日本初海外出張団!お醤油が恋しいお侍さん達

幕臣だった私のヒーヒー爺さんにあたる人は、時は幕末万延元年(1860年)、遣米使節団の一員として軍艦ポーハタン号に乗り、アメリカにやってきたお侍さんの一人である。

海を渡ったサムライといえば咸臨丸、と思われがち。実際そうなのですが、実は咸臨丸が到達したのはサンフランシスコまで。これとは別に、ワシントンDCまで行った正式な使節団がいたのでした。

この使節団がワシントンに上陸した記念碑の除幕式があり、子孫の一員としてワシントンDCに行ったのがちょうど2年前。

テレビカメラも入り、政治家もやってきて、海軍のマーチング・バンドがズンジャカやっていた様子については、こちらにしたためたので、ぜひ読んでみてください。

福沢諭吉、勝海舟、ジョン万次郎。キャラが立ちまくっている人物がいっぱい乗っていた咸臨丸の影に隠れてしまっている正使団。

子孫として、この正使団のことをもっと世間にプロモートせねば。しかし、食べ物のことばかり考えている身として一番気になるのは、

初めての海外旅行!食べ物は大丈夫だったの?」そして「アメリカ大統領に、一体何食べさせてもらったの!!」というところ。

今回は、食べ物視点から正使団を見た話、第一弾です。

本題の前に・・使節団、アイドル並みの大人気!

使節団の一行は、品川→ホノルル→サンフランシスコ→パナマ→ワシントンDCと約3ヶ月かけて首都に到着。その後ボルチモア→フィラデルフィア→ニューヨークとアメリカの各都市を回っています。

各都市では初めて見るジャパニーズに諸手を上げての大歓迎だったらしく、行く先々では地元アメリカ人が日本人をひと目見ようとものすごい数の人が押し寄せたらしい。

特に通訳として参加した「トミー」こと立石斧次郎は大人気で、行く先々でキャーキャー言われ、箱いっぱいのラブレターを貰ったり、ストーカー並についてくる追っかけ女性がいたりと大変な騒ぎだったとか。

ワシントンに到着した時には4〜5,000人位沿道に人が押しかけたというし、ニューヨークではブロードウェイを大パレードまでしています。ブロードウェイでパレードできるなんて、何かに優勝したスポーツチーム並み!

さらに彼らが滞在したニューヨークのホテルは、「日本人歓迎ダンスパーティー」と称し、チケットをなんと1万枚売り上げるイベントまで開催しちゃっています。1万人といえば武道館をいっぱいにできるくらいの動員数!!!

まあ、各地で日本人が客寄せパンダ的扱いを受けた部分も無きにしもあらずですが、使節団を受け入れた各都市が自腹でかなりのお金をかけて歓迎したというから、手厚いお・も・て・な・し、を受けたことは間違いありません。

日米コメ問題!


日本人といえばやっぱり「コメ」。

今でこそカリフォルニア米が人気ですが、当時のアメリカでは、コメはカロライナやジョージアなど、南部で生産されている位でした。消費もその周辺地域でされていたので、彼らが滞在したサンフランシスコや、東海岸の都市で米食はそれほど一般的ではなかったかもしれません。

最初に到着したサンフランシスコでも、ホテルの初めての食事の時に大皿に持ったご飯が出てきたようです。参考にした日本語文献にはそれは「南アメリカ産」だったとありますが、当時南米諸国が輸出していた商品リストを見ても米が見当たらないため、これはSouth AmericaじゃなくてAmerican Southだったんじゃないかな、と勝手に推測します*

当時の南部ではプランテーションで、奴隷を使って米の生産が行われていました。「カロライナゴールド」という品種が当時から広く栽培されていましたが、もちろんこれはジャポニカ米ではなく、長粒種。

日本の米のように粘り気もないですし、初めて食べる日本人の口にはあんまり合わなかったかもしれません。使節団が食べた感想も、「陸稲(おかぼ)のようだ」、とありました。そういえばちょっと昔、コメ不足になってタイからタイ米を輸入して、まずいまずい騒いでた時期がありましたね・・。これはこれで、慣れると美味しいんですけれどもね。

さて、首都ワシントンDCで一行が滞在したウィラード・ホテルは、現在もホテルとして稼働中。私もワシントンに住んでいた頃、まさか先祖がここに滞在していたとはつゆ知らず、仕事の打ち合わせでたまに行ったりしていました。

とにかく今まで鎖国してきた日本に対して、いい印象を持ってもらおうと頑張っていたアメリカ*。一行がこのホテルに到着した日には、日本人の味覚に合うものを見極めるため、なんと30種類の料理を出したんだとか!

ここでもご飯を出してくれたようですが、最初はお粥っぽかったり、芯があったりと炊き方が悪かったので、通訳をキッチンに連れて行って、炊き方を教えたら改善されたらしい。

ワシントンDCもどちらかというと食事は南部風のものがあったりするので、米の扱いには慣れてるはずなのですが、どうだったんでしょう。長粒種のお米を芯があるように炊いたりお粥にしたりするのは逆に難しいので、使節団が持参したお米を使ったのかもしれません。

ホテルではその後キッチンを使節団に開放して、自炊もOKにしたようです。メンバーは一日に一度はご飯を食べ、下役や従者は朝食に餅や麦飯を食べたりしていたそうです。

ホテルのオーナー夫人が残した手紙では、使節団の人達の世話はそれほど手がかからず皆紳士であること、肉やお菓子の他に、とにかく米と卵を食べることが書かれていて、その量は一日に米は30キロ単位、卵は480個ぐらい消費しているとあります*。使節団は従者も含めると全部で70人はいたから、卵一人6−7個は食べてた計算です。どんだけー!

ワシントンDCに一番長く滞在していたので、その間ホテルの人も日本人の好みについて色々学び、気を使ってくれたようですが、その後向かったフィラデルフィアやニューヨークでは「バター入りご飯」が出てきて辟易したようです。

これはとても食べられないといったら、次に出されたご飯には砂糖が入って出てきたとか。ライスプディング風にしようとしたんでしょうか。他の食事も口に合わない肉料理だったので、仕方なくパンをかじったりした時もあったようです、って、パンは大丈夫だったんですね。

醤油が切れて、力が出ないよ〜〜


アメリカの食事は、米に魚に野菜を食べてきた日本人にとっては、油っこくて味気が無いものだったようです。バターライスがダメって位だからよっぽどです。

また当時のアメリカではサラダはまだ一部の上流階級位でしか食べられておらず、野菜はとにかくクッタクタになるまで煮るのが普通だったので、出汁や醤油のきいた煮物に慣れた舌には味気なかったに違いありません。

とにかく塩味やグルタミン酸の味に飢えていたのは間違いありません。英語でも、甘み、辛味、苦味、といった色々な味覚を表現する言葉のうち、旨味はズバリUMAMIといいます。もちろん西洋料理にも旨味成分がないわけではないですが、意識して言葉にするほどではなかったのかもしれません。

このため、日本から持参した塩、酢、醤油、辛子、胡椒をテーブルに置き、味が足りないと思ったらバシバシかけていた模様。

使節団、帰路はニューヨーク→ポルトグランデ(今のカボベルデ)→ロアンダ(今のアフリカ・アンゴラの首都)→喜望峰を回ってバタビア(今のジャカルタ)→香港と経由して日本に帰ってきています。

今も東海岸から日本に飛ぶのは結構キツイけど、これってもう世界一周!!!

しかし帰りの船ではどんどん日本食の備蓄も底を尽きてきます。持参した味噌などは悪くなってきて匂いも出てきたため、ニューヨーク出航前にアメリカ人船長がたまらなくなって海中投棄したとか。これは日本人にとってはかなりの悲劇だったに違いありません。

特に船の上での食事はさらに質が悪くなりますし、口に合わない肉料理がメインだったようで、皆さん、隠し持っていた醤油などをちびりちびり消費しながらしのいでいた模様。

副使だった村垣範正は「鰹節を削り、分けてもらった切り干し大根に、隠し持っていた醤油をちょっぴりかけてご飯と一緒に食べていた」と記録しています。

またメンバーの一人佐野鼎の記録によると、長い間醤油を口に出来なかった一団は「皆体に力が出なく」・・って、まるで顔が濡れたアンパンマン状態だった模様。

しかし立ち寄り先のバタビアで、長崎から輸出され売られていた醤油を見つけ、すごく高かったけれど2〜3合の瓶のものを200本も爆買いし、魚をおもいっきり醤油で煮付けたりしてようやく生き返ったんだとか。

日本に帰り着いたのはこれからさらに2ヶ月半経ってから。その間に200本の醤油、使いきったんでしょうか。

醤油が飲みたい・・・と滞米二日目にして父は言った

海外旅行にインスタント味噌汁を持って行ったり、カップラーメンをつい持って行ってしまう日本人。外国の料理もいいけど、やっぱりご飯と何か醤油味が欲しくなってしまう日本人。それはもう、今も昔も変わらないようで。

今回除幕式参加のために日本からやってきた両親も、しっかりインスタント味噌汁を携行してやってきました。

副使だった村垣範正の日記にも「世界中の国の中で日本だけ食べ物が変わってるから、外国行くと食べ物が合わずむっちゃ大変*」と書かれていて、当時から日本はユニーク、という認識が自分達の中にあったところが面白い。

ちなみに上記の「醤油が飲みたい」発言は、アメリカに着いて二日目、晩ごはんの相談をしている時に父から飛び出した言葉です(笑)。

昔も現代も、日本人の肉は米、血は醤油で出来ているのは変わらないようです・・。

注1)参考にした情報は*にリンクを貼ってあります。それ以外の使節団の足取りなど基本情報は、私が唯一持っている資料:「万延元年のアメリカ報告(宮永孝・新潮選書)」を参考にしただけなのでかなり限定的。いつかホンモノの手記を食べ物目線だけで読んでみたい。

注2)コンテスト参加のために、2年前に書いた記事を多少加筆訂正して再度アップしました。

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陳マリ

食べ物執着エッセイ

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