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♫ちぎれ雲つぐむ〜 −断片的な記憶−

 故郷に帰ってから2週間あまりになるが、フィギュリンみたくなっている祖母が私のことをやっと思い出し始めた!先日デイサービスから帰って来て、両親不在で夕食の見張りを頼まれた時のこと。正面に座る私を見て、普段母親の前ではあまり話さない祖母が饒舌になる。断片的な記憶がランダムに発せられるので理解しがたいが、昔の自宅の話とか、近所のお寺がよく挨拶をしてくれるとか、私の叔父叔母はもっとここに遊びにくればいいのにとか徒然にしゃべっている。

 また故郷の友達と交わると絶対に昔話になる。先日アメリカから帰って来たティーンズ時のバンド仲間を囲んだ。その時に私と一緒に外タレのライブを見に行った話をしていたが全く記憶にない。それは20年以上前の話であるからまだ良いとして、別の友人から5、6年前にしまなみ海道を旅した話をされても記憶がない。大まかな出来事は覚えているけど、詳細に説明されても新しい話を聞くような新鮮味がある!相変わらず二度美味しい人生だ。「そんなに好きなアーティストじゃないんじゃない」とか「心に残るほどの思い出ではない」とか言う案も出て来たが決してそうゆうわけでもない。その時はそのアーティストに恋していたし、旅も爆笑珍道中で楽しかった。

 過去に執着がない

とかってかっこよく決めてみたけど、lol、私の意識はいつも未来に向いているのかと言うほどおおごとでもなし。なぜだ、なぜなんだと思って考えると過去のことと未来に起こることをごちゃ混ぜにして空想している。断片的な記憶のピースが祖母の話みたいに急に浮かび上がってそれからいろんな世界に広がっているのだからたまに収集が付いていない。メモリー容量が小さいのでその時その時の自分の流行りではまらないことを削除しているようだ。

との解釈。かも。

 芥川賞の上田岳弘著「ニムロッド」を最近読んだが、人の営みと仮想通貨と言う相反するものが深く絡まり合って描かれていてとても面白かった。ビットコインを掘って行くのだけどそこで枯渇しそうな時に彼を取り巻く人間関係は…みたいな話で。悲壮漂うエンディングは好みだ!そこでまた記憶の話に戻ると、今回友達と話したことや、祖母が私をみて思い出したことは自分らだけの容量では足りなかったこと。つまりメインサーバーだけではまかなえなかったことで、お互いに通信しあうことで消えていた情報が復活し行き来した。今回のエクササイズはまさにブロックチェーンじゃないか!

と思った次第であります。

かしこ





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