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nikki 2019/5/18 応援のカタチ

今日は応援しているJリーグのクラブ、ヴィッセル神戸の試合を観に日産スタジアムに行ってきた。日産スタジアムであるから、相手はもちろん、横浜F・マリノスである。”もちろん”と書いたが、サッカーを知らない人には何がもちろんなのか意味が分からないかもしれない。マリノスにとって日産スタジアムはホームで、対戦相手であるヴィッセルがアウェイとなる。今日も神戸や関東各地から、ヴィッセル神戸サポーターが駆け付けた。

今、チームは低迷していると言っていい。一昨年から加入した元ドイツ代表ポドルスキ、今年から加入したスペイン代表イニエスタ、ビジャ(通称VIP)と次々と世界的スターを獲得したにも関わらず、だ。そのスター獲得と、チームの低迷の関連性はイコールではないかもしれない。監督の解任もあった。様々な要因が複雑に絡み合って、今の状況を生み出している。

私はヴィッセルを見始めて、8年目になる。クラブ創設当初、いや母体から応援しているサポーターからしたら、ひよっこもひよっこ。今だに知らないことばかりだし、新しい情報すら入手出来ていないことがある。しかし、6年間ラジオというメディアを介して、クラブ練習や試合の取材をし、選手に直接話を聞き、クラブの動向を見てきた人間と言う意味では、生粋のサポーターとはまた立場が違うのかもしれない。今は1サポーターではあるが、その「付き合い方」のようなものが「応援のカタチ」に現れるような気がする。

私は単純に、スタジアムの雰囲気と、サポーターさんとの交流と、スタジアムグルメとビールで、もう7割くらい満足している。試合が盛り上がれば、9割、勝てば12割、と言ったところ。どんなにため息の出る試合をしてくれても、好きで見ているのだから、と思う。

マリノス戦はまさに「ため息の出る」試合だった。序盤こそハードワークで攻め込み、チャンスを作った。しかし、失点してから、一気に落ち込んだ感じがした。連敗中のチームが陥りやすいパターンだと思う。ただ選手たちは決して試合中にそうは思っていない。と言うか、そうは思っていなかったと話すことが多い。だけど、心のどこかで生まれるひとりひとりの小さな「またか」という思いが積み重なって大きくなる。これはプラスの感情の場合でも同じ。単純にメンタルだけの話ではない。スポーツの複雑さはそこにある。日々の練習の積み重ねによる戦術の構築、個々の技術力、そして、メンタルがあってこその勝利だ。

別に、理論を唱えたいのではなかった。つい書いてしまった。

今日のテーマは「応援のカタチ」。

アイドルやタレント、俳優の応援をするならば、書籍を買う、テレビを見る、舞台に行く、プレゼントやファンレターを送る、など、お金はかかるが直接会って声を掛けたりサインをもらったりするのは難しい(お金を払って会えることもあるし、最近は”会いに行ける”ことも多いけど)。ほぼ、一方通行の応援に近い。だから応援する側も見返りを求めないスタイルになる。(事件になってしまうような人もいるけれど…)

芸人や舞台に出る役者だと、ライブを観に行けば会えるし、直接話したりもできる。だが、勝ち負けの世界ではないので、こちらも見返りを求める傾向は薄い。「またM-1で負けやがって!こんなに応援してるのに!!」と芸人に言うファンをあまり見たことがないのが分かりやすい。(もしかしているのかしら…)

だが、スポーツ選手は違う。こと、サッカーに至っては、選手に会える機会も多い。練習に行けば選手と触れあえる。プレゼントも渡せる。サインももらえる。直接話すことだってできる(場合が多い)。グッズを買い、チケットを買い、遠征費を出して、試合に応援に行く。しかも、実際に話したことのある選手が試合に出ている。となると見返りと言わずとも、「頑張ってくれるはず」「こちらの思いは届いている」と思うくらい、当たり前のこと。だからこそ不甲斐ないプレーを見せられたらイラっとするし、ヤジのひとつやふたつ飛ばす。ごく普通。最終的には「なんでこんなに応援しているのに勝てないんだ!」となることがあってもおかしくはない。だからこそ他のスポーツとは違う面白さと複雑さがあって、ファンとは呼ばないサポーターだと思うから。

応援にはどんなカタチがあってもいいし、それをどうやって選手や監督・クラブに伝えてもいいと思う。個人の人格を侵害するような誹謗中傷を除けば。私の応援のカタチは「楽しむ」こと。ボロ負けしたら相手のパフォーマンスに関心するし、勝ったらみんなとハイタッチするし、結局最後は飲み会するし、それでいい。もしかしたら誰かはそんなのサポーターじゃないって言うかもしれないけど、大半の人が実はそうなんじゃないかな。もちろん負けたら悔しい。いつかタイトルだって獲ってほしい。でもそうならなくても、応援するクラブがあって、仲間がいて、ちょっと顔見知りの選手がいて、スタジアムで声を出して飛び跳ねるだけで、幸せじゃない?平和を感じない?いや、令和を感じない?

私のカタチは私で、みんなはみんなだから、人のスタイルを批判する必要はない。誰かに強制する必要もない。「楽しむ」応援を続けていきたいなと、試合終わりの飲み会の帰りに思っている。

あ、最後に。私のようなものを「応援」して下さる皆様がいることに、とても感謝している。「もっと頑張れ」「早く売れてくれ」「(喋りや芝居)勉強しろ」これらの言葉、私は嫌いじゃない。「くそぅ!」と思いながら、見返して(結果出して)やると思っている。なにもかも有り難いことだ。これからもどうかよろしくお願いします、と頭を下げる次第である。

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