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朝から書く、朝だから書く

モーニングページ、というのを数年前から、ときどきやっています。

きっかけはこの本。図書館で借りて一度読んだきりで、しかも続けているうちに気持ちいいようにやり方を変えているので、本家とはちょっと違う部分もあるかもしれませんが、私の場合、ということで。


用意するのはノートとペン。あとは目覚めたばかりの、ぼーっとしている頭だけ。

どんなノートでもいいし、何色のペンでもいい。ただ、わたしが一つだけ守っているのはスマホをみたり、だれかと話したりする前にノートに向かうということです。

要は、目からも耳からも情報が入ってくる前に書き始める。字の汚さや誤字、文のねじれも気にせずに、ただ浮かんだことをもくもくと。胸のあたりに浮かぶ言葉が水のようにサラサラと手の先、ペンの先から流れていくイメージ。

うまいこと言えそうなので水の例えをもうちょっと続けます。書き始めはサラサラ、ちょろちょろ、1ページが終わる頃にはサーッ。2ページ、3ページと進むと、ザザーーーッと考えていることが文字になって流れ出る。…どうかな、気持ちよさ伝わるかな。

書き終わりのタイミングはその日によって違って、気づいたら2時間近く書き続けていた朝もありました笑 書いていると「もういいな、もう軽くなった。さ、今日を始めよっかな」って思える頃合いがあって、わたしはその言葉がよぎりはじめたら終わりにすることにしています。

本家はたしか、「書いてすぐはもちろん、しばらくの間、見返してはダメ」だったと思うのですが、わたしは書き終わるとすぐ見返しています。自分が今何に怯えていて、勇気付けられていて、誰を頼りにしているのか。嬉しい、悲しい、嫉妬、怒り、感謝。今朝の私は何色が強いのか。その色を見るのが楽しい。

朝は時間がないから、夜でもいいじゃない? と、試したこともあって。でも夜ってわたしはだめでした、まず頭が空っぽの状態を作れない。ノートに向かっても、最初から水に色が付いているようでした。だから、同じ「書く」でも日記とは違うな、と感じます。

朝はW、夜はM。

突然のMとWは何かって言うと、文章のテンションです。朝は上がったり下がったりしてだいたい「よーし、前向くか!」ってWみたいに斜め上で書き終わるけれど、夜は反省したり、後悔したり、M字。気持ちがちょっと下向いて書き終わるのです。まあ、ほんと当社比ですけれど。

最近、Twitterで話題の、暮らしと生活の違い。今回このnoteを書いていて気づいたのが、私は、朝書けている時期は「暮らしているぞ」、だし、書けていない時期は「生活しかしていない」ということ。書く内容の色もさることながら、「朝、書いているかどうか」自体が一つのバロメーターになりつつあるよう。

「書くことは、自分も誰かも遠くに連れて行く力がある」、というような言葉を書いていたのは誰だったかな。山田ズーニーさんだったかしら。

独立してからまだ2年にも満たないけれど、誰かの話を聴いては書き、書いては聴いてをするうちに、ズーニーさんのこの言葉の輪郭がはっきりしてきたような気がしています。

朝書くこと、そしてこの#平日の備忘録も、私や誰かをどこかへ連れて行ってくれる力があるのか。え、ほんとにー?! だとしたら、近所の公園でも、見慣れた川べりでもいいから、ぐーーっと大きく伸びができる場所がいいもんだな、と想像しながら、ぬくいこたつでパソコンをカタカタと。


さ、今日はおーわり。





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