見出し画像

実在と時間・記憶・活動・印象の膠着|2021年4月12日~15日の日記

金曜と土曜の夜にこれを書いている。夜? もう朝じゃん。


4月16日のウロマガの質問に答えるやつを読んで、わたしはキャラクターをまさに「2次元」のものとして認識していたことに気づいた。つまり、描かれたキャラクターは実体(奥ゆき)がないだけでなく、「時間」をもっていない! これはかなり衝撃的な発見で、だからわたしは(作中で描かれているのでないかぎり)キャラクターの過去や未来を想像できなかったのだとわかった。いや、そもそもそれを想像するという発想がないからキャラクターに時間軸があたえられることがなかったのだけど。そこは鶏が先か卵が先かというやつだ。

これまでみてきたアイマス配信で「このキャラクターどうしはどんな話をしているか」とか「こういう背景があってこの性格がかたちづくられている」とかの話を聞いているときには、そのキャラクターが実在する(固有の人間性をもつ)ものとして考えられるようになってからも、わたしの意識がとらえるさきはあくまでも「現在」だった。(厳密な意味ではなく、きのう・きょう・あすのように指ししめすおおまかな範囲での「いま」。)

たとえばそのキャラクターが17歳なら、17年前のある日に生まれ、17年間その世界で生き、「現在」にいたっている、と考えたことがなかった。でもキャラクターに実在性を見いだすとはそういうことなのかもしれない。だってここに「いる」のだから。そしていまわたしがみているのは「映画になっている部分」だから。物語の前にも後にも人生はある。

「前にもにも」? そうすると過去はともかく未来の「永遠」の問題があるか。わたしたちは歳をとり、彼女たちは変わらない(描かれないかぎり)。つまり彼女たちの世界はひきのばされた現在なんだ。アキレスと亀の無限に挿入される現在……では説明できないか。「あ、わかった」と思っても書きあらわすのはむずかしいな。たんに理解がおよんでいないだけだけど。


・ ・ ・


4月12日 月曜日

「記憶」だ! 好き。うれし~

『もののけ姫』を観たという話を聞いて、地元のちいさな映画館(名画座)で『千と千尋の神隠し』を観たことを思いだした。9歳になる直前の夏。父と、たぶん妹と一緒だった。そのときの映画の印象はおぼえていないけど、映画館の入り口ちかくに大きめのポスターがはってあって、帰りがけにそれを見あげるようにして振り返ったかすかな記憶がある。市内で唯一の映画館だった名画座は、それから数年後には閉館してしまったらしい。(検索したら外観の写真が出てきたけどまったくぴんとこなかった。)

子どもの残虐性の話。わたしはぬいぐるみや人形をもてあそんだ記憶はないが、ひとつおぼえていることがある。家の2階で妹といとこ(友だちだったかもしれない)と遊んでいたときのこと。たぶん小学校低学年くらいのころだろう。絵を描いていたようで、手もとに数十本の色ペンがあり、それがプラスチック製のケースにぴたりとおさまっている。ペンは色相にしたがってきれいに並んでいて、わたしたちはそれが乱れないようにと取りだしたペンを毎回きちんとしまっていた。

妹が1本のペン(灰色のイメージがある)を使っているあいだに、わたしといとこは妹の抜きだしたそのペンのすき間の位置をずらし、それに気づかず空いたところに戻した妹に「そこじゃないよ」「ちがうよ」と指摘する。わけがわからずあわてる妹に「ごめんなさいって100回いったらゆるしてあげる」と告げる。妹が「ごめんなさい、ごめんなさい、……」とくりかえしているときに胸のうちにわきあがった意地の悪い、暗い喜びのような感情を、いまでもすこし思い出せるような気がする。いまは理性があるのでそんなことはしないけど、じぶんより弱いものをいじめることにやどる快楽の存在を確信できる記憶だ。

5回目の「記憶」、今回もおふたりのパーソナリティがたくさん垣間見えてとてもおもしろかった。むかしの原宿さんが原宿さんすぎる。このまえの漫画犬の「記憶」もめちゃくちゃよかったから各ラジオでやってほし~~~。けどどこも同じようなことはやってるか……? いちばんかけ離れているのは匿名ラジオだけど、まあやらないだろうなあ。


3時すぎまで先週分の日記を書いていて、けっきょく4時すぎに寝た日だった。いつも明け方まで起きていても仕事中はふしぎとねむくならないものだったけど、きょうはとてもねむくて、午後ひさしぶりにコーヒーをいれた。手動ミルでがりがりと豆をひく音と振動でも目がさめる気がする。定時ちょっとすぎに仕事を終えて、夜は先週分の日記を書いていた。書けてよかった〜



4月13日 火曜日

いつにもましてまったくわからない話をしていて、ほとんど環境音くらいのかんじでぼけっと聞いていた。「カルチャー」だな~。聞きながしていたせいもあるかもしれないけど「ノイズ」がさしているものがまったくぴんとこなかった。音楽のジャンルなのかな? でも池澤春菜さんはわかったよ! わたしは池澤夏樹さんの小説や随筆がだいすき。

雑誌といえば、中学生のころにseventeenやzipperなどのファッション誌をたまに買って、くりかえし読んだり切りぬいてプリ帳(!)に貼ったりしていた。なつかし~~~

高校生のころには音楽誌のコーナーを毎月すみずみまでみて、好きなバンドの新譜情報やインタビューが載った号をかたっぱしから買っていた。当時は「雑誌を買う」ということじたいにあこがれがあって、『ROCKIN'ON JAPAN』『MUSICA』『音楽と人』のような有名どころ以外にも、どうやら取りあつかいのすくないらしい雑誌も買った記憶がある。音楽誌もたくさん切りぬいてファイリングしていたな。雑誌じたいは何年も前に処分してしまったけど、そのファイルはどうしたんだっけ。まだ実家にあるかもしれない。

社会人になってから、文芸誌や文芸ムックを愛読していたらかっこいいな、と思う時期がなんどかあり、『園』というちいさな文芸誌と、書肆侃侃房のムック『たべるのがおそい』、集英社の季刊誌『kotoba』を買ったことがある。けっきょくそのときの気分で買っただけなのでぜんぶは読めていないけど、これまでに縁のなかった作家さんに気軽にふれられるのはかなりいい。インターネットの雑多な情報になれていると、文芸誌や文芸ムックのような整然として余白の用意された情報はとてもぜいたくなものに感じる。買ったのは時事性のある雑誌ではないから、また気がむいたら読もう。


じゃれ本新作だ! 動画タイトルの「本当です。」でもう神回の予感がする。

恐山……仮面が……!!!!! 違和感がすごい。

旧仮面は会社においてあったのかな。

1作目の恐山の書き出しがとてもよくて、さすが~と思っていたら「豚穴」でめちゃくちゃ笑った。オチもひどすぎる。最高。

字でだれが書いたかわかるけど、原宿さんのアクセルの踏みかたが尋常じゃない。ARuFaもすごいけど。それにしても回を追うごとに話を成り立たせる気がなくなっていくのおもしろいな。またやってほしい!


新グッズの詳細がでた!

コンプリートステッカーセットのピザ箱かわいすぎ!!! 買う! 事前のツイートをみて、6000円くらいかなと思っていたから安くてびっくりした。箱代をちゃんととってくれ!!!!!


おしらせラジオも出た~~~! うれしっ

ARuFaが「がんばった」というならそれはもう全体重あずけて期待していいってことだ。ほんとうにたのしみ。


20時すぎにいったん仕事を切りあげて買いものにいく。あしたまでの案件が山ほどあって夜中に仕事のつづきをすることが確定していたので、すてばちな気持ちになってひさしぶりにマクドナルドを食べた。

画像1

店頭におおきく打ちだしていたサムライマックというやつ。わたしにとってマクドナルドはほぼ自傷行為なので食べながらもう後悔しはじめることもすくなくないのだけど、これはおいしかった! たまねぎの味がかなりしっかりした醤油(風?)のソースで、パティ2枚でも重くない。


0時から仕事を再開。調整のほうがたいへんとはいえ、また自分でかぶることにしてしまったのはよくないぜ。けっきょく5時前までかけてひと山こえてから就寝。SEIKATSU NO OWARI



4月14日 水曜日

長島さんがとつぜん「仰りキャプテン」の座を譲渡しようとしだしてめちゃくちゃ笑った。「いま人生でいちばん楽しい」と言える長島さんすばらしいな。わたしもいまがいちばんたのしい。おとな最高!


ポプマスのおしらせ。

所恵美さんの専用衣装めちゃくちゃほしいんですけど~~~????? こういう気持ちでひとはガシャを回すのか。だってかわいいからほしいんだもん。とりあえず無料の石を節約してガシャにあてよう。


きょうはオモコロの新グッズ発売の日!!!

19時の販売開始にあわせて18時半すぎからグッズ事業部(? モンナイちゃん、ヤスミノさん、マンスーンさん、山口さん)のインスタライブがあり、それを見つつ仕事を終わらせて待機した。

今回のめあては匿名ラジオCD、さんさーら!CD、匿名ラジオステッカー(コンプリートセットとランダム4枚入りひとつずつ)、ざん子アクキー2種、長島さんカレンダーだった。

まえの新グッズ発売のときは時間ぴったりにストアが開かず、数十秒~1分くらいリロードしたりアクセス状況を確認したりでかなり動揺した記憶があったので、今回もオープンに1分くらいの遅延はあるだろうと覚悟してのぞんだ。けっきょくストアは19:00ぴったりに開いたのだけど、とにかくアクセスが集中しまくって重い!!!!! 商品一覧ページにすら入れずなんどもはじかれて、最初の数分はまともに見られなかった。

ようやく途切れながらもつながるようになって、とにかくCDをとカートに入れる(そのあいだにもなんども「時間をおいて再アクセスせよ」となる)。そうしてなんとかすすんでいるうちに匿名ラジオステッカーのセットが売りきれ(19:08)、ランダムまでなくなってしまった(19:12)。不幸中の幸いなことにそれ以外はすべて間にあって、19:14に決済。

ステッカーの売りきれの表示をみたとき、ほんとうに「あぁ……」ともらして涙目になってしまった。とにかくほかのものは買えてよかった。長島さんカレンダーは19:16、ざん子アクキーは19:26には売りきれてしまったようだ(実況がものすごいいきおいで流れていたので記録されている)。

ステッカー、嗚呼ステッカー、と嘆いていたら再販のお知らせがあった!!!

迅速な対応をほんとうにありがとうございます。ほんとうにね……。お知らせがあるまでずっと「あぁ……」となってしまっていたので救われた。逆に、最優先したCDはかなり遅くまで残っていて、たくさん用意してくれたんだとうれしくなった。

新グッズ発売にあわせてオンラインストアで買いものをしたのはこれで4回めだったけど、今回がいちばんの「戦争」だった。スーパーラジオCDのときも匿名ラジオ4周年記念のときも「やるぞ!」という気持ちでのぞんだけど、開店時間に待機さえできていればめあてのものは難なく買えていたから、今回ここまで熾烈なたたかいになるとは思いもよらなかった。

スケボー(限定5枚)のためにアクセスが集中するのは予想していたとはいえ、たぶんそれなりに準備してあったはずのステッカーがこんなにはやく売りきれるとは。すごいね。


興奮さめやらぬままtwitterとdiscordをうろうろしていたら、長島さんのスタンプも発売された。ラジオでいっていたやつだ!

最大容量の40個入りだし(たくさんあって安い!)、これまでのオモコロスタンプのなかでもかなり使いやすい部類で笑ってしまう。ごめんなさい、買います。

オモコロのひとたちの顔ファンではないけどグッズはどうしたってほしくなるし、わたしのこのお金が彼らの好きなこと・おもしろいことをする原資になれるならこんなにうれしいことはない。うまれてはじめてのオタク活動を心からたのしんでいる。


水曜はフラメンコのお稽古のある日だけど、いつもどおり終業後すぐに出かけると外で19時をむかえることになってしまうので遅刻を覚悟していた。すぐに買いものがすめば間にあう予定だったのだけど、けっきょく落ちつくまでに30分くらいはかかってしまい、さらに雨も降っていたので、あきらめておやすみすることにした。人生は選択の連続だ。



4月15日 木曜日

ウロマガでグッズの売れゆきについてふれられていた。オモコログッズとしてコオロギのステッカーを出すってことですか?????

グッズのことはそれとして、後半の「このまま目覚めずに死んでしまったらどうしよう」のくだりがとてもよかった。こういう(いいなと思う)文章にであったとき、わたしのあたまにはそのようすがみじかい映像として思い浮かぶ。今回これを読んだとき、恐山少年(想像上も仮面(新しいほう)をしている)が木漏れ日のさすきれいな並木道を歩いているところを俯瞰した視点で、せみの鳴き声が聞こえる景色がイメージされた(音は聞こえないが、その映像には音があると感じる)。なんだかみょうに美化されている気がするな。

(こうして脳裏に浮かんだ印象を文字に起こしたのはたぶんはじめてのことだ。やってみてわかったけど、事実ではない一瞬の印象を固定化してしまうのはあまりよくないかもしれない。とくにわたしは自分の書いたものをよく読みかえすので、勝手なイメージが膠着していく弊害がありそうだ。)


お昼やすみ。きのうは寝不足でねむかったので更新直後にはひらかずにおいた匿名ラジオを聞く。

マリオのゲームはほとんどやったことがなくて、今回の話はいつにもましてぴんとこなかった。そんななかでも「ジュゲム」(のイメージ)の最悪さはよくわかっておもしろかった。恐山ってバイトしたことないはず(よね?)だし、じっさいこんな場面にでくわしたこともないだろうに、なんでこんなに「最悪なバイト先のひと」みたいなのができるんだ。


仕事をどうにか片づけて外に出ると、玄関のドアの色が変わっていた! そんなことある? 壁の色をぬりなおしているのはわかっていたけど、まさかドアまでぬられるとは。あせた水色のドア、けっこう気に入っていたんだけどな。


合唱の練習に参加した。われながらあっぱれのやる気であった。電車がおくれていたのもあるけど、すこしでも無用に残業すると参加できる時間がごりっごりに削られるのでよりいっそう注意しよう。本番まで思いのほか時間がない。


伊藤計劃『ハーモニー』を読みすすめる。第4章が終わって、エピローグを残すのみとなった。第4章……とくに展開の予想もせずにすすんできてしまったけど、そうくるか、であった。あとすこしなので読んでしまおうかとも思ったが、せっかくの初読なので第4章をもういちど読む。落ちついて読みきろう。


・ ・ ・


2月に日記を再開したときに考えていた、過去のことも思い出したら書く、というのをこのところあまりしていなかったので、今週はたくさん書いた。なにか情報にふれたとき、それを自分に寄せて考えることばかりがよいことではないけど、ありスパの「記憶」のように自分でも忘れていたようなことがあふれでてくるのはおもしろい。過去が存在するかはべつとして、わたしがわたしであるということの根拠の一端をみるような気がする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?