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作家になった流れ

いっときTwitter(現X)で小説家さんや漫画家さんの間で「#作家になった流れ」というタグが流行っていたので、私も自己紹介代わりに(っていうか回顧録だわよ)書いてみた記事です。

※長いです。興味がありましたら読んでください。個人情報と遠い昔の絵が出ますので途中から有料です。


子供時代

【幼少期】

物心ついたときからマリナちゃんは絵が上手と言われていました。(4歳くらい?)
父親がいっとき機械系のマニュアルの挿絵を描く仕事をしており、絵がうまかったようですが描いてるとこは見たことがなかったので、あまり父の影響はない気がしますが、とりあえず絵を描くのが好きな子どもでした。

【小学校低学年】

小学生になったとき小学館の学年誌(小学一年生とかそういうやつ)を与えられ、それを毎月読むようになりました。
漫画というものがあると知りました。(ドラえもんとか載ってた)
サンリオキャラの亜種のようなキャラを作って、ノートにコマ割って漫画っぽいものを描き始め、クラスの子に見せていました。

小学3年生のとき『りぼん』を初めて買い与えられ、それ以降少女漫画にどハマリしていくことに…。『なかよし』を買っている子と交換して読んだり、その子と漫画の交換ノートをしたりして遊んでました。当時大好きだった作品は『姫ちゃんのリボン』。自分がボーイッシュだったので自身を重ねて読んでました。

漫画家という職業を認知し、将来漫画家になりたいと思うようになりました。描く絵も断然漫画っぽい絵になっていきました。
絵が上手いのはサノだと言われてましたが、学校の写生大会などで賞をもらったことは一度もありませんでした。


【小学校高学年】

当時人気があった『スラムダンク』から始まり『金田一少年の事件簿』など、少年漫画のほか、『赤ちゃんと僕』など花とゆめ系の少女漫画も摂取し始めます。

卒業文集に漫画家になりたいとか書いたような気がします。記憶が定かではありません。でも小3の時から将来の夢第1希望が漫画家で、第2希望(保険)がいろいろ変わっていました。


投稿者時代

【中学時代】

中1のとき、りぼんに漫画を初めて投稿しました。りぼんのまんがスクールの規定は32ページだったのですが、34ページの漫画を描いて送りました(今なら普通にネーム直して32に収める〜!)。ストーリーの構造とか全然理解しないまま描いた高校生の恋愛物語でした。初めてつけペンで描いて、30ページ以上…多いな…とか思いながら描いてたような気がします。選外のBクラスでした。

ちな、当時のりぼんは“全国250万乙女の恋のバイブル”というキャッチコピーのとおり一番売れてる少女漫画雑誌で、まんがスクールの投稿者もかなり多かったです。また、ローティーン向けの雑誌は10代でデビューする作家も珍しくなく、私も高校生デビュー目指そう!と思いました。

この頃りぼんとは別に『ベルサイユのばら』と『日出処の天子』を摂取したため、いつか歴史漫画とか大河漫画を描きたい!と思うようになりました。

中学時代は5作くらい投稿したかな…? うろ覚えです。でも女子中学生の友情を描いた作品で期待賞という一番下の賞に入り、3万円ほど賞金をもらいました。うれしかったです。今思うと、中学生は人生経験が圧倒的に少ないので、変に背伸びせず身近な題材を丁寧に描くべきだったんですよね。

友人が別冊マーガレットに載っていた『恋愛カタログ』という作品にハマって、私も別マを読むようになりました(妹が買い出した)。

進路の時期には美術系の学科がある都立高校に行きたいなぁと思いましたが、いろいろ勉強したほうがいいぞと親に言われ、それもそっかぁ〜と都立高校の普通科に進みました。


【高校時代】

高校では漫研に入りました。女子でもみんなが少女漫画読んで描いてるわけじゃないんだ!と目からウロコでしたね…。いや、私も小学生の頃に流行っていたのでスラムダンクとか幽遊白書は摂取しましたが、二次創作という考えが全然なくて…。漫研にいた人たちは今思うとコミケとか行ってたんだと思いますが、私は全然布教みたいなことはされなくて、いい意味でほっといてくれたのだと思います😂 なので今に至るまで同人誌を作って売る、みたいな選択肢が全然頭にありませんでした。

高校では投稿ペースがガクッと落ちて1年に1回だったのですが、高1のときの投稿作がデビュー手前の努力賞に入り、担当さんがつくことになりました…!ワイワイ

↓ これです😂オギャー

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