「市民の日本語」を読む
日本NPOセンターさんが主宰している「ともしびひみつゼミ」
2023年11月に始まった第1期に参加をしながら、そこで読んだ本、考えたことなどを残しておこうとnoteをひらいています。
参加しているともしびひみつゼミのひとつ、「ひろげる」は、ロビイングやアドボカシー、仲間や寄付を集める、事業や活動をひろげるための内容をみんなで考えてみるという場所。私自身は今までほとんど接点がなくて、ロビイングという言葉自体も初めて耳にしたような初心者です。
ゼミを担当してくれている方の熱量や、参加している皆さんの活動に惹かれて顔を出してみようと思い、課題図書の一冊を手に取ったのが始まり。
いくつか候補があったなかで、「市民の日本語」を選んだのは、ワークショップや場のコミュニケーションなど、比較的普段の活動に近い言葉が並んでいたからです。
20年ほど前に書かれた内容なので、全てに「そうだよね」とはなりませんでしたが、今でも十分参考になるなあ・・と思いながら読み終えました。以下、ゼミのなかで発表した感想や考えたことを少し追記して置いておこうと思います。
ハッとした点
まずP189。「話せばわかる」というのは嘘で、「いくら話してもなかなかわからないことはある」ということを前提にしなければならないと思う。そうして生じたコミュニケーションのズレが、暴力や悲しいものごとを引き起こしているのだ、というところ。
日頃例えば子どもたちの喧嘩でも、自治会の加入をどうするかみたいな話でも、大なり小なり揉めているときに「まずは話をしよう」という言葉が相手に届いていない感じはしていたけれど、確かにその言葉から生じた行為も一つのコミュニケーションの形で、同じく相手に届いていないのだなあ・・と新しい視点を見つけた気分でした。
「人に対して思いやりを持ちましょう」は、p35。道徳の授業では盛んに「他者への思いやり」を学ぶけれど、その矢印は自分に向けてもいいのだと思いたいなと感じた箇所です。
そして最後に、P75の「無意識のメタメッセージ」。そんなつもりはなくて発してしまうけれど、言われたら確かに「そういう側面もある」と思う言葉って案外あるなと、ちょうど感じていて。
先日「夢のある大人が子どもに "夢をもつ大切さ"を話すのは良い気がする」と口にした際に「つまり夢のない大人はそんなこと言うな、ってこと?」と聞かれて「いや、それは違うな・・?」と感じたりもしていたところです。
常々言葉はすごく曖昧なものだと思っているけれど、それが思わぬメッセージにまでなってしまっている可能性は、もう少し考えたいなと思ったところでした。
「そうそれ!」だった点
「わかるなあ・・」という納得感とともに、これらが20年前から語られているのに、なぜ変わらないことがこんなにあるのだろう、と言うのも感じた点。真ん中の「困りごとをー」の部分については、きっとそうだからこそ動き出しているようなことも多いので、動いているといないの差はどこで生まれてしまったのだろう、とも感じています。
例えばウォーカブルな街なかをつくるとか、小さなコミュニティを維持していくとか、廃校をたのしくしていくとか。いいなと思う仕掛けや制度の裏側には必ずキーパーソンがいて、3番目の通じる言葉に変える翻訳者がいる気がしているので、そのコツみたいなものに興味があったりしています。
そして感想
「NPO」という存在については知らないことも多かったけれど、大きな可能性を持って、自らの声を上げるために作られてきたのだ、という大きなうねりのような、怒りのような、強いパワーを感じる一冊でした。
本に出てきた「行政の言葉」は、ロジカルでシステム的なものとされていたように感じましたが、少なくとも地方で身近にある小さな行政では、今は必ずしもそうでもないように思いました。それこそ「対話をしよう」と言ってくれる人も、一緒に考えようと動いてくれる人もたくさんいて、そうして生まれている仕組みもたくさんある気がします。
互いに歩み寄る姿勢は作られつつあるものの、SNSの登場やパイプの作りやすさなど声を届けるための手段や場が細分化しているようにも感じて、この本にまとまっている時代のような大きなパワーを生み出すのは、前より難しくなっているところもあるように感じます。
一方で「共感」からはじまる動きが社会や制度や常識を変えているものもあるのかもしれないな、と思うと、個性を認め、多様化し、個々がどこまででも発信できる今だからこそ受け流されてしまっている声は、どうやって拾い集めて、どこに表していくべきなのかは、このゼミのなかで探っていきたい点だなと思っています。
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