草迷宮

大阪に帰ってきました。で、なにをすんねやろなあ、私   All photos are …

草迷宮

大阪に帰ってきました。で、なにをすんねやろなあ、私   All photos are my own unless otherwise stated.

マガジン

  • 写真

    All photos are my own

  • 日記

  • 見たもの、聴いたもの

    美術、映画、演劇、舞踏、音楽、建築、などなどの記録。記憶。

  • 読んだ本

    読書の記録

  • ロンドン

最近の記事

+4

夏の終わり

    • 地下鉄の彼

      御堂筋線の車両の扉が開いて、たくさんの顔がホームに立つ私の方へと向かってくる。今まで会ったことのない人々の顔。でもどこかで見たような顔。顔、顔、顔。 昨年亡くなった義弟のことをふと思い出した。義「弟」とはいえ、私よりずっと年上だった彼は、十数年を癌と生きて亡くなった。最初の数年は何度も手術を受け、癌と闘い、再発してからは癌と共に生きることを選んだ。それでも亡くなる半年ほど前まで、緩やかに、でも確実に衰える身体でも、仕事に遊びにと忙しい日々を生きた人だった。 その彼が70歳

      • 父の引き出し

        父が入院している。腸閉塞。高校生の頃に虫垂炎をこじらせ腹膜炎を起こし手術をした、その傷跡の癒着が原因だそうだ。70年近く前の手術の跡が今頃になって、と驚いた。 今回もまた手術をせねばならなかった。コロナ禍でもあり面会はできない。それでも手術前までは二日に一度、病状と治療法の説明を受けに病院へ通い、その際にタブレットを利用したオンライン面会をさせてもらっていたのだが、手術後はそれも叶わなくなった。スマートフォンを持っての入院なので、病室の外へ出れば電話をかけることは可能なのだ

        • Beuys+Palermo 国立国際美術館

          Osaka / Italia / or... ? 美術展に一度足を踏み入れると2時間か3時間は出てこられないので、まずは腹ごしらえと近くのカフェに立ち寄った。急な階段を上がると、昼ご飯時には少し早かったからか、感染者数が再び増え始めたからか、それともオフィス街の日曜日だからか、随分と空いていた。迷わず、土佐堀川に面した席に腰掛ける。ラジオだろうか、イタリア語でDJが何やら喋っているなと思ったら、スティーヴ・ミラー・バンドのThe Jokerがかかった。川向こうの炉端焼きの店

        夏の終わり

        +3

        マガジン

        • 写真
          1本
        • 日記
          5本
        • 見たもの、聴いたもの
          12本
        • 読んだ本
          10本
        • ロンドン
          10本
        • 建築のこと
          12本

        記事

          岸政彦 柴崎友香 「大阪」

          本の帯に、ところで私はこの帯というのが大層苦手で、昔は買ったらすぐに外して捨ててしまっていたのだけれど、久しぶりに買う本たちはどうやら帯が装丁の一部、デザインの一部になっているようで持て余しているのだが、その帯に「大阪に来た人、大阪を出た人」とある。それなら大阪生まれで大阪から英国へと移住し、約30年ぶりに帰国した私は「大阪に戻った人」だなと、ぼんやり思った。 大阪「府」と大阪「市」の「二重行政」とやらが声高に語られ出した頃、名前がたまたま同じやからて、何を寝ぼけたこと云う

          岸政彦 柴崎友香 「大阪」

          境界線を引くもの、分断を超えるもの - Quo Vadis, Aida? アイダよ、何処へ?

          もう二十年ほど前、英国で様々な社会的問題を抱える地域の再活性化プラン作りに関わる仕事をしていた時に、ダービー郊外に延々と広がる公営福祉住宅団地で、難民を対象としたワークショップのファシリテーションをしたことがある。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終わって間もない頃で、私が話を聞かせてもらったのも、戦火を逃れてきたボシュニャク人のムスリムの人々だった。地域で難民を対象に開かれている英語教室にお邪魔してのワークショップだったが、参加者は全て小さな子どものいる母親たちだった。彼女たち

          境界線を引くもの、分断を超えるもの - Quo Vadis, Aida? アイダよ、何処へ?

          ヘレン・マクドナルド H is for Hawk (オはオオタカのオ)

          一度だけまともな庭のある家に住んだことがある。3人でシェアしていた築150年くらいの2階建てのテラスハウスで、ダイニングキッチンから大きなガラス張りの開口部を通って出られる裏庭があった。その庭に、近所で飼われている猫たちがやってくるのが好きだった。猫たちは、それぞれに好みの場所を見つけてはゆっくりと座って身繕いをしたり、あちこち茂みを覗いて回ったり、縄張り争い(よその庭だというのに!)をしたりしていた。彼らには、私の知らない世界、営みがあると思えるのが好ましかった。餌台を置く

          ヘレン・マクドナルド H is for Hawk (オはオオタカのオ)

          記憶のパズル

          アガパンサスがあちらこちらで咲いている。英国でもよくみかけた花だ。高く伸びた茎の先に柔らかな空色の花が花火のようだ。緑の筆を迷いなく走らせたような葉も良い。30年前にもみかけたろうかと考えるが、思い出せない。日本語名は紫君子蘭というらしい。「うちの近所にもようけ咲いてる。あっちもこっちもアガパンサスだらけやわ」と妹が云う。「そういえば、私も育ててたわ」と母が云う。「育ててたん?いつのこと?」と尋ねると「さあ、いつ頃やったかなあ」と曖昧だ。 2000年に(最後の)大学を卒業し

          記憶のパズル

          怒ること。怒るために。- 『武漢日記』と『海をあげる』

          2冊の怒りに満ちた本を読んだ。どちらも著者は女性で、ふたりとも自分が生まれた場所を深く深く愛していて、それゆえに、そこに生きる人々を、暮らしを、命を脅かす力に向かって、体を震わせるて、心の底から腹の底から怒っている。ふたりの眼差しは、それでも日々を懸命に生きる、生きようとする人々の姿に注がれ、彼女たちの耳は、ともすればスピーカーから大音量で流れてくる政治の言葉にかき消されてしまいそうな、小さな声、抗う声を拾い上げる。 でも、そこで、2冊の本の類似は終わるように思われた。

          怒ること。怒るために。- 『武漢日記』と『海をあげる』

          岸政彦 断片的なものの社会学 (とエジンバラ公フィリップの死)

          2021年4月9日、エジンバラ公フィリップが逝去した。99歳だというので、大往生といっていいのだろうが、キリスト教にも「大往生」という概念はあるのだろうか。 その日一日、英国メディアはどこも延々とフィリップ追悼番組を放送していたそうだ。いつも聴いているBBCラジオの国外向けのワールドサービスでさえ「予定を変更して」の追悼番組が放送された。 エジンバラ公はその高慢かつ傲慢で無礼な言動でよく知られ、19世紀からアップデートされないままの価値観/モラル/世界観(inherite

          岸政彦 断片的なものの社会学 (とエジンバラ公フィリップの死)

          Mein Erster Schultag

          もう7年半も前の話。 「娘の小学校初登校日に参列して」と誘われたときには少し驚いた。ロンドンで知り合って、彼女がドイツへ帰国してからもずっと親しくしているUによると、ドイツでは小学校へ入学する日は子どもにとって大切な大切な記念日で、「godmotherのあなたがいないと始まらない」と、いつもは物腰も言葉も優しく柔らかい彼女が、少しだけ強く押し付けるようにいった。 学校を始める子どもたちはたくさんの贈り物で祝福される。有名なのは両腕にやっと抱えられるほど大きな円錐形の筒(ジ

          Mein Erster Schultag

          サリー・ルーニー Normal People

          I was two years late for the party, but , well, I thought, better late than never. And yes, a hugely rewarding read, it was... 2017年の夏、友人の誘いもあって引っ越した先は、特に「ミレニアル世代」に人気の街だった。友人が家を買った頃は、ロンドンを代表する貧困地区の中でも特に問題が山積し、ギャング関連の発砲事件なども相次いであちらこちらにmurde

          サリー・ルーニー Normal People

          In Praise of Net Curtains

          日本でいうところの「レースのカーテン」を英国では一般に'net curtain'という。そして、私の周囲の建築関係者の間で「ネットカーテン」の評判は至極低いものだった。窓という建築的にいうと「空間」を形作る重要でかつ効果的なエレメントを、その計算づくの直線できっぱりと区切られた「開口部」を、ぼやぼやふわふわとした布で覆ってしまうことに対する嫌悪がその理由だったのか。あるいは「他人の目を気にしてカーテンを引いて暮らす」という行為を「小市民的」なものとして、どこかで見下していたの

          In Praise of Net Curtains

          ジェイムズ・リーバンクス English Pastoral

          * 英語バージョンはこちら/English Version それこそ何十年も前の話だけれど、北イングランドのシェフィールドという街の大学院の修士課程にいた。入学してしばらく経った頃、コースの計らいでピーク・ディストリクト国立公園に皆でピクニックに行くことになった。ピクニックとはいってもイングランドの秋のこと、予想通りの雨だった。もちろん雨天決行だ。イングランドだもの。 霧のような雨の中、うねうねと見渡す限り続く丘(rolling hills)をどこまでも歩いた。踏みなら

          ジェイムズ・リーバンクス English Pastoral

          James Rebanks - English Pastoral

          English Pastoral is such a beautifully crafted book - woven with the warp of vividly told personal histories and memories, and the weft of Rebanks's utmost love, faith and sense of responsibility towards his family, land, and the world we p

          James Rebanks - English Pastoral

          須賀敦子 ユルスナールの靴

          1987年、私は二十歳になった。その年の6月に森茉莉が逝き、12月にマルグリット・ユルスナールが死んだ。二十歳の私はようやっと文学の浜辺に立ったばかりで、おそるおそると爪先を濡らし、ひとつふたつと拾い上げた美しい貝殻の、選んでポケットにしまったうちのふたつがほろほろと崩れてしまった。一歩二歩と歩み出したばかりの私には、彼女たちが「死んでしまう」というのが不思議でたまらなく、そしてなんとも心細かった。(そういえば、確か澁澤龍彦も同じ年に世を去った。) ほぼ30年ぶりに大阪へ移

          須賀敦子 ユルスナールの靴