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さよなら2020年

お花見も花火大会にも行けずに、気が付いたら大晦日になっていた。

ライターとしてこの1年間、何をしてきたかと振り返ると、ひたすら新型コロナについて書いていた。
ビジネス誌の仕事では、いろんな業界の社長に「コロナの影響はどうですか」と問いかけてきた。
コロナが追い風になった会社ももちろんあったけど、それ以上に苦境に立たされた業界がたくさんあった。観光業の社長にも話を聞いた。

「売り上げが昨対10%を切りました」
「月の売り上げ0ですよ。こんなの初めてです」
「この状況で従業員を抱えて、正気でいられる経営者なんていないと思いますよ」
「いっせいにキャンセルの電話が鳴り響きました。そのうち、電話が鳴らなくなりました。静寂です」

そんな人たちに向かって、
「逆境から見えたものは何ですか」
なんて質問しているわたしは何様なんだと、自分の立ち位置を見失いそうになった瞬間もある。

一方で、乱世になれば幕末の志士みたいな人もたくさん現れるわけで。
そんな志士たちが決まって言う、先の見えない時代だからこそ、スキルを身に着けようぜ、一歩踏み出そうぜ、ピンチはチャンスなんだぜ、ウェイウェイ。
みたいな原稿も、たくさん書いた。

結果、わたしはコロナを消費しながら、この1年を生き抜いてきたのだ。

春先に大好きな東京の街から明かりが消えて、
ようやく少し戻ったと思ったら、あちこちに閉店の貼り紙。
夏以降、地方出張が復活したら、
「スリッパを持参してください」と言われたり。
「やっぱり直接会わなきゃね」と対面取材を希望されても、そのあとに
「でも、コロナは持ってこないでね」と冗談とも本気ともとれないことを言われ。
お店に入ろうとすれば手にアルコールを吹きかけられ、毎回おでこに銃口みたいな体温計を突き付けられ、席を立った瞬間に椅子をアルコールでふかれて。
誰が悪いわけでもない。ぶつける先のない怒りや悲しみは、心に小さなかすり傷をたくさん作り、少しずつ心がすり減っていくのを感じた。
あぁ、わたし、傷ついているんだなと思って、何度か泣いた。

それでも頑張れたのは、エンターテインメントがあったからだ。
もともとテレビドラマも映画も好きだけど、今年ほど、その存在の大きさを感じたことはない。
自粛期間中に止まっていたドラマや映画が再開して、その作品に込められた制作者の本気が、わたしを奮い立たせてくれた。月並みな言葉だけど、救われたんだと思う。
シンプルに、いいものを作りたいという気持ち。コンテンツに真摯に向き合うということ。
それだけは、この1年、わたしも貫けたと思える。

こんなめちゃくちゃな年から得た教訓なんてないし、何も学ばなくていいと思う。
みんな、じゅうぶん頑張った1年だったよね。いま、生きていることが尊い。

もう、こんな年は二度とごめんやで。バイバイ! 2020年。

ノンフィクションを書きたいです!取材費に使わせていただき、必ず書籍化します。