表紙

ソレダケ、思いのたけ


綾野剛さんのファンで、それ以前から映画を観ることは好きで。

でも、3日連続で同じ映画を観に映画館に通ったのって人生初めて。

観に行っちゃったその映画が、「ソレダケ/that’s it」です。

ネタバレしないで感想をいうのが難しい作品だし、ふだんのTwitterではとても語り切れないので、こちらで書くことに。

映画批評なんてできる人間ではないので、ほんとにただひたすら思いのたけ、だけのnoteです。


■冒頭からしびれる!

冒頭、ギターの爆音とともにキャストの名前が順に現れるところからしてもうかっこいい! 石井岳龍監督の前作「シャニダールの花」もオープニングがかっこよくて、どうして「綾野剛」って文字だけでこんなにかっこいいんだろうとか思ったものですが、今作はそれをさらに大きく上回るかっこよさ!(←何回かっこいいと言うのやら!)

そして暗転して真っ暗な画面から聞こえる声。

シャニダールに続いて石井岳龍映画の第一声は綾野剛が務めます。(じつは1回目鑑賞時気づかず…!まさか第一声で来るとは思わなかった、不覚!)。

「おまえは死んでいる」「おれはまだ死んでない!」最後まで観るとわかるとおり、クライマックスのシーンの大黒と千手のやりとり。会話、叫び、笑い声を凝縮した音が冒頭で入り、銃声。そして、二丁拳銃のポーズで大黒が目覚める。

コインロッカーからの逃走劇がすぐ始まる。一気に惹きこまれていきます。

■ストーリーの構造、どこからが夢?

もう、実は、わたしここでわからないんですけど、二丁拳銃のポーズで目覚めるってことは、すでにこの段階で大黒の夢の中ってことなんだろうか?で、最後の最後まで(手術室のシーン含め)大黒の夢の中っていう理解でいいんだろうか?

…うーん…。荒唐無稽な千手襲撃は脳死状態の大黒の夢というのが「素直な解釈」と、プログラムにも記載あり、1回目観終わった時点では、「そうか、前半の千手の拷問のラストで、みずから頭を打ち付けて大黒は脳死状態になって、その後の画面がモノクロからカラーになったところからはすべて夢で、現実では千手が臓器を売りとばそうとしていて、最後の最後で千手を倒して同時に死んだ…というのが正解?」と思ったものの。いやいや、手術室のシーンはやっぱり現実世界じゃないでしょう。

そうすると、いちばんありそうなのは、

冒頭の二丁拳銃の構えは現実(あのポーズは彼の愛読書のデストロイヤーからきているだけ)→コインロッカーからの逃走劇からの千手の拷問までは現実→脳死→モノクロがカラーになったシーンから手術室のシーンまで含めてラストまで夢(あるいはラストの屋上は現実)

かなと思うのですが(自信ない)。

わたしは、あえて、ちょっと違う妄想仮説を採りたい。ので、以下その話。長いです。

■妙にひっかかる手術室のシーン

ノリノリの勢いで見ていると蛇足というか唐突に感じられる手術室のシーン。

理屈抜きに、あの妙にリアルな医者と看護師のいる手術室にあの恰好で参加してる千手様の違和感たらものすごい(笑)。

あのシーンはわざとそうしているはずで、そうすると「現実に千手が臓器売買しようとしてるシーン」というよりは「夢の中(心象風景)の一部」だと思います。自分でもああいう夢を見たことがあるような感じがする。自分が死んでしまっていて、周りの人がそれを見てる…というような夢。

大黒のバイタルサインが0になって心停止したのを見ている千手は、なんともいえない不思議な表情をしています。自分が死ぬのを見ているみたいにみえる。

悪がなければ善もない。相手が死んだら同時に自分も死ぬ。大黒と千手はそういう関係性のはずです(後述)。

■ハードディスクって何だったの?

戸籍データの入ったハードディスクというのが終始重要な小道具となっているのも気になるところ。大黒と千手、ふたりともディスクにすごく執着している。

でも、ディスクまわりのあれこれは、辻褄考えるといろいろおかしくて。まず、極悪ギャングが戸籍情報程度にあんなにむきになって自ら拷問したりするかな?とか、その大事なディスクを盗られたあげくいったん犯人捕まえたものの逃げられた恵比寿が、千手に始末されなかったのはなぜか、とか(ヤマさんが始末されたのはこの件で?海に投げ込まれてたのは実はヤマさん?そうだったら恵比寿そうとうワルだな、とか余談的に思うことはあるけど)。

ディスクは、裏社会の貴重品というだけでなく、例えば「自らのアイデンティティ」のような象徴的な意味を持たされているのではないかと。

そうであるなら、ディスク登場シーンはずっと夢であるように思われる。つまり冒頭のコインロッカーからディスクを奪うところも夢の中。

ということで、わたしの妄想仮説は「映画全体が誰かの夢」、です。

(←なんて。みんな当然そう思って観てたりして!? 観た人と話していないしネタバレがからむのであまりほかの方の感想も見かけなくて一般的にどう受け取られてるのかわからない(^^;)。

最後の手術室のシーンで、もはやストーリー上どうでもよくなって忘れてたディスクを、千手は眠る大黒に見せつけ、ラストで倒れた千手の手に握られた壊れたディスクが意味深に映される。その、自我の象徴ようなものを、大黒はみずからデリートし、千手はそれを手にしていたけれど死んだと同時にディスクは物理的に破壊された…この対になったあたりにも意味合いを感じます。

■仏教思想とキリスト教的世界観

手術室で「同時に」ふたりが死んだあとのカメラワーク、ふたりを上方から見ている視線があります。

「真の主人公」が解放された魂となって、己の分身のふたりの死を見届けている。そして魂はついに何度も死んでは起き上がるゾンビ幽霊生活を抜け出して(仏教でいう輪廻からの解脱的な位置づけ?)、最後に良い夢を見る…。

このへん、仏教関連の素養がわたしにあったらもうちょっと整理して考えられそうなのになあと己の無教養を嘆くところ。

それから、登場人物たちは神道・仏教・ヒンドゥー教など多神教の神の名前をもっているけれど、映画全体からは「父なる神に追放された人間たち」という一神教的世界観も強く感じる。(直接関係ないけど、千手と大黒が兄弟という設定は、カインとアベルの関係性も想起されたり)

■「父」と「主人公」

さて、夢を見ている主体である「真の主人公」とは何者か?

その前にラスボスについての疑問があって、なぜラスボスは「父」じゃなくて「兄(千手)」にすり替わったのか。

映画の構造としては父と子の対立が軸としてあるわけで、そう考えたら、大黒=千手、同一人物であると考えるしかない気がする(つまり、父との闘いはやがて自分との闘いに変化した?)。

主要登場人物の全員が父親にひどい目にあわされている(猪神は微妙・恵比寿は言及ないけど)。

「真のラスボス」は「父」(あるいは父に仮託されている何か)であり、「真の主人公」はその父に折檻され見捨てられた子。父から一方的に与えられたこの世の理不尽に、圧倒的に無力ながら抗する主人公。各人物のいろんな台詞からその主題を感じます。

■「主人公」の中の人格たち

最初は大黒と千手は表裏一体ということだけで考えていたけど、もっと考えたら、主要登場人物は全員、主人公の分身なのではないかと。

猪神に首を絞められて阿弥は「おとうさん、やめて」と無意識に言う。

恵比寿はどうやって知ったのか、大黒が生まれた時の話をするけれど、それも主人公が父親に言われ続けたエピソードで無意識にそれを恵比寿にしゃべらせたのかもしれない(実際、千手がどういうシチュエーションで弟の出生時の話を恵比寿にするのか想像しづらい。いや、嬉々として長台詞で教えてくれたのかもしれないけど笑)。

それぞれがひとりの人物の中の別の面を担っている存在。時にはお互いが対立したりしながら存在しているけれど、それはひとりの主人公の中にある葛藤ではないか。

執拗なまでにしょっちゅう、阿弥と大黒の痴話喧嘩が出てくるのも、主人公の中にある、復讐なんかやめて結婚とか平和な生活とかそんなもっと違う未来が…という気持ちと、父なるものを倒したい衝動が対立していることの表れではないか?

そして、各人格の中でも究極の対立が、生を希求する大黒と、死そのもののような千手で、このふたりも、ひとりの人物の中に存在する側面の具現化なのではないか。

登場人物はすべてひとりの人物から分かれた人格。

映画の冒頭から、すべてはひとりの脳内で行われていること。

と、捉えるのがわたしにとっては現時点で一番しっくりくる気がします。

■生き続ける主人公

主人公は父から殺されようとしているのか、捨てられてどこかで野垂れ死にしようとしているのかわからないが、死に瀕した状態、あるいは生きながら死んだような状態で夢を見る。

ディスクを手に入れたところから物語は動き出し、はじめは拷問され続けるばかり、一度はほとんど死に覆い尽くされそうになる…しかし、水の中からまた復活する。

この復活で、夢の中の「生」はまた強さを増し、視界はカラーでよりリアルになっていく(←ちょっと、このカラーに切り替わるタイミングのことは自分の中で整理しきれてない…)。

やがて意識の中で父と和解したり(本当は話してみたかった、と気づく)、そばにある愛にも気づいたりしながら、ディスク(=自らのアイデンティティ)への執着も消し去って、死を打倒することを誓って走り出す。そして圧倒的な強さを持つ死に抗って生の力を見せつける。

夢の終わりで、生も死も息絶え、そのふたりを上から主人公の魂が見下ろし、やがて離れていく。魂は懐かしい屋上へ。愛に包まれながら、ふっと目覚める。

その時の主人公の姿は、死の千手ではなく不屈の生である大黒の姿をとっている。もう二丁拳銃を構えることなく静かに目を開く。

…というような、ストーリーではないかと。。

一連の妄想は、「主人公が死ぬ間際に見た夢」でもありうるけど、不条理に抗うひとりの主人公の心象であれば、主人公は生きながらにしてその夢を見ていて、ラストシーンの後も登場人物たちを心に住まわせながら主人公はこれからも生きていくとも考えられる。

ラストの大黒の目が穏やかというより挑戦的であることを思えば、抵抗の物語はまだ続いていくと思いたい。

■わかったようでわからない…けどそれもいい

…なんて、しつこくさんざん考えてみたけど、わかったようで、やっぱり全然わかんないような気もしてくる…。監督はシンプルな物語だと言っているし、妄想仮説はちょっとごちゃごちゃ考えすぎな、的外れなような気もしてくる…。ああ、わからない。

けど、それも不快じゃなく。すべてひっくるめて楽しい体験。

いろいろ考える楽しみもありつつ、頭空っぽにしても、もう単純に映画体験として面白い。

そんな映画だと思いました。あー長かった。

このあとは軽い話をつれづれに。

■千手ファン的ツボ

ぶっとんだ悪役の千手完面白くて、綾野剛ファン(とくに悪役好き)としてはたまらなかった。

来るぞ来るぞとじらしておいて、ついに登場。それも最初は手下たちで見えないけど、後ろにいる!いる! 手下が左右にすっと分かれるとその奥から、地獄の陽炎の中から現れたような千手様、布で顔を半分隠した状態でもそれとわかる圧倒的オーラのご登場。降臨のファンファーレのようなギターの轟音の中、猪神のアジトにわざわざお越しになった千手様。部屋をまわるように足元だけをカメラが映していく間に場の用意が整い、気づくと千手様がうつむいて腰かけている。…からの長台詞!

これまでの綾野さんの役だとガッチャマンのジョーとかサイケデリックペインの魁人の登場シーンもなかなかだと思っていましたが、これはまたすごい登場でございました。たまらん。

その後の台詞も、「ブルース・リーって知ってるか」「想像を絶するよな」「左手挙げろ!」「意気地がないなぁ…」「この…腰抜けが」「日本語忘れたか」「プロなら製品チェックは当たり前だ」「おおぅ眼球はロシアか!」とか、もう声に出したい台詞でいっぱい笑。

なんなんでしょう、あのセリフの間合い。舞台演劇調でもあり、洋画の吹き替えで悪役がしゃべってるみたいな感じでもあった。てにをは抜きを多用してるからなのか、なんなのか。

監督のインタビューで「メカニカルな感じ」という表現があったけど、ほんとなんか親しみをこめてるかのような口調をしつつ目はイっちゃっててやってることは恐ろしくて、非人間感がとっても良かった。

しぐさも、酒瓶じゃなくてナイフを指さす、そのときの手の形とか、基本後ろ手に組んだ腕とか、銃撃戦の身のこなしとか。1つひとつにすごく意識が行き届いてて、今更だけどさすが綾野剛。

千手まわりのあれこれがまた可笑しくて!レトロポップな書体の「千手深水」ロゴで隠れ家バレバレだろとか、瞑想部屋のドアに「1000J」って書いてあってこれまたバレバレだろとか、咲夜だか輝夜の「千手から電話!」の手のひらジェスチャーとか、大黒の夢の中で作ったイメージだといっても面白すぎて愛おしすぎてニヤニヤ!

■好きなシーンいっぱい

千手以外でも好きなシーン、好きな台詞だらけ。

・大黒がねぐらに帰ってまず植木鉢に水をやるところ(レオンだ!)

・恵比寿の、しゃがみこんで見上げるあの姿勢。それこそ寅さんみたいに軽妙な与太話。

・ガネーシャのマスターの物腰が几帳面なところ(コーヒー置き直すとかイスの位置直すとか)

・猪神が真顔で固まっているところ(その実、中ではめまぐるしく計算してる感じ)

・猪神と美女たちのやりとり「咲夜、輝夜!」「はぁーい」「呼んだだけー!」とかタバコの付け方とかジャケットのかぶり方とか。

・敵から身を隠して室外機の隅で抱き合う大黒と阿弥は素直にロマンチック

・阿弥の台詞「もう終わりかよ頼りねえなあ!」「足し算引き算得意だよ」、歌みたい

・阿弥にボロボロに言われてちょっと泣きそうな大黒、戸籍をもらっておめでとうと言われて子供のような顔になる大黒

あ、挙げきれない…

あと、荒唐無稽ぶっ飛び映画なのにディティールが繊細で理知的なところは石井監督の特徴なのか。

阿弥が一瞬下着姿になるのも単にお色気シーンじゃなくて、大黒に借りてた服を突き返す意味でその前にちゃんと大黒が洗濯済みの阿弥の服を窓外に投げ出してるとか。(シャニダールの花でも、例えば、両親と妹を亡くした美月がいつも身につけているペンダントは3つの輪っかがついたデザイン…とか気づいたときうわぁ~と思った。)

お色気シーンといえば、阿弥の服から透ける体のラインとか、猪神の女たちとか、千手完様の存在そのものとか(←え?)、いわゆるエロいポイントはあるものの、直接的なそういうシーンはなく。まあ拷問シーンがそれを担っていると言えばそれまでですが…。

一番それを担っているのは、声だと思った。

なんといっても阿弥の悲鳴は全編にわたって絶妙なスパイスというか、場の緊迫感をつくりあげるのにすばらしい貢献をしていた。

シャニダールとソレダケの2作しか見ていないけど、出てる人みんな声が魅力的で、監督はきっと声フェチに違いない(←褒め称えています)。

■キャラ萌えする映画

これまた語りだしたらきりがないけど、各人物がみんないい。恵比寿と猪神のコンビはそれぞれ味があって魅力的。阿弥はヘルシーな色気とギャル感と素朴さの絶妙加減かわいい。そして回し蹴りアクションすごかった、歌もよかった。大黒のいろんな表情も魅力的。ウォン・カーウァイ映画とか松田優作とか往年のスターのような色気あり。そしてもちろん千手のぶっ飛び狂気。

キャラ萌えといえば、宗教もキャラの世界といえるし、妄想仮説の「ひとりの主人公から分かれた人格説」でいくとそれこそキャラクターなわけで。キャラクター映画とも言えそう。

■スターウォーズ!

真っ先には岩井俊二のスワロウテイルを連想したけれど(キャラ萌え感、音楽がキーになっているところ、疾走感)、観ているうちに「スターウォーズだ、これ!」と。圧倒的な悪のカリスマへの討ち入りはわくわくするし、はじめは敵かと思っていた相手が仲間に加わってくれた瞬間の興奮、はちゃめちゃな銃撃戦、宿命の対決! ザ・王道! 大黒=ルーク、阿弥=レイア…というかR2D2的な感じもする笑 猪神の衣装はちょっとハン・ソロっぽくて素敵。われらが千手完はそりゃあもうダース・ベーダーです。と言いたいけど、なんていうかもっとコミカルなものがあって、極悪ギャングのボスで拷問好きっていうとジャバ・ザ・ハット。(見た目は月とスッポン以上の違いがあります!)

まあ、似てるという話がしたいわけではなくて、それぐらい冒険活劇として面白かったってことを言いたい。

…どれだけ好きなんだ、自分、といい加減つっこみ入れたいぐらい長くなりました。

■音楽のこと

感想を書くのに音楽に触れないわけにはいかないと思いつつ、Bloodthirsty butchersをこの映画で知ったわたしには、映画に込められた思いが大きすぎて、まだなにも語れないなと思う。とても気持ち良くて、なんというか、置いてけぼりにはされない、寄り添う音楽だと感じました。これから聴いていきたい。シャニダールの花の時も音が印象的だったけれど、こんなに映画と一体に音楽を扱える監督の凄さを思い知らされた。

■たくさんの人がソレダケに出会えますように!

映画評でも言われているように、役者たちが嬉々として演じ、またそれぞれが得意とするであろう役柄で魅力全開のはまり役。監督を筆頭に作り手も、本当に作りたいものをつくっている感じが伝わってきて、観ているだけで共鳴して細胞が喜びに沸騰する。

なんかこんなに絶賛しちゃって、数週間後には熱がぱったり冷めちゃうかもしれない…とちょっと怖気づく気持ちもあったり。客観的に考えたら、あんな拷問シーンばかりの爆音映画にはまってる自分ってちょっと危ないんじゃないかとか思うし、背徳感みたいなものはある。大げさで、つじつま合わなくて、チープで、ダサい、変な映画…とも言える(それがすべて真剣で、それがすべて良さなんだけれど)。

でも、やっぱりここまで熱狂することってあまりないのは事実だから、もう手放しで絶賛することにした!(そしてたぶん熱狂しばらく冷めない…)

公開規模も限られ、宣伝もほとんど行われていないのが惜しい。好き嫌いは分かれる作品とは思いますが、好きになるであろう人たちもたくさんいるはず!そして好きだったらもう、並の好きでは収まらない中毒性のあるおもしろさ。

「ソレダケ/that’s it」、多くの人に届きますように!行くんだよ、その先に!

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