人は何のために生きているのか?(大川隆法著「太陽の法」ポイント解説②)
この記事に目を通して下さり、本当にありがとうございます!
私の記事では、大川隆法先生の累計3500回の法話、3100冊以上の著書から、おすすめポイントを紹介しています。
今回から数回に渡って、大川隆法著「太陽の法」のポイント解説に挑戦してまいりたいと思っています!
2024年、「何か一冊オススメ書籍は?」と訊かれたら、間違いなく『太陽の法』をおすすめさせていただきたいです。
「太陽の法」
「太陽の法」は幸福の科学の基本書かつ最重要経典です。
大川隆法先生は、1986年7月に大手総合商社を退社・独立後、わずか19日間で、自動書記にて、この『太陽の法』を書き上げたと言われています。
(自動書記とは、天上界の啓示を受けて、ひとりでに文章を綴っていくような状態です。)
つまり、この『太陽の法』こそが、華々しい経歴を誇ってきた大川隆法先生が、学歴や出世街道など、約束されたエリートとしての未来全てを投げ捨ててでも書きたかった、真理の一書、ということになります。
以後、『太陽の法』は当会の根本経典として、30年以上もの間、人々の心を潤し続け、世界23言語で発刊の大ベストセラーとなっています!
愛とは何か。
悟りとは何か。
神仏とは何か。
人間は、何のために生まれ、生きるのか。
宇宙の始まりから地球の成り立ち、生命の誕生、
そして文明の変遷、さらに人類の進むべき未来まで。
永遠の疑問への答えを明確に説き明かした「太陽の法」。
その魅力の一端なりとも、このnoteにてご紹介できれば、この上なく光栄です。
この一冊と出逢うために、あなたは生まれてきた―。
その言葉の意味を噛みしめながら、このnoteで出会ったすべての皆さまに、愛をこめて、『太陽の法』との出会いを贈ります。
第二回目となる今回は、『太陽の法』第1章「太陽の昇る時」から、第2節「仏とはなにか」をご紹介します。
「仏とはなにか」
現在、この地上の三次元世界に生活しているみなさんは、自分のほんとうの「人生」について、真剣に考えたことがありますか。
真剣に考えたことのある方は、その結果、一体どのような結論を出したでしょうか。
人生というものについて考える以上は、なにをもって人生の定義とするか、ということからはじめなければならないと思います。
みなさんは、人生とは、人間がこの地上に生まれおちてから死ぬまでの、数十年間のことだと考えているのでしょうか。
もしそう考えているとしたら、私の本を手にしたこの瞬間から、みなさんの人生観は、根本からくつがえされるはずです。
もし人生が有限であり、両親によって名づけられた、特定の名前をもつ人が死ねば、
あとには、ひと握りの灰と犬のえさにもならない骨だけが残って、それ以外の大部分は、二酸化炭素と水蒸気になって、空中に霧散してしまうにすぎないものであるとするならば、
みなさんは、一体なんのために努力して生きるのでしょうか。
なんのために学問をし、なんのために苦労するのでしょうか。
そして、なんのために人生観を磨き、なんのために夢を追いつづけてきたのでしょうか。
二千五百数十年前に、インドで、ゴータマ・シッダールタ、すなわち、釈迦が説いた教え(仏法)は、まったくのうそであったのでしょうか。
釈迦が八十年の生涯を通して説きつづけてきた人生の意義と使命、あの世、すなわち、実在の世界があるという教説は、世人を迷わす空言にすぎなかったのでしょうか。
そうではないはずです。
それは、未発達の人間が考えついた教説ではなかったはずです。
現代の知識人と自らを誇る人々よ。
あなたがたのうち、一体だれが、釈尊(釈迦の尊称)を論破するだけの真理を体得し、道破しえたというのでしょうか。
もし、釈尊の教えが、まったくのつくりごとだというならば、では、いまから二千年前にイエス・キリストが説いた真理も、同様に空言だといいきれましょうか。
世界人類、十数億の人々が尊敬してやまない、あのイエス・キリストが信じつづけていた「神」は、彼の独断と偏見にもとづくまったくの空理空論だと決めつけられましょうか。
ゲッセマネの園で血の汗を流して祈り、イバラの冠をかぶって十字架につけられた、あの真実の真理の使徒に対して、狂人呼ばわりする人がいるならば、
その人こそ、世人の前に歩み出て、自らが狂っていないことを証明するべきです。
霊を目の前に出して見せるなら信じるという、一見、科学的合理主義者に対して、私はいいましょう。
釈迦やキリストという人類数千年の歴史が誇る偉人に対して、あなたがたは、脱帽敬礼をしてから、その言葉を発しなさい、と。
人類数千年の歴史が「尊敬」の二文字をふしつづけてやまない彼らの教説を一笑にふす自信があるならば、
彼ら以上の人格者であることを、まず、あなたがたが証明してごらんなさい、と。
だれひとりとして、そんなことはできないはずです。
なぜならば、人類最高の悟りを得た釈迦、そして、釈迦の本体、エル・カンターレから指導を受けたキリスト以上に、仏法真理を究めた人間は、かつていないからです。
そこで、あなたがたは、まず、虚心坦懐(きょしんたんかい)に、「仏の教えとはなにか」ということを学んでいくべきではありませんか。
このことこそが、真の意味での科学的実証精神ではないのでしょうか。
人生の探求は、どこかで必ず仏の導きに巡り会わざるをえません。
仏の教えを知る手がかりは、人生の随所にちりばめられています。
誕生のときと、死ぬときとが、その最大の手がかりではありますが、それ以外にも、病気、恋愛、挫折のときにも、仏はちらちらとその姿をのぞかせるのです。
私は本書全体を通して、「仏とはなにか」という問いに答えていこうと思います。
その途中において、「人生の目的と使命」に関して、数多くのヒントと解答をみなさんに呈示することとなるでしょう。
(大川隆法著「太陽の法」第1章「太陽の昇る時」第2節「仏とはなにか」より)
〈感想・気づき〉
・何のために生きているのか?
人生って何だろう?
何のために生きるんだろう?
皆さんの誰しもが、一度は考えたことのあるテーマではないでしょうか。
そして、先生の仰る通り、死ねば終わりで、灰と骨になる人生だとするならば、一体何のために努力して生きるのか、虚しくはありませんか?
人は苦労して学問を究め、夢を追いつづけていきますが、それがこの人生のためだけたとしたら、実に短く、刹那的なものになりませんか?
・釈尊、イエス・キリストの教えはウソだと言い切れるのか?
数千年に渡り、人類から深い尊敬を受けている、釈尊やイエス・キリストなどが説かれた真理を、まるっきり嘘だと証明することは誰にもできません。
また、最近では釈尊の一部の教えを取り出して、釈迦はあの世について語っていない、という意見の学者もいます。
しかし、実際には、梵天勧請(梵天が悟りを開いた仏陀に対し、教えを説くようにお願いしたという話)や、
悪魔との対話、施論・戒論、生天論(功徳を積んで天国に生まれ変わるとする説)の次第説法など、
さまざまな形であの世の世界を肯定していた事実があります。
・釈尊やキリストに脱帽敬礼してから、その言葉を発しなさい!
「あの世を信じられない」という現代人に対する一喝が、こちらです!
この言葉のパワーはものすごいものがありますね!
個人的な話で恐縮ですが、「釈尊やイエス・キリストに脱帽敬礼してから、その言葉を発しなさい!」はカッコよすぎて、小さい頃から何かにつけて、私の決め文句でした。笑
例え釈尊やイエス・キリストの時代にタイムスリップして、脱帽敬礼したって、「あなたの説かれる教えは怪しいです」なんて言えないですよね。
むしろ、どんな方なのか、お会いしてみたい……!という好奇心・探求心ならありますが。
イエス・キリストが自信をもって「天なる父」と仰った方についても、学んでいきたいものです。
・釈尊やイエス・キリストの思想には、現代人でも太刀打ちできない
また、いくら昔の偉人とはいえ、その思想の深さは現代人なんて遥かに超えています。
科学がなかった時代だから神に頼ったとか、そんなレベルの思想でもないはずです。
特に仏陀の教えは「八万四千の法門」とも言われ、数限りない種類の法が説かれています。
(ちなみに大川隆法先生の説かれる教えも数限りなく、ありがたくも大変な量となっております!笑)
このような尊い教えは、当然天上界のご指導があって降りてくるものだと思います。
また、釈尊やイエス・キリスト以上の人格者が出てこない理由はこちら。
エル・カンターレとは、世界中のすべての民族神を統合する、地球神です。
地球神の本体意識の一部が釈尊であり、地球神エル・カンターレ(「天なる父」)から直接指導を受けた存在が、イエス・キリストであると教えていただいています。
・日本人の常識は世界の非常識?
日本人は特に、「私は無宗教です」と答える方が多いのですが、海外に行った時に、不用意にその発言をするのは非常に危険だと言われています。
世界ではキリスト教をはじめとする宗教がまだまだ主流。
週末には教会に行くカルチャーの方々も、先進国アメリカにだって沢山います。
「日本人ってなんでみんな無宗教っていうわりに、神社とかお寺に行くの?」
と言われてしまうのは、海外の皆さんからしても異様だから。
基本的には神社とかお寺に参拝して、願い事をするというのは宗教行為ですし、そこに「上位存在」がいるから祈りも存在しています。
「無宗教です」といいながら、なぜ神社・仏閣には参拝しているの?
上位存在である「神」「仏」を意識せずに、一体何を祈ってるの?
海外の大多数の方から見たら、日本人の行動ほど不可解なものはありません。
「日本の常識」は「世界の非常識」かもしれない、ということは、頭の片隅に留めて置いてくださいね。
・人生の中で、仏の教えに出会うチャンスは散りばめられている
誕生、死、病気、恋愛、挫折など、人生の諸問題が起きる時。
皆さんが悩み苦しみ、人生の意味を考えるその時期こそ、仏法真理に出会うチャンスなのだと思います。
何のために生きているんだろう?
自分は何がしたいんだろう?
そう考えるチャンスが出てくるように、挫折の時があるのかもしれないですね。
人は何のために生きているのか?
その答えの一つは、苦難・困難を乗り越えて、魂を磨き、永遠の向上を目指すためです。
そして、苦難困難を通して、仏の教えに出会うためでもあるのだと思います。
皆さんの人生の良きタイミングで、このnoteに巡り合えますことを、心よりお祈りしています。
〈まとめ〉
今回のポイントをまとめておきましょう☆彡
自分のほんとうの「人生」について、真剣に考えたことがあるか。
もし人生が有限で、死ねば、灰と骨になるだけならば、一体何のために努力して生きるのか。
釈尊が説いた教え(仏法)や、イエス・キリストが信じた「神」はウソだと言いきれるのか。
「霊を目の前に出して見せるなら信じる」という者は、釈迦やキリストに脱帽敬礼をしてから、その言葉を発しなさい。
人類最高の悟りを得た釈迦、そして、釈迦の本体、エル・カンターレから指導を受けたキリスト以上に、仏法真理を究めた人間は、かつていない。
まずは先入観なく素直に、「仏の教えとはなにか」ということを学んでいくべき。それこそが、真の意味での科学的実証精神。
仏の教えを知る手がかりは、誕生、死、病気、恋愛、挫折など、人生の随所にちりばめられている。
釈尊やキリストに脱帽敬礼して、人生を生きてまいりましょう!
そして、真理を知るチャンスを、逃さずにつかみ取っていきましょう。
最後までご覧くださり、誠にありがとうございました‼
次回以降も、何卒よろしくお願い致します♪
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