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ヒイヒイ爺さんが食べた大統領の晩餐

1860年、遣米使節団の一員としてアメリカに渡った我が家のヒイヒイ爺さん。最近まで鎖国してたのに、いきなり行って大変だった海外!現代の日本人もついやってしまう、荷物に米や醤油を詰め込んでの渡米となりました。詳しくは、こちらをご覧ください。

えーここでもう一度言います、咸臨丸は「護衛船」としてサンフランシスコに行っただけ!ワシントンDCまで行った正使団が、別にいたんです!

いわば、咸臨丸は『仮免取って、途中で教官に運転代わってもらいつつもディズニーランドになんとか自力でたどり着き、ワールドバザールまで行ってきた』のに対し、

正使団は『ディズニーランドまで運転手付きで行き、シンデレラ城にも行きミッキーマウスにも会いエレクトリカルパレードまで見てきた』位の違いかな・・・?!

そんな使節団、無事にワシントンDCに到着後、ミッキーマウス・・ではなくて大統領に謁見、ホワイトハウスでの晩餐会にも臨みました。

食べ物のことばっかり考えている身として気になったのは、やっぱり「日本初・海外出張団は大統領に一体何をごちそうになったのか?!」そして、「そういえば・・ヒイヒイ爺さんが会った大統領って、誰?」です。早速調べてみました。

本題の前に・・・えっと、何しに行ったの?

ではお侍さん達、なぜ二隻の船に便乗してまでわざわざアメリカに行ったのか。別にこれ、「外国に出て視野を広げる!」といった、今でもありがちな海外視察団として行ったわけではなく、ちょっとホワイトハウスに持っていくものがあったから行ったのでありました。

1853年、メリケン国からペリーが黒船でやってきた後、今度はタウンゼント・ハリスというおっさんが日本にやって来て、なあ、仲良うしようや、自由に貿易させろや、なあ〜、と色んなことを江戸幕府に迫ってきました。

(Wikipediaより。ちょっと怖い)

それを受け、江戸幕府がてんやわんやの大騒ぎ、すったもんだの末に「日米修好通商条約」をアメリカと結んだのは1858年。

その2年後の1860年。この約束で正式にオッケーです、ご査収ください、と公式にお互いが条約を認めたことを証明する「批准書」を持っていくために、江戸幕府がアメリカに送り込んだのが、万延元年遣米使節団だったのです。

ご馳走してくれたのは誰?

さて、ワシントンDCで無事にホワイトハウスに批准書を持って行く御役目を果たした使節団ですが、果たしてそれを受け取った大統領って一体誰だったか・・?

この人です。

Wikipediaより

え、誰?

日本じゃそこまで知られていないこの人。私も使節団のことを知るまでは知らなかったこの人、ジェームス・ブキャナン大統領。アメリカ大統領も40何回変わってるので、マイナーな大統領も多い・・。

ちなみに、翌年この人の次に大統領になったのが、かのエイブラハム・リンカーン

お、惜しい!!! 

もし会っていた大統領がリンカーンだったら・・・使節団も咸臨丸のメンバーを押しのけてもっともっと歴史のスポットライトを浴びてたかもしれないのに・・。

しかもブキャナン大統領、歴代大統領の中でも「最悪の大統領」に選ばれることもあるダメダメ大統領だった!!(2018年現在、そのタイトルは別の大統領に奪われつつありますが)

彼の次の大統領がリンカーンであることからわかるように、時代は奴隷制度などをめぐって国が分裂しつつある頃。南北戦争が起こる前年でありました。

2年前に参加した使節団上陸記念碑の除幕式でも、「国が大変な時期にお邪魔したのに色々お世話になりましてその節はどうも・・」的な挨拶が日本側から行われていましたが、

ブキャナン大統領は「南北戦争を阻止することが出来なかった、優柔不断なダメ大統領」のレッテルを貼られている人なんだそうです。うーん残念!

この点については、色々歴史的な評価がわかれる部分ではあるらしいのですが、食べ物の話題から外れるので、詳しくは見なかったことにします。

でも実際の使節団が咸臨丸の影に隠れちゃっているように、ブキャナン大統領もリンカーンという偉大な大統領が後に続いちゃったせいで、余計にキビシイ目で見られがちなのは、あるかもしれません。

最悪だけどグルメな大統領

さてこのブキャナンさん、大統領になる前は外交畑を歩いてきた人のようで、ロシア大使、上院外交委員会委員長、国務長官、イギリス大使などを歴任しています。

外交畑が長い・・・それはつまり、交渉が上手とかそういうことよりもなによりも、きっと彼はパーティーがお上手だったんじゃないだろうか?!

調べてみると実際に彼のパーティーはかなりグルメで洗練されていたことで有名らしく、1857年、彼の大統領就任ディナーのメニューは*

牡蠣 400ガロン(1ガロンで大体70〜90個位らしいので、3万個位)、チキンサラダ470リットル、ゼリー470リットル、アイスクリーム約800kg、牛8頭、ハムの塊75個、マトン60頭にシカ4頭。

途中からメニューというより原材料の羅列になってますが、マトンや鹿肉はおそらくローストなどにして出されたのだと思われます。あと野菜が根本的にないですね。

招待客は5000人。だとすると牡蠣なんかは一人5-6個か・・。さらに、周囲に各州の旗をあしらった1メートル20センチあるケーキが出されて盛り上がったそう。

「食卓外交」がお好きだったのか、ブキャナンさんは毎週40人ほどのゲストを集めては晩餐会を開いていたそうです。バターは新鮮なものを彼の故郷フィラデルフィアからお取り寄せするといったこだわりよう。

そんなこんなで、大統領がもらえる経費では足りず、晩餐会費用は随分自腹で賄っていたとか*

そんな大統領の好物として紹介されているのは、やはりヨーロッパの社交界で覚えたのか「おフランス料理」、そして生まれ故郷のペンシルバニア・ダッチ料理

17〜18世紀頃ドイツ語圏からペンシルバニアにやってきた移民の料理で(ダッチと言ってもオランダではない)、彼の好物として伝えられているのは、赤キャベツとか、チキンサラダ、そして「ザウアーブラーテン」。これは数日マリネしたお肉をポットローストにした料理です。

Wikipediaより

こ、これは脂っこいだなんだと洋食に文句タラタラなお侍さん達の口には合わなそうだ・・・。

そして好きなデザートには、フランスに馴染みが深い大統領らしく、シャルロットケーキが挙げられていますが、なぜかその他に挙げられていたのは

ジェファーソン・デイヴィスパイ(なんじゃそりゃ!)、連合国(Confederate)プディング(え?)

photo: allrecipes.com

聞いたことのないこのデザート、調べてみたところ、ジェファーソン・デイヴィスパイはいわば「ピーカンが入ってないピーカンパイ」。ブラウンシュガーやバターだけのパイ。

連合国プディングは、レシピにバラエティが色々ありましたが、リンゴやレーズン、シナモンを粉、ミルク、モラセスと混ぜて蒸したもの・・・らしい。

現代にはあまり伝わっていない料理のようですが、名前からして完全に南部の料理です。ジェファーソン・デイヴィスっていったら、南北戦争の時に国が分裂した時に、南部の大統領になった人だし。

この大統領の好物情報は、歴代大統領が好きだった食べ物料理本からの孫引き*なんですが、このセレクション、史実として本当に好きだったかどうだったかより、どうも北部出身だけど南部にシンパシーを感じていたとも批判される大統領への当て付けに感じられなくもない・・・。

ゲイ疑惑もあった大統領


でもまあ、彼が南部の文化に共感していた部分があったことはあながち嘘ではないよう。

彼は歴代大統領の中でも唯一独身を通した大統領。婚約者がいたけれど、多忙でスレ違いのあげくに婚約者に婚約破棄され、その後婚約者が自殺しちゃった・・という過去をお持ちで、この「過去の失恋の痛手」が独身の理由とも言われています。

が、実は彼、その後10年間以上同居していた男性がおり、ゲイ(またはバイセクシュアル)だった説も根強いようです。

Wikipediaより

同居していたのは議員・外交官を務めたウィリアム・キングという人。一緒に大統領・副大統領コンビとして出馬しようとしたこともあるそう。

長い間ルームメイトだったからゲイ説、というのも乱暴な気もしますが、2人ともソフトで女性っぽく、社交の場には必ず2人ペアで登場し、当時から「ちょっとエキセントリック」「あいつらアヤシイ」と噂になっていたとか。

このキングさんは信条的には北部、連邦側だったようですが、出身地はバリバリ南のノースカロライナ、そしてアラバマ州の議員でもありました。ブキャナン大統領は、このキングさんの話し方や行動にずいぶん影響を受け、また美化された南部の文化を愛でる傾向にあったようです。

キングさんはブキャナンの前の代の大統領の下で副大統領に就任しますが、就任後1ヶ月もしないうちに病気で亡くなっています。

独身のブキャナン政権においては、ファーストレディは彼の25歳の姪ハリエット・レインが担当していました。幼少時に両親を亡くし、大好きだったおじさんを自ら指名して養女にしてもらったんだとか。

Wikipediaより

25歳というとずいぶん若いですが、この貫禄。美人で有名で、イギリス大使になったおじさんについてロンドンに行き、社交界でも人気だったよう。彼女のファッションを真似する人も多かったとか。

政治的な思惑が色々飛び交うワシントンでは、晩餐会のような社交の場でも、政敵同士の席が隣にならないようにしたり、色々気を使わなければいけません。ファーストレディはそういう部分にも目を配らないといけないわけで、彼女は随分腕を振るっていたようです。

使節団がホワイトハウスでの晩餐会に訪れた時にも、彼女が色々と采配をふるいおもてなしをしており、「まるで女亭主のようだ」と使節団は記録しています。

至高のメニュー、亀のスープ!!

さてさて、思ったより大統領が香ばしい人物だったので引っ張ってしまいましたが、使節団、そんなグルメな大統領に何をご馳走になったんでしょう!

議会メンバーも招待されて開かれた晩餐会ですが、メニューは

ローストチキン、ヒラメ、ハム、アイスクリーム、ロブスター、鳩、そして亀のスープ


となっております*。って、また原材料ばっかりで料理法が書いてないんですが・・ここで特筆すべきは、「亀のスープ」が出されていることでしょうか。

亀のスープ。今じゃ南部などの特別料理的存在でなかなか見ることのできないメニューですが、17-18世紀のアメリカでは、バーベキューより人気で普通に食べられていたメニューだったそう。

ブキャナン大統領に限らず、歴代大統領のお気に入りのメニューとしても登場していますが、第一次大戦を境に工業化などが進むと同時にアメリカ人が食べる肉にも変化が現れ、亀はあまり食べられることがなくなったようです*

ブキャナン大統領の晩餐会で腕をふるったのは、ホワイトハウス近くにオートキュイジーヌ、つまりは超高級フレンチレストランを構えるフランス人シェフ、シャルル・ゴーティエ。後にリンカーンの就任ディナーも担当しています。

ブキャナン大統領の晩餐会で彼が料理を担当する時には、必ず亀のスープが出たとのことなので、使節が食べたディナーもゴーティエが作ったものに違いない!!

ゴーティエ風の亀のスープは「亀を甲羅ごと煮た後、内蔵を取り出し肉を適当な大きさに切り、クリーム、バター、マデラワインを加える」んだそうです。

日本語の資料では「スッポンのスープ」と紹介されていたのでコンソメっぽいのを想像していたんですが、結構濃そう・・ううむ!味が想像できない!!

バターライスも脂っこいと食べられず、料理に牛乳やクリームが入るのも苦手だったらしいお侍さんたちの口には、これも合ったものかどうか・・多分合わなかったかも・・(苦笑)

各自となりには議員夫人などの女性がついての晩餐会。弱冠26歳だったヒーヒー爺さんもお呼ばれして行ったようですが、隣のご婦人を見よう見まねで一生懸命食べたんだろうなぁ。

南北戦争勃発前年とはいえ、使節団が到着した時期はまだそこまで一触即発ではなかったはず。資料によっては、ブキャナンの時代は嵐の前の静けさ的な、国が分断される前の、古き良き時代的にとらえているものもありました。

ブキャナンにとっては、使節団が到着した頃は、収賄疑惑をめぐって大統領の罷免を求める委員会がわーきゃーやっていた時期でもあったようで、異国の地から来た変わった格好のミッキーマウス・・じゃなくてお侍の接待は、ある意味いい気分転換だったかもしれません。

結構面白いキャラの大統領がホストする、当時のトップシェフが用意したグルメな晩餐会。お侍さん達の口にあったかどうかはわかりませんが、とってもいいものを食べさせて貰ったようです。

(コンテスト参加のため、以前ノートに挙げたものを加筆修正して再度アップしました)

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