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真のグローバル教育と乖離する日本の中学受験~のもきょうさんと安浪京子さんの対談を聞いて~

こんにちは。まりかです。
中学受験の世界に6歳?からどっぷり浸かっている私は、のもきょうさんと安浪京子先生の対談(Voicy FES11/17の対談)に刺激を受けて中学受験の過酷な現状や本当のグローバル教育について、思考がとめどなく溢れてきました。
プレミアムな内容(Voicy FESは有料、11/17の対談ももうすぐ有料化)に極力触れず、なるべく自身の体験談から話をしていきます。

結論からいうと、中学受験を経験し、指導をしている私自身が我が子を「中学受験をしないために」(ゆるめの)小学校受験で小中高一貫校に入れた、ということが中学受験の過酷さを表しているかもしれません。

私の経歴
・自身も相当過酷な中学受験をした
・大手中学受験塾勤務(指導・担任・新規顧客と面談・校舎マネジメント)
・学習指導歴はもうすぐ15年。
・現在はオンラインで中学受験理系科目の指導と親御様向けカウンセリングを行っています。(京子先生と同じ仕事、とも言える?)

私の自己紹介noteより

中学入学おめでとう。鉄緑会へようこそ

わたし、小学校低学年の頃はプロフィール帳に
趣味:勉強
って書くぐらい勉強が好きだったんです。
小学1年生でユニークな先生に出会い面白い問題をたくさん出してくれて考えることが大好きになって。やればやるほどどんどんできるようになって。

人よりちょっと先のことができた私に親が過大な期待を寄せ、お受験の塾に入れ、小学校受験をさせ、その後小学1年生から塾に入れ、中学受験をさせました。
親が全てだった小さい私は親が喜んでくれるからと勉強を頑張っていたけれどいつのまにか「やりたい」ものが「やらされている」に変わりました。
塾が9時や10時まで、その後も勉強が続き、あまりに眠くてトイレの床でうずくまって寝ては鍵を開けて叩き起こされる毎日。
模試の成績が悪く家を追い出されそうになって必死に掴んだ玄関のピンクの扉は、実家に帰るたびに当時の記憶を呼び覚まします。

「親の願う」第一志望には受からずも、なんとか中学受験を終えました。

やっとこの日々が終わる。

でも。気づいたら鉄緑会にいました。
あ、もうこの苦しい日々は永遠に終わらないのか。
もうここで私の心が完全に終わってしまったのだと思います。

※鉄緑会…基本「指定校」と呼ばれる十数校の中高の生徒しか入れない東大・医学部を目指す大学受験塾

11/17の対談で京子先生が涙ぐまれながら話されているのを聞いて、私がどうしてこんなにも勉強というものを「憎悪」しているのか、仕事に育児に奮闘する合間を縫って大学院進学を選ぶ友人たちを心底不思議に思うのか、わかった気がしました。

私立中高一貫校では高校3年生までのカリキュラムを高2までに終わらせるのが一般的ですが、鉄緑会では中3までに終わらせます。残りの高校3年間はその復習&演習。(今は知らないけど)
中3で対峙した高校数学はいくら考えてもわからない。でも周りの猛者達はそれをあたりまえにこなしている。
中学受験までは上位にいたはずなのに、今はもう何がわからないのかわからない。
息ができず海の底へと溺れていきました。

ところで知ってました?鉄緑会のビルの名前、「スタディランドビル」っていうんですよ。ふふふ。

子供中心の学びとカリキュラム中心の学び

お二人のお話を聞いていると海外と日本の教育の大きな違いはこれだなと。

海外(と言ってももちろん色々ある)の学校ではこの学年でここまで終わらせないといけないというカリキュラムは特になく、その子にあった教育をする。飛び級もできるしダウングレードもできる。
カリキュラムに子供を当てはめるのではなく、子供が自分にあう場所に行く。学校が合わなければ他の学校に変わるし、今の学年が合わなければ別の学年に行く。ただそれだけ。

でも日本では
「ここで育った子はこの学校にいきましょう」
「この年に生まれた子はこの教科書を学びましょう」

一つのレールしかなく、そこに子供を合わせざるを得ない。
一度乗って進み始めてしまったら別のレールに乗り換えることもできない。
(一度乗ったレールから落ちると「不登校」のレッテルを貼られる)
だから一度入ってしまった学校がどんなに合わなくても(よっぽどのことがない限り)やめられない。

自分はレールから外れそうなのを必死にしがみついている。
だからレールからハズレた人をバカにしたり、レールから飛び出て上に抜けた人の足をひっぱったりする。我慢しているからなんで自分だけが!我慢できていない人がずるい!という思いが強くなるんですよね。

やめることができない日本

のもきょうさんのこの本を読んで以降、不登校やいじめ、ブラック企業やパワハラなど日本で起きているどの問題をみても、結局「やめることができない」ことが諸悪の根源じゃないか!と気付かされます。

それはまさしく小さい頃から「やめる練習」をしていない、というより「できなかった」ことが起因している。
始めたからには頑張りなさい。周りも頑張ってるんだからあなたももう少し頑張りなさい。子供も、そしてそれを育てる親もやめるという選択肢を知らず、お互い苦しんでいくんですよね。

我が子の中学受験をスキップした私

物心ついた頃から塾に通い、中学受験をし、中学受験を教えている。
普通に考えれば我が子を中学受験させるのが自然なのかもしれません。
でも我が家ではそれを選びませんでした。

中学受験の世界が年々「異常」になっていること。そしてそれを耐えられるメンタルが親としての自分に備わっていないこと。中学受験を経て親と私の関係が現在に至るまでこじれていること。

親子ともに心を平穏に保ち、子供の成長を笑顔で見守っていく。そのために小中高一貫校に入れるという選択を取りました。
「お受験」というシステムを一旦踏む必要がありましたが1年程度で終わらせ、今は楽しく学校に通ってくれています。

もちろん、今の学校が合わなくなれば変えればいいだけ。その時一番子供に合う選択肢を一緒に隣で考えていきたいし、もし中学受験がその中の一つならば全力でサポートしたいとも思っています。

じゃあなぜ中学受験を指導しているのか

学ぶこと、考えること、わかることの楽しさを伝えたい。

受験というシステムは本当に過酷で、大きな傷を負いました。
ただ、小学1年生で知った「考えること」の楽しさは今の私の心にもしっかりと花を咲かせ続けてくれています。

テキストに書かれた文字を覚えることが学びではない。

書を捨てよ、町へ出よう

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫) 寺山 修司 (著),

とは言い得て妙で、本当の学びって外にたくさんあるんですよね。

夜見上げた星空に、
地面に小さく咲く花に、
買い物に行くスーパーに。

なぜ?なるほど!おもしろい!

本当の学びは誰かから強制的に与えられるものではなく自分の中から湧き出てくるものなんですよね。

指導する人間は子供の学びをサポートするためにいるのであって、大人がさせたいと思う学びを押し付けてはならないのです。

テキストを丸暗記している生徒にそれがどう実生活で役立っているのかを話すと、普段何気なく生活している身の回りに「つまらない机の上の勉強」と接点があるのかと驚かれます。実際に身をもって体験をしてみた生徒のワクワクする姿はとても素敵です。

結局、親

中学受験を否定する気はありません。
でも年々難しさが増していく中学受験の世界で、本当に我が子のためには何が必要なのか見極められる親は中々いません。

中学受験のNo.1に君臨した某大手塾を追うように、他の塾はどんどんカリキュラムを前倒しにしていきました。
6年生の夏までに基本の単元学習を終わらせていた塾が、テキストを改定し5年の終わりまでに終わらせようとする。

テキストについていける生徒は改訂とともに年々減っていきます。
もはやついていける方が異常。
多くの生徒に現在の6年生のテキストは必要ありません。

それでも何も知らない家庭にとって塾がいう宿題は「絶対」。明らかに子供にレベルも量も合っていないのに何とかやらせようとする。子供のために。
朝も夜も机に向かって勉強をしているのに、成績が上がらないどころかむしろ下がっていく。
そして私のところへやってくるのです。

まずはこの異常な中学受験業界の現状共有。そしてお子さんの現在地と目標の距離から、今必要なもの、必要でないものを分けていく。
そうすると大体のお子さんは今抱えているもののほとんどが不要、過剰であることになります。

あれもいらない、これもいらない。バッサバッサ切り捨てて
「これだけやればいい」
私はそう言うけれど、親は不安になることでしょう。
私を信じてくださり、子供を信じ、耐えた数カ月後に明らかに模試で点を取れるようになった(満点ではなく、その子が取るべき問題を「確実に」取れるように)姿がやってきます。親子で喜んで伝えてくれる姿は本当に嬉しい。もちろんその後の合格報告も。

とにかくたくさん難しいものをやらせなければならない、という思いに駆られてる親御様とどうにもわかりあえなかったものは一度や二度じゃありません。宗教の違いのようなもので中々難しいのですよね。

あれもこれも上を見ればきりがない受験の世界で、塾もあの手この手で教材や情報を与えてくる。これだけをしっかりやれば志望校に受かる。そうは頭でわかっていても「机に長く座って大量の教材を解いている」子供の姿を見るほうが親って「安心」なんですよね。
中学受験って子供の戦いなんだけど、本当は親のメンタルの試練でもある。

もちろん現代において、より「偏差値」の高いところにたくさん入れることが講師としての評価基準なのかもしれません。関東御三家にも関西御三家にも帰国入試でも合格実績はあるものの、正直そんなこと二の次です。
学びは人生とともにずっとある。子供が中学受験が終わっても学びたいと自ら思い続けられることこそが、私の役割なのではないかと思っています。

日本のグローバル教育と真のグローバル

11/17の対談で特に印象的だったのは日本が唱える「グローバル教育」と「真のグローバル教育」のあまりの乖離。

日本では少子化で戦うべく買収されて名前を変えた学校や新しくできた学校が「グローバル」をうたい生徒を集めていますが、その多くは本当のグローバル教育ではなく英語塾と変わらない。
確かに英語に力を入れて短期留学もできて海外進学も夢じゃない、と聞けば十分夢があるように思います。
大変お恥ずかしながら私もその視点で子供の学校選びをしていたように思います。

一方実際にマレーシアに拠点を移し、実際に海外現地で働いているのもきょうさんはグローバル教育って英語を学ぶ前にやることがあるよね、とおっしゃいます。

・答えが一つではないということ
・考えが違う色んな人と協力すること
・人の価値観を否定しないこと

https://voicy.jp/channel/2692/660756

自分と人はみんな違うということ。その違いを拒絶するのではなく受け入れること。
日本が勝つとか負けるとかそういったことはとうに時代遅れで、違う人だらけの中でみんなで協調して一緒に進んでいくこと。

共通のテストを受けてふるいにかけた人が残った私立学校は、共生していくこれからの社会と真逆の世界なのではないか。

今の居場所を飛び出し、色んな人と接する環境に身を置く機会を増やそうと、強く思ったのでした。

おわりに

これを書いていて気づいたのですが、お二人共「きょうこさん」なんですね。Voicy FESでつながった不思議なご縁。
これからもお二人の対談がとっても楽しみです!

のもきょうさんが対談内でお話されていた本、そして京子先生の本を早速読みたくなり手元にゲット。

最近アウトプット熱が冷めていたけれど、
お二人のように素敵な発信をされている方々の中に飛び込めるよう、発信を続けていきたいなとすごく刺激をもらいました。

素敵な対談ありがとうございました!
(書いてまずかったことがあれば教えてください!)


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