見出し画像

Marioの旅日記

新年の旅

年越しを仕事先で迎え、その足で東京駅に向かう。
初めて正月に旅に出た。
ひと月前に切符の予約をしたときには、すでに満席に近い状態であった。
年末を避けたのは、宿が高いからの理由である。
年を超えると2日から安くなりありがたい。
ただし、帰りの切符をとるのに指定席は全て完売で、仕方なく残席少ないグリーン車を予約。
割高だが、あの座席なら納得の値段である。
帰省客の多さに驚く。
旅先で、初詣などをと計画をし、急遽パワースポットで有名な神社を尋ねた。
山奥ということでもあり、空いているだろうとタカを括っていたが、やはり元旦である。
長蛇の列である。
それでも観光地の有名神社よりは空いていて、20−30分待ちでお参り完了。
吉方位の水取りを兼ねての参拝。
帰宅してから、詳細を調べてみると、日月三光神の3神を祀る神社で
天之御中主の命、天照大神、月読の命の三神が祀られている。
ここの湧き水が、水取りとして推奨されていた。
このお水を、御清水(おすず)と呼ぶそうである。


珍しく、誰もお水を汲んでいなく、参拝後スムーズにボトルに詰めて神社を後にした。
もっと時間をかけて散策すればよかったのだが、車を待たせていたので本来の目的の水取りだけをして運転手さんと地震の話をしながら、帰路に着いた。
2011年の時の震災時の話などをしていた。
宿に戻り、近場を散策しに再度、宿から外出したところであの大きなアラームが鳴り響いた。
あれ?このアラームって・・・?たくさんの人の携帯からアラーム音が鳴り響きその場にいた人々も、急に動きを止め様子を見ていた。
大地震の時のアラームだ・・・緊急地震速報が出た。
久しぶりに見る画面は、新しくリニューアルされて見慣れないマークがスマホの画面に現れた。
おかしな揺れかたをしたが、体感で震度2位であった。
『でも、このアラームは大地震の起きる時のものだよね?』
スマホで調べて見ると、北陸でM7.6の大地震発生が知らされた。
新年早々の大地震である。
かなり距離が離れているから今のところ、現在地は大丈夫である。
しばし買い物と、散策をしたが元旦ということで、どこの店もクローズで何となく寂れた感がある。
駅前は、帰省客のための土産物屋がすでに開いていて、街中よりは賑わってはいたが食べ物屋もクローズで早々に宿に戻る。
夜勤明けなので、浴槽に湯をはり長風呂を楽しんだ。
最近は、部屋風呂も格別のホテルが多く、アメニティーの入用剤で内風呂で楽しんでいる。
打たせ湯風のシャワーもついていて快適である。
入浴を済ませ、部屋で食事をしながら見たテレビでは、16時の北陸地震の中継が流れていた。
石川では、かなりの被害が起きているが夕方から夜に差し掛かり、真っ暗な中、様子が見て取れない。
どの程度の被害かも、なかなか情報として取れないらしく、とにかく津波情報が流れていたが、その晩は、津波被害などの心配はないように思えた。
あくる朝のニュースで、かなりの被害が出ているのを知った。
津波と火事が大きな被害を生んだ。
まるでガザの戦地のようであった。
正月早々、こんな被害地震が起きた。
おめでたさもどこかに飛んでしまったようだ。
そんな中、支援物資を運ぶ飛行機と旅客機が追突事故を起こし、大火災が羽田空港で起きていた。
被災地に物資を運ぶための飛行機で、5人の方が亡くなった。
正月早々の事故である。
誰が書いたか、石川の地震がなければ羽田にいなかったであろう。と。
数奇なものである。
これから色々とニュースで論議がなされるであろう。
どちらも火災なので、気になるところである。

今年は60年に一度の辰年で、火がシンボルである。
火の事故が多い年になるのかもしれない。
私が参拝した神社は、偶然にも水の神社なので火消し役になるかもしれない。
などと思ったりする。
羽田空港は昔、空港を造る為に大鳥居を撤去したとき、祟りを恐れた住民と対立した歴史がある。
そんな歴史のある場所である。
鳥居がある場所は、昔からの特別な場所であり、侵してはならない場所だと思われる。
それを撤去した後の、手厚い法要などしているのだろうか。
その辺りはきちんとしないとの部分である。
土地の障りは怖いものである。
話が逸れてしまったが、不敬をすると土地の神や、その場にいる霊などの恨みを買ったりするようだ。
土地にまつわる話は色々あるので、気になるところである。
ちなみに、祠を動かしたり、井戸を埋めたりもきちんとした手順を踏まないと、障りが出たりする。
土地や家を買うときも細心の気を配りたいものである。
そんなことで、旅に行くときには、吉方位の場所を選び土地の神様に参り、ご挨拶と道中無事をお願いするのである。
これが一つのルーティーンになっている。
凶方位には、行かぬように気を配るのが運気を上げるのに適している。

翌日は、ローカル線に乗り三保ノ松原と瑞巌寺観光に。
瑞巌寺は伊達政宗建立の寺である。
仙台は所々、伊達政宗所縁の場所が多い。
叔父たちが従姉妹会で、伊達を巡る旅をしていた。
由縁としては、私からして4代前の女性が伊達家の側室をしていたという話で、叔父たちが由縁を調べに、出かけたということであった。
資料館で話を聞くと確かに、その女性が側室であったという文書があったとかないとか。
縁のある一族なので何と無く今回は仙台を選んで旅をしてみた。
瑞巌寺は、何も感じなかったが松原には何と無く郷愁がある。
ここは絶景であり、伊達政宗所縁の五大堂という古いお堂がありここも水の神様である。
海に面した、気の良いお堂である。
このお堂には何と無く愛着が湧いた。
遊覧船にでも乗れたら楽しかったであろうが、時間もなく、次の場所へと向かった。
正月にしては、人出の多さに驚いた。
最後に訪れたのは、仙台東照宮である。
仙台駅から一駅ローカル線に乗る。
日光や身延山の東照宮の規模には劣るが、伊達2代目が建立した東照宮であり、小さいながらも気の良い場所である。
参拝客も多い。
今年はここで神札と御朱印をいただく。
小さいので、見所はないが、松原方面から東照宮で全体で3ー4時間で廻れるルートであった。
私は旅に出ると、方向感覚が狂うらしく良く、電車の方面を乗り違える。
まだ、明るいうちに宿に帰り、荷物をおいて今晩、予定していた牛タン屋に向かう。
仙台には牛タン屋がたくさんあり、悩んだが地元のタクシー運転手のオススメのお店を調べて出かけた。
予約は取れないようだ。
大きな、メインアーケード街をずっと歩く。
「なんと大きなアーケード街なんだろう!」
ここが七夕祭りで有名なアーケード街である。
脇目も振らずに歩いていたが、アーケードの真ん中あたりに、何と無く目が止まった場所がある。
そこは、小さな路地になっていて、そこだけ別世界のように見えた。
「?」
なんとなく足が向いて奥まで入ると、突き当りが洞窟の岩場のようになっていてそこは、お不動さんの不動堂であることが判明。
左脇には、龍の口から水が湧き出ていて、横にはお不動さんが飾ってある。
『こんなところがあるんだわ・・・』
と感動しつつ、お参りをする。
お不動さんは、仏なので、線香とローソクを立てた。
お線香の香りが心地よい。
不思議な場所に出会えた。


お不動さんだけが、人からの呪を解くことができる。
そのために、ここにたどり着いたのだと思った。
秘仏で、見ることはできなかったが、5代不動明王が祀られていると書いてあった。
一度見てみたいものである。
不思議な空間であるのは確かである。

牛タンは美味であったが、もう一年は食べなくて良いと思った。
私が好きなのは、南蛮味噌であり、とろろ麦ご飯である。
お不動さんの感動を持って宿に帰った。
この二日間で、仙台のメインを巡ってみた。
まだ見逃した場所があるので、次回は、そこを巡ることにする。
七夕祭りの頃など良さそうだ。
青麻神社には、また参りたいと思う。
かなりのパワースポットで、3度参ると願いが叶うと言われている。
楽しみである。




















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?