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「読ませる」ための技術には、特別なことが必要か

いま、なんとなく考えていることがある。
「読ませる」ってどういうことなのか、ということ。

私が以前に書いたノート、下のふたつは「読ませる」ノートだったと思う。

他のものは、はっきり言って微妙だ。
誰かの心の中に波紋を生じさせるには、まったくの力不足。

ただ、上のふたつのノートが多くのひとに読まれた理由は、わかる。
理由がわかるから、ちょっとずるいような気さえする。

・8割くらいのひとが、きっと一度は思ったことがあることをテーマにしている(普遍的なテーマ)
・フォロワーの多いひとの名前を出して、拡散していただいたこと。または誰もが読んだ名作について、書いていること。
・自分の嫌な過去についてさらけ出していること。(読み手は、親近感を感じやすくなるらしい)

扱ったテーマが良かったからで、自分の実力(というか文章力)ではないな〜と数ヶ月前に苦々しい思いをしていたのだ。

正直、わたしが多くのひとに読んで欲しいと思ったのは下の2つの記事。

でも、わかる。
あんまりいいねがつかないのも、PVが伸びないのも。独りよがりな部分が多い。

そりゃあ、読まないよねって少し時間の経ったいまなら思う。
ただアップした当時は、もちろん「え…?今までで一番綺麗な文章かけたのでは?わたしすごくない?」と奢っているので、思ったよりPVが伸びないとがっかりする。

ただ、少しのあいだnoteを書くのを離れてみて「読ませる」ということをいま一度考えてみた。そうして出た結論は文章力って重要じゃないんだな〜ということ。

わたしが一つ誤解していたのは「実力があれば、独りよがりでも評価されるんじゃないか」という考え。

たしかに、圧倒的な力があればそれは可能かもしれない。
だけど99.99%くらいのひとは、それを持たないのだ。わたしが持っているはずがない。(というか今過去のnoteを読むと自分の文章なのに恥ずかしくてぞわぞわする)

「読ませる」文章、漫画、クリエイティブ、すべてを生み出す人は「読ませるテーマ」選びがとてつもなくうまいのだ。

この世の中にはたくさんの人がいて、みんなそれぞれが違う経験を持つ。
ただ、よくよく観察してみると、すこしだけそれぞれ同じような気持ちや、経験など、重なっている部分がある。

AかつBかつC、みたいな、3つの円がちょうど重なっている場所だ。
ヒットはそこから生まれる。

多くの人が感じる感情は、自分も感じる。自分が感じる感情もまた、多くの人が感じている。それを客観的に理解することが「読ませるテーマ」を探す上で、大切なことなのかも。

自分って普通すぎてつまらないなぁと思いながら、誰もが自分のことを特別すぎて誰にも理解されないと思っているんじゃないだろうか。

だからこそ、たった一人にむけた個人的なメッセージが、多くのひとを感動させたり、多くの人に向けたメッセージが、たった一人の命を救っている。

「読ませる」ってきっと、そういうことだ。特別なことは必要じゃない。
というか、特別ってなんだよ!ってツッコむとこからヒットは生まれる。

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