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偶然はなく起こること全てに意味がある

「人生に偶然はなく、起こること全てに意味がある」

誰しもどこかで一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

ノンディアリティや非二元論のティーチャー達は、
「人生に意味など無い」
と言われます。

では、どちらの意見が正しいのかというと、どちらか一方が正しくてもう一方は間違っているというのではなく、実は、両方とも正しいのです。

ここでは、「意味」というワードをどう捉えるかによります。

ノンデュアリティや非二元論のティーチャー達は、
「起こることは全て決まっており、ただ起きることだけが起きる。それ以外のことは決して起きない。」
と力説するわけですが、一番の大きな違いは、それら起きることに何らかの人間的解釈を付け加えるかどうか、ということです。

私個人としては、正直どちらでも良いと思っています。
大事なことは、私たち一人一人が心に平安を感じているかどうかということです。
世界はあなた自身が創造しているのですから、起きることに意味を付けようと付けまいと、それは全てあなた自身の自由ということになります。

私個人のこれまでの人生を振り返って考えて見ると、人生で起きることには全て意味があると信じています。

何かイヤな出来事が自分の身に降りかかってきたときは、
「何で自分だけがこんなひどい目に合わなければいけないんだ?」
とネガティブな気持ちになったりしますが、後になって振り返ってみると、
「あの時の苦労があったから、以下の自分がある。」
と言えることは、私自身数多く体験してきました。

人生の目的は、「学ぶこと」です。

もっと言うと、私たち人間は、学びたくてこの地球にわざわざ生まれてきていると言えます。

人生は「魂の学校」だと言っている人がいましたが、そういった意味ではその通りだと思います。

そして、人生での学びは、楽しいことよりも苦しいことを通して得られることが圧倒的に多いです。

それが、人生で苦しみが尽きない理由の一つでもあります。

例えば、私個人の体験談をお話しすると、私はどこの会社に行っても
恐れていることが現実化する、という経験を繰り返してきました。

これは非常に苦しい経験ではありましたが、これらの経験を通して、人間の深層心理・無意識領域のことやこれらが世界の認識構造を創り上げているということを学ぶことができました。


今現在、何らかの苦しみに遭っている方も数多くいらっしゃると思います。
そして、私の苦しみは一生続くのではないか、と思って絶望しているかもしれません。

しかし、先に真実を言うと、今の苦しみが永遠に続くことは絶対に無く、季節が移り替わるがごとく、状況は、人間の人知では全く想像もできないような展開で良い方向に変化していきます。

聖書には、次のような言葉があります。

「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないほどの試練に会わせることはないません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」       コリント人への第一の手紙 10章13節

このように、あなたが耐えられない試練は決して与えらえることはありません。

もし、今あなたが何らかの苦難に直面しているのであれば、
「この試練を通して今自分は何を学んでいるのだろう?」
と自分自答してみてください。

必ず何らかの答えがそこに隠されているはずです。

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