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フランス生活の始まり。1日目の衝撃。

この記事は、こちら☟のマガジンの続きです。


「忘れもしない、2003年6月30日。
その日から私はフランスに住んでいる。」

前回の記事の冒頭で書いた通りの日、2003年6月30日。

パリからTGV(フランスの新幹線)で1時間と少しかかる町で1年間を「留学」という形で過ごすことに決めた私は、電車の中から景色を見ながら「22時なのにまだうっすらと明るいな」と思ったのを覚えている。

住む町の駅に着いた頃にはもう外は暗くなっていたけれど、滞在する国際学生寮へ行くのに、明るくても暗くてもタクシーを頼るしかなかった。バスの乗り方なんてわからない。

タクシーをつかまえることができて一安心。住所を見せて無事に寮までついて一安心。お金を必要以上に取られなくて一安心。

300部屋ほどある大きな国際学生寮に着いて、受付でまず自分の名前を言う。気難しそうな管理人さんと、若くて優しそうな女の人が迎えてくれたのだけど、言われていることは70パーセントくらいしかわからない。なんとなく手続きが終わって、なんとなくカギをもらって、なんとなく荷物を受け取った(日本から送っておいた段ボールを預かってもらっていた)。

エレベーターなんてない。日本で言う3階まで運ばなきゃいけない。スーツケースと段ボールは一度に運べないから、まずスーツケースだけ運ぶことを伝えて階段を上る。長旅で疲れている体に追い打ちをかけるかのような試練。まさに修行だった。大げさじゃなく、今でも強烈に覚えているから、相当緊張していたんだと思う。

階段を上る途中、たぶん北欧の国から来たであろう女の子が「手伝おうか?」と言って一緒にスーツケースを持ってくれた。その子は2階に用があったみたいだけど、私の部屋がある3階まで運んでくれた。たったそれだけで泣きそうなくらい嬉しくなって「大丈夫、がんばれる」と思った。

部屋に着くと、6畳くらいの部屋にベッドと小さい冷蔵庫、机と棚が置かれてあった。

サイトで寮の部屋を見ていたとはいえ、写真で見るのと実際に見るのとでは大違い。もちろん、写真では生活感あふれる快適そうな部屋に写っていたけれど、実際の部屋はがらんとして何もなく冷たく暗い。前に住んでいた人が出ていったのだから当たり前だし、スイートルームのような部屋を期待していたわけでもないけれど、やっぱり衝撃的だった。

スーツケースを置き、段ボールを取りにまた受付まで下り、3階の自分の部屋まで運び、、、。ベッドに座って段ボールを眺める。

テレビもラジオもない殺風景な部屋で、壁が薄いから周りの部屋の生活音と誰かが廊下を歩く音が聞こえるはずだったけど、心身共に疲れて座り込んだ私の耳には何も入ってこなかった。

放心状態で、自分で荷物を詰めたはずなのに異世界から来て自分のものじゃないような気がする段ボールの中身を確認しようと開けてみる。異国どころか、異世界からやってきた気がする。

開けた瞬間、やっぱり自分で詰めた見覚えのある荷物が入っていた。つい昨日までいた、自分の部屋の匂いがふわりとする。

と同時に、思い出した。

「そうだ、私は今フランスにいて、自分で選んだ道を歩むためにここにいるんだ。」

そう思った瞬間、フランス生活を始められる嬉しさよりも、今までにない大きな不安に襲われた。

日本を出てから気が張っていて、約20時間かけてたどり着いた場所には誰一人と自分を知っている人はいなくて、フランス語はまだよくわからない。

全て想定内のこと、ショックを受けるなんて自分でも驚いた。荷物を出しながら実家を思い出して、家を出たのは自分で、その状態を望んだのは自分自身の他ならないのに、なんでこんなにも涙が出るのだろう。

どんなに想像しても、心構えがあっても、実際に体験してみないとわからないことがある。私はその時に、窮屈だと思っていた実家がいつも快適だったこと、厳しかった両親がそれまで自分を守ってくれていたこと、自立する余裕があると思っていた自分が本当はまだまだ子供だったことを実感していた。


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