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TakramCast:越境を生む環境と芸術工学部

自分の悩み

TakramCastを何気なく聞いていて、


何かと何かの分野を越境する人材になるにはとりあえず一つの分野を極めるのが大事だよね(超意訳)

という話があった。少ししかできないがたくさんあっても、役に立たないのではないかなぁと最近実感している。

自分のバックグランドとしては芸術工学部でデザインと情報と芸術をいい感じにまんべんなく学んだ。浅く広くが好きな自分にはあっていたと思うし、芸工は大好きだ。(中途半端感は否めないけども・・・・・・)

そういうのを悩んでいるのは自分だけかと思いきや、過去の大先輩たち(芸工OB)も同様に悩んでいることを知り、ちょっとおもしろかったので紹介。

「これからの日本を、創造していくのに、工学と芸術の境をなくし、融合し、新たな、価値を創る、学問や、人を育てる、そのために全国から集まったのだ!」と。まだ30代の若い優秀な先生達の思いに心が震えました。
つまり、「相反する二つの技を知り、新しいものを創造するのだと。」
「2倍働け!!」「新しきものを、作れ!!」「境界を超えろ!!」と仰っていたように感じたのです。
そうです、私たちの遺伝子には、この言葉が書き込まれている。
 しかし、なかなか現実は、厳しいです、「両方わかる、都合のいい人」に収まってしまうのです。
芸大には敵わんし、工学部にも敵わんのです。
専門化された社会で、宙ぶらりんなのです。
もうやけくそです。自分の中の、芸術工学の崩壊です。

わかりすぎるwwwww
一体何代前から芸工卒の人たちは悩んでいるんだろうか・・・・

ちなみに今まで何をやっていたかというと

高校時代
闇すぎてあまり覚えてないし記憶から削除されている・・・
放送部で朗読していた。
アナウンス用の声はこのへんで手に入れる。
声優になろうか3秒位迷ったが、全くそれに対する努力をしておらず、諦めた。
NARUTOにドハマリして二浪した。

浪人時代×2年
この辺の記憶はほぼないし、消えた
(自分の人生で早く消し去りたい実績)

1年生
やたら3Dモデリング、映像制作にハマる。
ゲーム会社でゲームを作りたいと思っていたので、キャラクターモデリングができるようになればいいなぁと思い習得することにした。
芸工で師匠と出会い、Blenderを教えてもらった。いろんな3Dソフトでモデリングを覚えた。いろんな手法を丁寧に丁寧に教えていただいた。
師匠の技を引き継ぎたくて本気で習得した。
あとはAfter Effectsとイラレも覚えた。

2年生
3Dモデラーになろうとおもっていたが、後輩にやたら上手なモデリングをする人がいて、この道でやって行くの無理そうだなと思って方向転換した。
メディアアートが好きで、openFrameworksに手を出し始める。
このころから、プログラミングでメディアアート作品を作り始めた。
チームラボ行きたいなと思ったいた。

はじめてKinectとopenFrameworksを組み合わせた作品。
わからなすぎてたくさん先輩に助けてもらった。

3年生
メディアアートも人が参加できて面白いけど、コードがちゃんと書けなかったので大したものが作れなかった。
(当時はクラスとかgitとかをきちんと理解できていなかったため、こういうのを作りたいという気持ちがあっても挫折しまくっていた)
1年生の時に覚えた3Dモデリングを使ってFabLab関連にハマったのもこのころ。
3Dプリンターとかレーザーカッターとかが大好きすぎて、工作をしていたことが多い。3D+絵という手法も覚えた。

この頃Arduinoとかのセンサーを使った作品とかを作っていた気がする。FabLabのFabマスターになって、FabLabの運営をしたいなと思っていた。
好きすぎて所属していたフリーペーパーサークルでFabLab特集したり突撃取材したり、FabLabのボランティアしたりした。

学祭パンフレットのマップとか作った
やっぱりデザイナーになろうかなと思って就職活動開始

4年生
無事に就職活動がおわった。
研究室に配属されて、姿勢矯正システムの研究の引き継ぎを行った。
Arduinoとステッピングモーターにめちゃくちゃ詳しくなった。プログラミングで研究用のデータをとる形の研究で良かったなと思う。


3Dプリンターを家に設置し、家庭内FabLabを作り始める。
annolabで3Dプリンターをつくる講習会に参加したのもいい思い出
Fusion360でプロダクトのモデリングやアウトプットをした。


老後の夢がFabLabの運営で色んな人の作りたい夢を手助けをすることになった。

↓学生時代のポートフォリオがコレ
今見るとうぅん・・・って感じがする 
もう一度作り直したい


社会人になって縁があってiOSエンジニアをしている・・・・・・

振り返ってみると自分の軸ブレッブレである・・・・🤔

一体私はどこを目指しているのか・・・・・

なんかね・・・隣の芝生は青い現象というか
面白そうに見えてしまうんですよね。。。。。
それで手を出して、ある程度できたら次という感じで自分の軸ができてこない

TakramCastでも

一つの分野のすごい人というのにはなかなかなれないし、それは一握り
でも複数の分野を組み合わせればなれる可能性が高い (超意訳)

せっ せやな・・・・・・
だけど、そうなれるのは一つの分野でそれなりに軸がないとできないんですよ・・・・

未経験でエンジニアとして生きてみる選択

これまでやってきた分野とぜんぜん違う世界に飛び込むということは、知らないことだらけで我ながらマゾすぎるとも思った。
でも、iOSは色んな人が触ってくれるチャンスがあるし、デザインもエンジニアリングも両方やれていいなと思って選んだ。
やはり動くものを作れるというのは大きいし楽しい。

エンジニアとして経験が浅すぎるけど、なんとかして爪痕を残したいなと思ってiOSDCに登壇する夢を昨年叶えられたのはすごく良かった。
AEが使える、デザインやアニメーションに興味があるということをうまいことエンジニアと組み合わせられたと思う。

iOSエンジニアを自分の軸になんとしてもしたくて、今年アプリを出せたというのもよかったなと思う。

ボスからはなんでもできる強いエンジニアにならなくても、別の道は全然あると相談に乗ってもらえた。正面から戦わなくても、組み合わせれば道はあるかもしれない。

デザイナーとして生きるにしても、エンジニアとして生きるにしても根本的には課題を解決することが仕事で、だれかの役に立てるならそれはとても嬉しいことだと思っている。

今度こそiOSエンジニアを軸にしたいと思って二年間やってみたけど
なんとなくピンとこない自分もいて、うーんどうしようかなぁという自分もいる。
会社でもビジネス方面の知見も得れるチャンスがあるチームに半分くらい移動していて、もしかしたらここが自分の得意分野になるかもしれないとおもいながらも、また中途半端に習得してしまうかもしれないという恐れももっている。

「相反する二つの技を知り、新しいものを創造するのだと。」
「2倍働け!!」「新しきものを、作れ!!」「境界を超えろ!!」と仰っていたように感じたのです。
そうです、私たちの遺伝子には、この言葉が書き込まれている。

わからない。
自分の得意分野がほんとにわからないし、これだというものがまだ見つけられない。
今年こそなにか希望の光がみつかればいいなと心の底から願っている。
もしかしたら向いているかもしれないし、新しい分野でも積極的にチャレンジし続けたい。

しかし、唯一、残っていたものがありました。
「創造の手を止めない事」
「白と黒の間、右と左の間。芸術と工学の間にある、未知の領域を怯まず歩む事」
もう、僕には、それしかありませんでした。
(芸術工学部 混沌会 挨拶より)

なぜならわたしにも芸術工学部の遺伝子が書き込まれている

「創造の手をとめない」

芸術工学部の先輩たちが歩んだ道を私も歩もう

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