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[自己紹介]社会人1年目!ピチピチの"まりん"はこんな人間!

自己紹介  
☆名前 まりん
☆年齢 現在22歳・社会人1年目
☆趣味 クルマ・料理・野球・テニス
☆性格 負けず嫌い・好奇心・欲旺盛

簡単にまりんの人生振り返り(なお22年間だけ)
自身としてはイージーな人生とは言い難い…

◆幼稚園(こっからかよ!って心の中で突っ込んであげてください)
◇春夏秋冬、半袖半ズボンに裸足!雪が降ろうが槍が降ろうが屋外も裸足!
こんなファンキーな幼稚園このご時世ないでしょうね…
◇蹴られながらも馬の世話、鳴かれながら鶏の世話が園児の仕事。そんな生活

◆小学校
◇部活は小4から野球部。坊主が嫌で部員唯一の長髪でした。成績で黙らせるために父と猛練習!結果、同級生で一番遅い入部で、一番早く大会優秀賞を獲得!打順は1番、ポジションはピッチャー、外野手のレギュラーメンバーとして活動しました。野球部=厳しい、イメージ通りの練習でした。
努力、負けず嫌い、下克上のはじまり


◆中学校
◇父とは同じ小中学校で、無意識に真似るように今度はテニス部に入部。
主将という初めてのリーダーポジションにつく。
◇なおかつ、学級委員にもなりいわゆる優等生扱いをされていた。(モテてることはなかった…)
◇高校推薦を勧められるも、推薦のために主将や学級委員をやったと思われたくないという小さなプライドをいっちょ前に持ち、学力で第一志望高に合格。→平凡な生活を好まない、優秀でありたいという意地が芽生える

◆高校
◇県内有数の進学校で、国際教育指定校(らしい)に入学。
◇テニス部に入部したら各中学の主将、優秀選手が偶然集まる。
強豪校ではなかったが自分たちの代から強豪に。当然練習もきつく、レギュラーメンバーにもなれず。
◇学力に関してはスタートは最悪。高1は部活を言い訳に学年下位軍団、数学も赤点。
高3になり担任、副担任の先生と出会う。この出会いで勉強に目覚め、赤点を取ってた数学は学年3位まで登りつめる。いまでもこの2人とは交流がある恩人。
◇大学受験。得意の数学、日本史が模試でも取ったことない点数で、挫折。
自己採点の日は高校生活初の欠席。志望大学はもちろんE判定、2次は配点の高い大学を受験。→天と地の両方を経験。努力と挫折を学んだ

大学
◇初の一人暮らし。はじめは重度のホームシックになる。
◇大学時代はあえて鬼のような大学1厳しいゼミに入り、怒鳴られながら個人経営イタリアンのホール、厨房のバイト、大学祭実行委員のNo.2としての活動に時間を費やす。
◇バイト代で初のマイカー、MT車を購入
→短くまとめましたが生まれて最も濃い時間を過ごす。負けず嫌い、向上意欲を行動に移しはじめる。

◆就活~現在
◇高校、大学で2番手的なところが多かったため就活では1番いいところ行ってやる!という思いに就活START
◇の割には数は受けず10社ほど。当時は大手メーカー志望で自動車メーカーの総合職を受けるも面接落ち、その他ベンチャー、小さな広告会社を受けるも志望度が見透かされ落ちる。内定を4社いただき、その中でも、結果的に志望業界とは異なる現職に決める
◇有名大企業に入り、ばりばり働いて高学歴に負けない思いで社会人が始まる。→裏腹に忙しさがない田舎に配属
◇出世すれば勝ち組の年収も、数字で評価されない仕事柄、学歴、人脈がモノを言うのでは?と思い始める。2,3年で一生転勤。しかも、支社、本社は都心も、ほとんどの事務所が田舎。(田舎が悪いわけではありません)
◇確かにこのまま定年を迎えるのも大アリ、むしろそれが普通と思われでしょう。しかし、特に20代は今までのように忙しくもレベルアップできる場所にいたい。果たして茹で蛙になることは成長できる環境なのか?

ある人が仰ってました。
ー第1志望で入ったのに、将来に疑問を持つの?持たないよね?-

今気が付いたことに感謝しよう。
が今の状態です。

22年間生きてきて、
①常にトップレベルでいたい向上心、負けたくない気持ちが強い
②成功体験が多く見えますが①からくる「努力」を惜しまない
③②のプロセスを多く踏むことで結果的に自分に厳しい道を選ぶ
この3点が私の取り扱い説明書!


長文でしたが読んでいただきありがとうございました。

    

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