく、あくまで毎日視界に入ってくる。

たった1年ベルリンに住んでいた外国人の私でさえ、いたるところに残る過去の痕跡や断片が目に入るので気になり、調べ、この都市がどのようにできたのか、ここで何があったのか歴史を学ぶようになる。

中心地に位置する私が暮らした寮の家賃が異様に安いのは、ここがベルリンの壁の境界周辺だったから。
友達と中華料理を食べに行ったすこし閑散とした通りの中華料理やがあるアパートはヒットラーが亡くなった建物だった。
ポツダマープラッツが超高層の日本の再開発みたいになっているのは、ベルリンの壁で分断された広場であり、90年代まで廃墟だったから。

逆に、歴史の本を見ると、2016年の私にとっての日常の風景が、1945年や1989年には歴史の舞台だったということもある。
歴史の授業で習うことが現在とは断絶した、ある別の時間軸にある出来事のように感じていたけれど、その感覚はなくなり、妙にリアルな実感を伴って私の目の前に現れるようになった。

ベルリンの若者も、非常に政治や歴史認識への関心は高い。どのような過去があり、それが今に影響し、これから未来へどのように歩んでいくべきなのか、それをきちんと考え、実行に映している。
それは少なからず、過去の歴史がベルリンに散在し、日常の風景として存在しているからかもしれない、と思う。
都市が1つのメディアとなり、過去の出来事を未来の住人に語り継いでいるのである。人間の寿命よりも長いサイクルで存在している建築や都市だからこそできる役割なのかもしれない。
歴史のパッチワークでできている都市は、説教じみた過去からの声が響いているというよりも、現在の自分のルーツやアイデンティティを強く意識付けたり、その保証をしてくれるような存在だった。

1945年、日本と同じ敗戦国であり、一面の焼け野原だったはず。
それからこうも違う、対照的な都市や人々の価値観を目の当たりにして、日本人として私はどうすればいいのか、と留学中からずっと考え続けている。

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