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「異邦人」という表現について

昨日、留学時代のドイツ人の友達3人と落語を観に行った。彼の大学のオチケンサークルのイベントで、ベテランの落語家さんが2本立ての小噺を行った。

落語の面白さについては一旦割愛する(そこそこ面白かったが、会話の節々にマッチョイズムや時代感覚のズレがあって、100%楽しめなかった)が、とても気になった点が一つあった。

「異邦人」がいらっしゃる...

1部の公演終了後、落語家は観客席を見渡し、私達のグループを見て「今日は珍しく『異邦人』の方々もいらっしゃって...」とコメントした。

一瞬ジョークか何かと思ったが、顔色から素のようだった。(あからさまに「外人の方」とか言われるよりはましだけど、それにしても酷い表現)

異邦人の漢字の成り立ちを考えて見ても「邦人(日本人)ではない人」である。つまり、この落語家は日本人ではないと目で分かった瞬間、「仲間じゃないよ」というレッテルを貼ってきたようである。

なんていうか酷い。もし自分が他の国に行って、「あなたは外人だからコレコレ、、」と言われたら単純にショックだし、心からは歓迎されてないなと感じる。

しかも、私の友達は日本語を5年近く既に勉強していて、日本に長期滞在してペラペラである。ゆっくり喋ってくれたり、テーマが分かりやすいもの(トランプネタとか)だったら、一緒に楽しめる。

「異邦人」という言葉から、相手の事情を理解しようとする姿勢は見られない。表現者にも関わらず、配慮にかけているなとがっかりした。

異邦人への「配慮」

一応「異邦人」に感想を求めてきた落語家は、「喋りが早くてあまり理解できなかった」というコメントをうけ、2部は配慮が感じられる演目をしてくれた。

〈良かった配慮〉
・キリスト教がテーマの、比較的馴染みやすい小噺
・比較的1部よりはゆっくりな喋り

〈悪かった配慮〉
・時事ネタがスケール小さい(相撲のスキャンダル)
・いわゆる「テンプレ外国人」みたいなキャラが登場するのだが、話し方と言い仕草と言い、ちょっと馬鹿にしてる感じがあった
(何か裏にメッセージがありキャラを演じているというよりかは、素で、多分これはうけるだろうと思っていた様子だった。しかも元々演じ分けがうまいため、その素の様子が誇張され、よりたちが悪い)
・ダジャレするも、日本語訳からの派生ネタが多かった(理解するのに逆に時間かかる)

(良いダジャレ)
「これはぶどう酒、これは水、これは湯だ(ユダ)」
(悪いダジャレ)
「神はパンのみみにして生きるにあらず」

総括すると、この落語家の「異邦人への配慮」は話を理解させるためにはうまく働いたが、中身が伴わず空回りしたように思う。残念極まりない。

今日はディス多めのレビューになってしまったが、最近の大坂なおみさんへのメディアの反応とか、センシティブな話題とも共通する問題と思いますまる。

お互いがお互いを理解してより良くコミュニケーションしていきたいですね!ではまた明日ー!
バイバイ!!

まりあさん

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