悲しいことがあった時に花を手向けるように

なかなかブログを書けていなかったけれど、だんだん書きたいことがふっと浮かぶことが多くなってきた。
9月に見た内藤礼さんの個展や、見た映画あれこれのこと、日々のこと、そうしたものをまた書き留めておきたくなった。

動物(のような)イラストをよく描く私だけれど、実は一貫したテーマはあって、それはずっと、「記憶」と「喪失」だったりする。

一番最初のZINEのタイトルは『何か大切なものをなくしてそして立ち上がった頃の人へ』。
作ったのは2016年の春で、早くも2年以上前になる。

何か失った時に、例えば大事な存在だったり・・・それを忘れてしまうのは良いことで、すぐに「忘れて、先に進みなよ」と言われるのに、それはどうかな、という気持ちでできた本だ。
当時は、どんなにその喪失が痛くても、その記憶があるから生きていけるのだ、という気持ちで詩集の形にまとめたのだけれど、
その感覚は今でも驚くほどに変わっていない。

失って痛いうちはまだいい。
それが無くなれば、今度は本当に何も無くなってしまう。

失うことはとても痛い。
傷のように痛むというよりは、体の一部がもげたりして失った場所が空気に触れて、とにかく沁みてしょうがないみたいな感じになる。
でも本当は、人は皆どこかもげたりして、欠けているものなのかもしれない。
それでも痛くないのは、誰かいることでの安心感とか、嬉しさとか、きっとどうにかなるというような、形もなく目にも見えないもので、人は普段湿潤というか意外と満たされているものだと思う。
そして何かを失う時に一緒に失くすのは、自分を守ってくれていた、そうした目には見えない希望なのだと思う。

悲しいことがあった時、やりきれない時に、何かひとつでも作れたら。
小さなイラストでも、こんなブログでも、悲しみで終わらない何かを作れたら。

悲しいことがあるたびにせめて一輪花を手向けていたら、それはいつかコスモス畑のようになるかもしれない。

悲しくて、痛くてしょうがない時期に何とかさまよっていることが、何かを生むということはあるのかもしれないと思わされることが今日あった。
私はとても嬉しく思って、希望は遠くにあったとしても、この世界のどこかで奇跡みたいなことは誰かには起こっているのだと思った。

何とかさまよっている時期に知らず知らずに植えたものが芽吹くように、
悲しみでしかなかったものが、いつか悲しみ以外のものを生むことは、希望と呼べるのかもしれない。

希望は、具体的に何かあれば一番いいのだろうけど(何年何月宝くじ当たりますよとか、最近いい感じの人がいるんだけどとか)、
そうでない時、そういうことが一切見えない時に、それでもそれは起こり得ないことじゃないんだ、と薄暗闇を一筋切り開く、文字どおり一縷の光のようなものなのかもしれない。


#日記 #diary #希望

*スケジュールの都合で、犬漫画ことミッシング・ピース5話は10月28日頃公開の予定です。

その後はコミティア126出展作業に入るので、少し間が空きます。こちらのお知らせも早くしたいところです。

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安達茉莉子/mariobooks

物語を描きます。新作 「言葉をなくしたように生きる人達へ」発売中新作「ミッシング・ピース」noteで連載 ブログ「毛布」https://mariobooks.blogspot.jp

毛布 - moufu

MOUFU and TALK. 毎日の中で見つけた毛布のようなもの。
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