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(2)本当に読まれているという実感

contents
・「★スキ」はかなり意思のあるフィードバック
・データからも、読み手の意思を実感できる(誰でもできる反応率のススメ)
・アーティストだからこそ持つ恐怖、その先
・その見せ方、アガる
・次も読みますよ、楽しみにしてますよ 「フォロー」という意思表示
・まだ始めていない人へ向けてのnote論、そして小鹿アーティストへ向けて

noteの「★スキ」は、FacebookやTwitterやブログの「いいね」とは、ちょっと違う。「本当に読まれている感」が高い。

「★スキ」はかなり意思のあるフィードバック

使い方と有名度にもよるが、Facebookは個人名に気を遣って、Twitterはフォローしてほしい人が、ブログは通りすがりの人やマシンが、いいねを押し、フォローをし、アクセス数を出してくれる部分もある。

読まれている、というリアルな実感はあることはあるのだが、数少ない。対象がマスだということもある。

しかし、noteは今挙げたどのメディアより「作品」を掲載することに特化している。

内容が何であれ、自分の発信のすべてを「作品」と呼ぶとしてnoteは作品&想いを個人名で発信する場だ。

まず、掲載された作品はわざわざ「もっとみる」を押さなければ、全文は読めない。

しかもnoteアカウントがないと「★スキ」は押せないから、押している人は、少なくともnoteの仕組みが分かっていて自らも発信者で作品を作っている、または作品を読みたい人が反応している、という前提がある。(自分のを押してほしい前提で押している人もいるとは思うけどここでは対象外で)

私に自己アピールしたり気を遣ったりする必要がない、私を知らない人たちが、わざわざひと手間かけて「もっとみる」を押し、さらに内容を読んだ上で純粋に「★スキ」を押してくれている。
前提だけ鑑みても、「★スキ」はかなり意思のあるフィードバックである。

データからも、読み手の意思を実感できる(誰でもできる反応率のススメ)

さらに、アクセス数データからも、わかったことがある。
下記のデータを見てほしい。私の公開4日間の閲覧者数と「★スキ」のデータである。
(あなたの閲覧者数は、右上メニューバー三の印上をクリックすると出るメニュー内の、ダッシュボードを選択すると出るアクセス状況でyou can see)

ここから、閲覧した中から「★スキ」を押していただいた反応率を出してみた。※反応率=「★スキ」÷閲覧数

誰でも無料で出せるこのデータを見ても、作品閲覧者の濃度、というか質的なものが、早くも出てきている、とうことがわかる。つまり、ファン層の形成である。

これは別にいやらしい話でも自慢でもなく、これがnoteで作品を公開した作家たち全員に平等に起こっていくことだということを伝えたい。有名、無名を問わず。

セル色がオレンジになっている欄がnote中の「エッセイ作品」である。このデータの比較をみてほしい。

私はまず「色に救われる」という文章を出した。
続きとして、3日後に「色に救われて物語が生まれる」というタイトルの文章を掲載した。

最初に掲載した「色に救われる」は、「★スキ」反応率は、5.6%。
そして、昨晩未明に掲載した「色に救われて物語が生まれる」の「★スキ」反応率は、17.6%。

公開日数が少ないので閲覧数として見ると少ないのだが、閲覧してくださった反応率で見ると、3倍に上がっている。

これはつまり、読者がよりコアになっているということを示しているのではないか。作品のテイストが好きだと思った人が見てくれている率が上がっている、と捉えられるのではないか。

好きだから。同じ匂いを感じるから。何か心が動くものがあったから。

そういう理由があって、公開初日に読もうという意思を持って読んでくれた人が出始めたということだ。

私が出しているエッセイはマス向きではないし、感性はマイノリティであると思う。だからこそ書いて保っている。そんな世界に、何らかの共感をしてくれ(そんなに多くはないであろう)自分と同じ匂いを発して生きている人がこの世に存在して、「読みましたよ」と反応し始めてくれた、ということが数字からもわかる。

これは作品を出した後にのみ、味わえる醍醐味だ。

表現者だからこそ持つ恐怖、その先

クリエイトする、自分の表現を、表に出すのには、恐怖を伴うと思う。
特に本当に好きで大切にしている事を出そうと思うなら、なおさらである。

世界的に活動しているミュージシャンや音楽家のマネージャーをやっていた友人が教えてくれた話で忘れられない話がある。

それは、ある有名で何度もコンサートを行なっている音楽家が、初めての作品発表や、コンサートの直前はかなりナーバスになり神経質で情緒不安定になって、人格的に荒れるという話だ。

それも、ひとりではなく、その事務所に所属したアーティスト数名とも、そうだった、のだそうだ。世界で演奏活動してる人でさえ毎回こうなのだ。

「その感性だから、アーティストなんだと思う」と彼女は言っていた。

そんな有名になってもなのか! フリーライターになる前、その話を聞いて驚いた。アーティストって、恐怖感を克服しているのだと思っていた。怖くないから発表できるんだと勘違いしていた。そうじゃなかった。

発信の中身が本音で大切な事であるほど、なおさら、反応への感度だって上がるだろう。反応によっては痛みも出るだろう。痛みを想像してしまうと身のうちに恐怖が出る。(性格タイプと慣れにもよるが)これは人間のサガでもあるとも思う。

が、恐怖を超え、怖さを抱えたまま、反応に対する視点を何度も変えながら、表現を放出することを、人はやめない。

どんな有名な人だって怖いままそれでも、ただやり続けているというだけだ。

作品は自分のために作っている側面は、ある。
にしても、やはりフィードバックは嬉しい。見てくれる人が多くなるのは、素直に、すごい!って思う。嬉しい。

コピーライティングで最初に習うことに、3NOTの法則がある。
人は基本的に、読まない信じない買わない(動かない)。

人って、読まないのだ。

作品を書く前の自意識過剰な時は、誰も読まない、と思って書くと楽に書ける。
でも、作品を発表した後、本当に読まれないと凹む。

特に、作品の出しはじめ、発表しはじめである程、フィードバックは必要だと思う。

はじめてのとき、生まれたての小鹿みたいな心細さがある。だからこそ、本当に「読まれた」「反応をもらった」という事実が、沁みるように嬉しいことはない。

反応があるからこそ、ぱぁぁぁぁっと嬉しさが湧き出てそれこそが次へ、という原動力になる。自己満足だけでは、次へ続けられないものだ。

エッセイはまだ2作品だし、はじめて4日だ。このわずかな量と期間の中であっても、実感として感じられているのはすごいことだ。他のメディアにはない実感の強さが、楽しさにつながっている。

その見せ方、アガる

noteは閲覧数データの表示の仕方が秀逸だと思う。

ページ別に、加算方式でページビュー降順。
つまり、1作品に対するビュー総数が「増える」という形で見てわかる。

増えていく、ということは、なんと単純ににやる気に直結するんだろう!

無料ブログだと、今日のアクセス総数が単日毎に折れ線か棒グラフで出るので推移はわかるが、1作品への反応率やビュー総数はわからないという表示形式だ。(他の解析未使用の場合)

表示方法が違うだけでこの違いは・・・

と、ひとりで、うなった。

「これ、楽しいわ……」

というわけで、この楽しさを今シェアしてみようと、こうして書いているわけなんである。

次も読みますよ、楽しみにしてますよ 「フォロー」という意思表示

「★スキ」の分析でもわかるが、もっと如実に読み手の意思がわかるのは、「フォロー」という形だ。

私は、このnoteのタイトルを加筆型note論、とした。つまりタイトルで、続きありますよーという意思表示をしたということなのだが、そしたら、「フォロー」をいただいた。

エッセイの「★スキ」から連続しての「フォロー」があった。

次も読むよ。読みたいよ。読んでもいいよ。
そのフォロー一押しは絶大なメッセージだ。

うわー・゜ ゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚ 。+゜*。

作品を通して、自分の思いを出すことを通してつながった、という無上の喜び。共鳴していくこと。相手の琴線がひそむ場所に、少しでも触れ得たこと。

世界に居場所を自分で作っていく、その感覚。クリエイトする喜び。この世に存在してもいい、と言われているようだ。

私は職業ライターで、請負で文章を書いている。出版社経由の著作もあるが、ノウハウ本でかなりニッチな本だし、本を通すと読者が遠い。反応に実感がない。

そして、個人的には好きなジャンルだが出版するとなるとハードルがかなり高いエッセイや写真のような、自分の思いそのままを出すような著作は持っていない。でも個人的には、こういう随筆での表現が好きだ。

だから、noteで発表した後すべてのことを、ここまで、感じるのだと思う。

好きな人と、共感できる人と、繋がることができた、という実感。これは、恐怖感を超えて作品や思いを世の中に発表した先にしか得ることのできない恐怖を超える、大きな喜びだ。

まだ始めていない人へ向けてのnote論、そして小鹿アーティストへ向けてのメッセージ

私がこの記事を無料にしているのは、noteをやっていない、アカウントを持っていない人が読めるからだ。(投げ銭方式でも読めるのかがよくわからないということもある)

これは、まだnoteを始めようとして、始めていない人へ向けての、手紙のようにも思っている。そして、作品を発表してみたいと思いながら迷っている、過去の自分みたいな小鹿アーティストへ向けてのメッセージでもある。というか過去の自分へ、だと思う。

はやくやるといい。

生きることは行動することである、の著者、宇野千代先生も、手が書くのだといっている。頭の中にいくら名作を思いついても、実際に手を動かして書かないとそれは作品にはならない。何かを実際にやるのはいつだって手。まず、手を動かすのです。頭より先に。

世に出さないと、世界がその先へ展開できない。

照れや恥じらいや恐怖や、こじらせた色々は置いて、とにかくはじめてしまう。

自我に、ではなく、自分に芽生えた創造に、敬意払おう。それはすでに自分のものではない。

旧暦の新年、太陽を背にした月が、あなたを後押しするこの宇宙の追い風が吹いている今、始めるのには、うんと適している。


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