見出し画像

トイレの神様とはじめて出会った今日は記念日。無条件に自分を愛すって?

すごいことに気づいてしまったわ。

またもや掃除ネタだけど。
掃除って汚れを取り除くことやん?
つまり汚れを悪しきものと捉え

「私の世界にお前は必要ないから排除させてもらう。ハッハッハ!くらえー洗剤の術!」
ぷしゅー!拭き拭き!

と、まるで平和とは逆のもののように思ってた。
ゴシゴシゴシ。きれいなれ!
汚れ落ちろ!
って。
そして今日もそんな心持ちで掃除をしていたことに気づく。
皆さんもそうなの??

でも私の生き方の中でしっくりくるのは「愛」
平和、調和、多様性の尊重、善悪や上下などジャッジの手放し。
これらのワードを並べてなんだか心が暖かく穏やかになるようなら、それは愛からくるものだと思ってる。
その時わたしの気持ちがそんな愛を感じられないことだとしたら、私にとってはなんだか違和感なんだよね。ここ最近ずっとそう。

そこではたと気づいた。

掃除とは汚れを排除するものではない。
汚れにすらもOKを出すこと。許可をすること。受容すること。肯定すること。仲間と思うこと。存在の一部と思うこと。きれいなピカピカの部分と等しく思えること。ピカピカの部分と同様愛しく思うこと。ありがとうと思えること。


何かを排除するのでなくて
ありがとうを表現する行為なのかも
って。

なぜそんなふうに思ったかって?
それはね。
作業中はポモドーロ。

今、ココこの瞬間に集中


ポモドーロの休憩の5分の間で目についた家事をただ無心でこなす。
時間制限があるから
「トイレを先にしようかな?待ってトイレきれいだから先に風呂かな?」とか
「このソファの下は長い柄のモップがいいよね?買ってこようかな?どっかあいてるかな?」とか
「どんなふうにすると段取りがいいかね?」
などと迷っている暇はなく
損得や効率性やさっきまで考えていたことや
頭をもたげる無不安な悩みなんか全部どっかに置いて
ただただ目の前に見えた箇所を拭き上げていくしかない。

今回も休憩5分タイマーが廻りだした途端(You Tubeでポモドーロ音楽聞いてます)、何も考えずトイレ掃除に取り掛かった。
冷静に考えれば
「掃除なんかしてる場合じゃない、たまりにたまった仕事をまず先に仕上げないと」
「収入の問題はもちろんだけど、何より関係者を待たせたらまずい。早め早めに仕事をこなしてみんなを安心させてあげないと」
という思考が浮かんできただろう。私のことだから。
でもそんなこと考える間もなく、ただ無心でトイレにとりかかる。

磨きあげつつ、いつものにように頭は別のことを考えようとしていた。
「さっきまで取り掛かっていた記事の続き、なんて書いていこうかな」
と、浮かんだ瞬間、今ココから離れた自分に気づく。

気づけば修正。
また意識を目の前のトイレを磨くに戻して
丁寧に丁寧に拭き上げるその行為を自分の目と心で追っていくのだ!
そう。まるで瞑想。
浮かんだ思考に対して
「瞑想中なのにまた雑念が浮かんできたぁぁ。なんで集中デキないんだ?!」
などとジャッジはしない。
ただ浮かんできたものがそのまま消えていくのを受け入れる。まるで雲が右から左に流れていくのを見ているだけのようにね。

そして私は眼の前のトイレの床に掃除シートを当てた。
すーーーーっと絶妙な圧をかけて滑らせる。
呼吸も自然にすーーーーっと深く静かな長い息になる。
意識がシートに集中していく。それは静寂。
まるで全汚れやホコリを撫でるように、愛しむようにすーーっとすーーーっと丁寧に静かに滑らせる。
その時突如として「トイレさんありがとう。汚れたちは私の生きてる証、ありがとう」という思いが湧き上がったの。
その思いをバカかよって否定せずジャッジせず
ただそこにとどまる。
そうすると次第に感謝で感極まってきたのだ。

そんな思いを抱けた自分が愛しくて愛しくてかわいくてかわいくて、涙がこみ上げてきた。
そう、私は自分で自分を愛したかったし、かわいいかわいいって抱きしめたかった。
誰かにそれをしてもらうと幸せだと勘違いしていたけれど、そうではない。もう成熟して大人になった私は誰かでなく、自分で自分を愛したかったんだ。まるで親や祖父母らが私にそうしたように、ただただ無条件に自分の存在自体を愛したかったんだ。
一番私がわたしといっしよに居て
一番長く居て
一番なんでも知っていて
これからも一番長く一番近いところにいる。
乳飲み子から幼子の頃は一番近くにいるのは保護者だったけど
行動範囲が広がるたびに親はその役割を少しずつ卒業していかなくてはならない。
自立に向かい始めるために。
大人になった私達の親は自分の中住まうもうひとりの自分なのだ。
逆を言えば私達の子供は自分の中に住まうもうひとりの自分(インナーチャイルド)

そう、私はわたしに無条件に愛されているってことを思い起こしたかったのね。
人間関係に疲れてきてたから余計に。

日常の何気ないルーティンのひとつも何の代わり映えもしないし利益も産まないトイレ掃除で、こんな素晴らしいことに気づけて泣けるなんて、どんなに私は幸せ者なんだよって思っちゃったのよね。てへ。

普段こうした慣れ親しんだ作業的ルーチン業務は
それを行いながらも頭の中ではほかに意識が飛んでいる。
今ココこの瞬間でなくて、過去の悔みや未来の不安やいろんなことが目まぐるしく頭の中を飛び交っている。
時間に追われ、なにかに追われ、慌ただしく日常を過ごす以上
常にそれはついてまわる。
何をするでもマルチタスク状態。
効率やスピードや結果を追い求め続けるから、常に頭が回転しエネルギーを消耗していく。頭の疲れは心の疲れ。

そんな中こうしてトイレ掃除から「愛」を感じさせてもらった。
ケンシロウなら愛を取り戻せたなとニッコリ笑ってくれそうかね?
ユーアーショック?笑

トイレの神様なんて信じたことなかったけど
今ココこの瞬間に集中してトイレを磨けば
そこはこんなにも神聖な場所になる。
まるで神が宿るかのように。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?