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【おうまPさんの疑問解決】地方馬と中央馬のレベルの差異について

おうまPさんは、影響力の強さもあって話題になりやすい存在ですし、私もそのツイートに眉をひそめたことがありました。

しかしながら、私自身もその疑問を解決できる豊かな知識を有しているかというと、それほどではありません。所詮はインターネット競馬おじさんに過ぎないという現実を、今あらためて認識しています。

そのうえで、おうまPさんの上記のツイートに、少し考えるところがありました。JRAの馬場整備技術は飛躍的に向上し、また芝も全季節に対応できる品種への入れ替えを行い、世界トップレベルのケアを続けているため、「冬枯れの芝」や「コース変更によるグリーンベルト」はほとんど見られなくなりました。

もちろん、開催が進むにつれて内側の芝は荒れるものですが、それでも以前ほど極端な荒れ馬場が見られなくなっているのも確かで、「これもうダートやろ」と言われる場面はなくなったと言っていいのではないでしょうか。

そして、上記のテーマに付随して、「地方馬と中央馬のレベル」について考えるのです。無知は罪ではありません。私もかくのごとく無知であり、こちらのツイートを契機に、いくつか学んだことをまとめようと思いました。それが本noteのメインテーマとなります。

地方馬と中央馬のレベル格差

実際のところ、「90年代においては、地方の砂と中央の芝(荒れた状態)に大差なかったのか」と問われると、今よりは差異が小さかったかもしれない、という仮説を立てています。

その事情を踏まえても、「一時的に地方馬と中央馬のレベルが猛烈に開いた時期があった」というのが、私の回答になるでしょう。

この格差は社台グループ、とりわけノーザンファームの伸長をけん引した調教技術の向上および施設の整備が、中央馬のレベルを一気に引き上げたことによって、決定的になったと考えます。

また同時に、バブル崩壊から売上的に斜陽の道をたどっていた地方競馬は、レベルうんぬん以前に生き残りに悪戦苦闘することになりました。

地方競馬の「死」の時代

2001年、中津市当局による「だましうち」と非難された中津競馬場の閉鎖を皮切りに、かつて自治体の財政を支えてくれた競馬場の「リストラ」が始まりました。

【近年の主な地方競馬の廃止・休止年】
中津競馬場:2001年
三条競馬場:2001年
(新潟県競馬は2002年)
益田競馬場:2002年
上山競馬場:2003年
足利競馬場:2004年
高崎競馬場:2004年
宇都宮競馬場:2005年
岩見沢競馬場:2006年
北見競馬場:2006年
旭川競馬場:2008年
荒尾競馬場:2011年
福山競馬場:2013年

現在、高速インターネットの普及、そしてクリーンで魅力的な競馬開催への尽力によって、全国に15ある地方競馬場はそれぞれの個性を活かしながら生き残りを図っています。

その魅力も知られてきているとはいえ、まだまだ予断を許さない部分も多いといえるでしょう。

高知優駿のケース

賞金額は、その競馬場の人気、レベル、財政状況を何よりも明確に示す指標です。日本が世界に冠たるパート1国に入ったのも、世界に比肩する競走馬のレベルとそれを支えるスタッフの皆さんの尽力の賜物でしょう。

他方、地方競馬は先に書いたとおり、斜陽の先にある暗黒の時代に突入しました。しかし、そこから這い上がりつつあるのもまた事実です。その明確な数字として、高知のダービーである高知優駿の1着賞金が良い例となります。

地方にわかの私がよくよく「高知優駿の1着賞金の推移がよぉ! すげぇんだよぉ!」とシンバルを持ったサルのおもちゃのように騒いでいるので、ほんのりご存じの方も多いかとは存じますが、あらためてここに紹介します。

【高知優駿の1着賞金の推移】
2000年:300万円
2001年:200万円
2002年:100万円
2003年:50万円
2004年:35万円
2005年:30万円
2006年:30万円
2007年:27万円
2008年:27万円
2009年:27万円
2010年:27万円
2011年:27万円
2012年:27万円
2013年:40万円
2014年:60万円
2015年:80万円
2016年:100万円
2017年:500万円
2018年:500万円
2019年:500万円
2020年:700万円
2021年:1,000万円
2022年:1,600万円

この記事の投稿日から見て明後日、2022年6月12日(日)に開かれる第50回高知優駿では、ついに1着賞金が1,600万円にまで達しました。これは同週の東海ダービーの900万円をしのぎ、全国でも人気側である兵庫県競馬(園田・姫路)の2,000万円に迫る金額です。

高い賞金は好調の証であり、今年も地方の雄である南関東4競馬から、複数の競走馬が遠征してくることになっています。高い賞金、高いレベルのレース、多くのファンによる購入。好循環の典型的な例といえるでしょう。

10年前の1着賞金は27万円。「いつ閉鎖の発表が出てもおかしくない」と関係者もファンも恐々としていました。しかし、ハルウララブームだけに終わらず、そこから魅力的なスポーツを提供する高知競馬を作り上げたことが、今日の躍進につながっています。

地方競馬は中央競馬の2軍ではないはずだ

漫画『みどりのマキバオー』に登場した競走馬、サトミアマゾン。彼はその強烈なキャラクターを「地方競馬出身からくる中央競馬への対抗心」という形で発揮し、多くの心に残る言葉を残しました。

そして、一時期は「地方競馬は中央競馬の2軍、あるいは草刈り場」とさえ揶揄されていたのも事実です。

特に象徴的な事例が、今から6年前、2016年の第62回東京ダービーでしょう。南関東4競馬は、地方競馬の中では立地面でも品質面でも恵まれていたこともあり、高い賞金体系を維持していました。

かつて名馬イナリワンを中央に送り出した、地方競馬の一等星こと大井競馬を始め、船橋、川崎、浦和といった南関東の4場は「地方競馬の淘汰の波」の中でも高いレベルと賞金体系を維持していたのです。

しかし、ゆえにこそ、「中央競馬の第一線で勝てなかった馬が、南関東の高額賞金レースをかっさらう」という現象が起きました。2016年の東京ダービーを7馬身差で圧勝したバルダッサーレは、その頂点に位置するものとして、多くの物議を醸しました。

あらためて書きますが、バルダッサーレはすばらしいパフォーマンスを見せましたし、鞍上の吉原寛人騎手も彼の力を存分に引き出しました。関係者の皆さんの尽力も、猛烈なものがあったでしょう。馬1頭の力を引き出すのは、それだけ大変なものです。

しかしながら、JRAで13戦2勝、それも前走の3歳500万下は11番人気1着の馬が、転入初戦で東京ダービーを圧勝し、1着賞金4,200万円をかっさらっていった。

地方競馬のファンから見れば、これほど面白くないことはありません。また、地方競馬の厩舎にしても、「良い馬を転入させたもの勝ちではないか」という気にもなるでしょう。

バルダッサーレは続くジャパンダートダービーで5番人気4着しているように、ダートではしっかり実力を見せたので、強い馬ではありました。「それでも……」という気持ちになったのは間違いなく、この出来事をもって「やはり地方は中央に劣るのだ」といった誤った印象が流布した面もあるでしょう。

南関東競馬のレベルを上げる「認定厩舎」

これに対し、南関東競馬は転入に関するルールを整備しました。ただ、それ以上に目覚ましいのが、2017年以降の地方馬の活躍です。

【2017年以降の東京ダービーの勝ち馬】
2017年:ヒガシウィルウィン 門別デビュー グランド牧場生産(新ひだか町)
2018年:ハセノパイロ 船橋デビュー 広中稔さん生産(日高町)
2019年:ヒカリオーソ 川崎デビュー ヒカル牧場生産(新冠町)
2020年:エメリミット 船橋デビュー 飯岡牧場生産(新ひだか町)
2021年:アランバローズ 船橋デビュー 大狩部牧場生産(新冠町)
2022年:カイル 浦和デビュー エスティファーム生産(日高町)

上記のとおり、純然たる地方馬が「地方最強のダービー馬」としてその冠を戴くことになりました。

日高の馬たちがすばらしい活躍を続けているほか、「冠名トーセン」で親しまれた島川隆哉オーナーがエスティファームを所有してオーナーブリーダーとなり、自前の血脈によって地方競馬の発展に寄与し始めたのも大きいところでしょう。

2022年優勝馬のカイルは、トーセンブライト産駒(父父ブライアンズタイム)、母トーセンヴェール(母父クロフネ)と、まさにトーセンの結実ともいえる血統でした。

さらに、2017年にはこのヒガシウィルウィンが、2021年には人気薄のキャッスルトップが、それぞれJRAの強豪を退けてジャパンダートダービーを制しています。

2021年までの全23回のうち、地方馬が優勝したのは6回。2001年の「4冠馬」トーシンブリザード以降、2002年から2016年まではフリオーソとマグニフィカ以外はすべてJRA勢でしたので、ここからも「地方馬の復権」が見えてきます。

南関東競馬は2010年代半ばから調教設備が拡充したほか、認定厩舎が増加傾向にあるのも、競走馬の能力向上に役立っているでしょう。大井競馬の小林牧場、川崎競馬の小向厩舎に加え、複数の認定厩舎が生まれています。

【近年増加した南関東地区認定厩舎】
・境共同トレーニングセンター(2009年~)
・下河辺トレーニングセンター(2016年~)
・ミッドウェイファーム(2008年~)
・NAR地方競馬教養センター(2010年~)
・大東牧場(2010年~)
・エスティファーム小見川(2013年~)

これらの多くは2010年代半ばから馬房数が増加しており、JRAの外厩制度で鍛え上げられた馬たちに負けないトレーニングができるようになったといえます。

また、遠く東海地区においては、名古屋競馬が2022年に弥富へ移転しました。もともと弥富にはトレーニングセンターもあり、ナイター設備がある新競馬場での運営開始は、売上増とレースレベル向上の良サイクルの波を呼び寄せることになるでしょう。

地方から中央に挑んだ名馬たち

これは私の趣味の話なのですが、斜陽だ暗黒だと言ってきた「失われた30年」の地方競馬からも、多くの名馬たちが中央競馬に挑み、結果を残してきました。とりわけ、私が思い出に残している馬を3頭紹介しましょう。

なんといっても、真っ先に名前を挙げたいのは浦和デビューのトロットサンダーです。故障に悩まされながらも、まさしく稲妻のごとき強さを見せ、1995年のマイルCSと1996年の安田記念を制しました。

前者ではヒシアケボノビコーペガサスといった、かの人気ゲームでもおなじみの顔ぶれに勝利。2着に16番人気のメイショウテゾロが大駆けし、馬連10万馬券の大波乱とおなりました。

後者はまさに激戦。トロットサンダーと2着タイキブリザードはタイム差なしのハナ差。3着ヒシアケボノもそこからクビ差で、わずかな差が勝敗を分けたといえるでしょう。ここにもジェニュイン、ビコーペガサス、ダンスパートナー、フラワーパーク、ヒシアマゾンと、懐かしい名馬の名前が並んでいます。

また、トウカイポイントも盛岡でデビューし、中央に殴り込みをかけた馬です。2002年のマイルCSは11番人気ながら大接戦を制して優勝。1着から12着までが0.5秒差に収まるすさまじいレースでした。2着はエイシンプレストンですから、レースレベルも高いことがわかります。

トウカイテイオー産駒の輝ける勝利ながら、彼はセン馬であったことから、繁殖に入ることはありませんでした。

個人的に「びっくらこいた」のは、2008年のファンタジーSを制したイナズマアマリリススエヒロコマンダー産駒の母父ラムタラ。いかにも地方馬らしい血統の彼女は旭川でデビューし、札幌の500万下を単勝万馬券の154.5倍で快勝。

さらに、OP競走のすずらん賞でもタイム差なしの2着を経て、「勝負強い騎手といえば彼」な池添謙一騎手がファンタジーSで躍動。ワンカラットとタイム差なしの13番人気1着で優勝を果たしました。

その後、阪神JSでブエナビスタから1.0秒差の5着に終わって以降は、すべてを出し尽くしたのか、掲示板に入ることはありませんでしたが……現在も繁殖牝馬として活躍中です。

その舞台で気高く舞え

かつて、地方と中央の実力差は大きく開きました。それは事実であろうと、私も考えるものです。しかし、地方のダート連勝から、中央の芝競走に挑むのは無謀なのか?

盛岡競馬場、オーロパークの芝で我慢しておくべきなのか?

これに関しては、明確にNOと回答すべきであるとも考えます。彼らがそこですぐれた力を発揮したのならば、可能性を最大化してあげるのもまた、ひとつの愛であるといえるでしょう。

それが稼げる道であり、また「生き残りやすい」道であるとも言えるからです。コスモバルクのように□地のまま戦い続けるのもひとつの方策ながら、やはり現実的ではない部分がある点も認めなければならないでしょう。

むしろ、今後は地方と中央が対立構造ではなく、より互恵的な形で共存していくことになるのではないでしょうか。中央の芝、地方の芝、中央のダート、地方のダート。それはレベル差ではなく、個性の差によって語られる時代が到来しています。

「再びメイセイオペラのような、地方からJRAのG1を勝つ馬が現れるか」

という究極の問いも、やはりこの前提に沿ったものになるでしょう。すなわち、非常に高いハードルだが、決して不可能ではない。中央への転入が最善手ではない名馬が、地方所属のままに制するかもしれない。

それが夢と現実の折り合う、同時に希望の灯火が輝く回答になるかと存じます。