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その試行錯誤を誰が笑えるというのか

先日、保育園帰りに娘が言った。
まま!あのおつきさまをとってあげる!

私は「ありがとう〜」と微笑ましく聴いていただけだったが、
娘は意外とその後も思考を続けており、

「うーん!てがとどかない!」
「どうやってとればいいんだろう?」
「そうか!ながいぼうがひつようだね!」

と自転車に乗りながら、あれやこれやと話していた。

思い返してみれば、自分はそんな風に考えることを、
いつからかしなくなった。

正確に言えば、苦手になった。
大人になると、色々なことがわかってくるからだ。

月に手が届かない。その解決策が「長い棒」ではないこと。
もっと言えば、「お月様をママにあげる」。
それが無理だということも。

なので、大人になると考えることをしなくなる。
真剣に考えるのは実現可能なことだけ。
到底叶わなそうな試みは、時として笑われることすらある。

私は試行錯誤が苦手なほうだ。
きっと随分と昔に「大人」になってしまったのだろう。
小利口に、最短距離で手が届くことにしか考えることをしてこなかった。

記憶の限り試行錯誤する人を笑ったことはないけれど、
笑われることは恐れていたかもしれない。

けれど、いま目の前で繰り広げられる娘の試行錯誤を、
誰が笑えるというのだろうか。

幼いから。まだ「答え」を知らないから。

では、娘がその「答え」を知ってしまったら、
娘の試行錯誤は笑われる対象になり得るだろうか?

きっと、誰にもそんな権利はないはずだ。

そして、それは娘に限った話ではなく、
誰にとってもそうであってほしいと思う。

たとえ、月を手に入れることは叶わなくても。

届かない空に懸命に手を伸ばすその行為は、
誰にでも等しく尊いものだと、今なら思うからだ。

願わくば、自分自身が娘の最も身近な
「空に手を伸ばす大人」でありたい。

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