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「パ」という名の光 谷保恵美さんへの送辞

・平日の17時30分
 千葉県美浜区、マリンスタジアム内野席、上段レフト側。季節によって日差しの角度が変わり、まぶしい西日が差し込むこともあれば照明の向こうに太陽が沈む時間帯となることもある。雨の日には屋根に助けられる場所となる。

 手にはビール。かたわらにはモツ煮。海からの風を感じつつ選手たちの守備練習をながめる。そんなゆるめの空気の中に、声が響く。

「パシフィック・リーグ公式戦」

 場の空気を変える声というものがある。圧倒的な声量であったり、とてつもない早口、噛んで含めるような語り口、達者なフレージング、大波のようなボキャブラリー、突き抜けるハイトーン、緊張感を強いるバリトン…などなど。

 人は、人の声によって感情を揺さぶられる場面が多々ある。私にとって心がもっとも揺さぶられた声の持ち主、それがZOZOマリンスタジアムでのアナウンスを担当する谷保恵美さんだ。

「パシフィック・リーグ公式戦」

このフレーズの最初の音、「パ」。いわゆる両唇破裂音。このたった一音で、スタジアムの空気をさらっていく。スタメン発表の高揚感が訪れ、いよいよ試合開始が近づいてきたことを報せてくれる声だ。マリーンズファンだけでなく、レフトスタンドに陣取るビジターファンまでもを包み込む。まるで、映画「ブルース・ブラザース」でジョン・ベルーシ演じるジェイクが、牧師役のジェームス・ブラウンの説教により教会で光を見た時のような感覚を得る瞬間でもある。

・2004年
 「パ」は、球界再編騒動の中でひとつのアイコンにもなった。古くからパシフィック・リーグのチームを愛してきたファンの多くは「パ」の旗印のもと集い、怒り、涙し、去る者もあり、また新たな仲間を迎えたりと激動の季節を過ごしてきた。

 谷保さんの口から発せられる「パ」は、いつだってあの時を思い出させてくれる。目の前に愛する選手がいて、チームがあり、応援できることの喜びを再確認させてくれる。当時のことを知らないファンも増えてきたこの時代、谷保さんの「パ」はどう響いているのだろうか。

・2005年、2010年
 このふたつの年、チームは日本一に昇り詰める。いずれのシーズンもリーグ1位にはならず、プレーオフ(クライマックスシリーズ)も日本シリーズもビジターでの胴上げとなったため、谷保さんによるアナウンスは実現されなかった。この時から「いつかマリンで胴上げを、そして谷保さんによる優勝・日本一のアナウンスを」と夢見る日が続くこととなった。

・2020年
 オープン戦から不測の事態による無観客試合。

 スタンドでの観戦が叶わないファンに向けて、試合開始前に谷保さんのアナウンスが入る。

「中継をご覧のファンの皆様も、ぜひ熱いご声援よろしくお願いします」

 その後、プロ野球は長期に渡る開幕の延期に見舞われた。6月にはシーズンが始まったものの当初は無観客のまま。そして7月10日、ついにマリンにファンが戻ってくる。応援歌は歌えない。つのる想いは拍手にこめる。そこに、谷保さんの声が響いた。

「ご来場のファンの皆様、ZOZOマリンスタジアムに、おかえりなさい!皆様のお越しをお待ちしていました。今日は球場での野球観戦、どうぞ楽しくお過ごしください」

 このアナウンスに反応して、スタンドから大きな拍手。おそらくテレビやインターネットなどの画面の向こう側でも手を叩かずにいられなかった人が多かったはずだ(もちろん私も)。
 マリンこそがホーム。「おかえりなさい」と声をかけてくれた谷保さんは間違いなく家族。そう強く感じる一日だった。

・2022年
 私は転勤のため、18年間過ごしてきた千葉県から東海地方へ引越をして、マリンで試合を観戦する回数はがくんと減ってしまった。転居前最後の試合のあと、マリン外周にある益田直也の姿が写し出された柱に触れながら泣いたことを今でも思い出す。

・2023年
 初夏の頃、久々にマリンを訪れる機会に恵まれた。観戦した試合のうちのひとつは佐々木朗希の先発登板ということもあって、平日でありながら子どもたちの姿も多かった。私にとってマリーンズの選手たちが見られる、マリンのモツ煮が食べられる、そして谷保さんの声を聞くことができる久々の時間。

 そしてスタメン発表のタイミング。ここで、谷保さんのアナウンスの小さな変化を知ることになる。

「パーソル パシフィック・リーグ公式戦」

 2023年からパシフィック・リーグのタイトルパートナーとして契約を結ぶこととなったパーソル。新しい「パ」が加わったのだ。谷保さんの声がますますマリンに活気を与えてくれるように感じ、転勤前とは違う味の涙が出た。働いて笑うのは難しいけど、こういう時に泣きながら笑うことはできる。

 別れはつらい。今までも多くの選手や監督、マスコットまでをも見送ってきた。まさか谷保さんがマリンのマイクの前から去る日が来るなんて想像もしていなかったし、いまだに実感はない。

 谷保さんの声はいつもそこにいてくれた。マリンスタジアムを、千葉ロッテマリーンズを、パシフィック・リーグを明るく照らしてくれる光のような存在だった。泣きごとを言うなら、谷保さんと一緒に優勝したかった。マリーンズ優勝の、マリーンズ日本一のアナウンスをしてほしかった。(いや、これを書いている時点では2023年の日本シリーズに出場できる可能性がまだ残されているのだけど)。しかしそれが叶わないのであれば、谷保さんがうらやむような未来を創ってほしい。そう願わずにいられない。

・1962年から1972年
 千葉ロッテマリーンズの前身である毎日大映→東京→ロッテオリオンズのフランチャイズ・東京スタジアムは、南千住の下町の中でひと際輝く照明設備の明るさから「光の球場」の愛称で呼ばれていた。

・そして2024年から
 谷保さんのいないマリンスタジアムにどんな声が響くのか、今はまだわからない。谷保さんが与えてくれた声の光を消さないスタジアムであり続けてほしい。

感謝してます。
でもまだ、さよならは言いません。
また、お逢いしましょう。

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