貸本屋三代目店主、いよいよ立退きへ!どーする? どーなる!?〜Vol.1〜

さて、まずは私の自己紹介からさせていただきます。

都内某所で50年以上続く貸本屋を引き継ぎ、早7年が過ぎました。

ゆたか書房店主、マリと申します。


貸し賃はマンガ一泊80円~、超過料金は1日につき20円・・・。
20年前と同じ料金設定をそのまま続けているこの店、
まさに「儲からぬことこの上なし!」

お客さんから頂くお金は、すべてこの店の家賃、仕入れ、光熱費で消え、
つまりは無銭労働を7年以上も続けてきたというのだから、
資本主義社会にあるまじき異常な店、異空間と言えるでしょう。

「もうやめたい」「でも、やめないでと言ってくれる人がいる」
「店を畳むには勿体無い歴史がある」と、せめぎ合う気持ちは山ほど。
そうして、自分の本業で支えることによって、
なんとかこの店を持ちこたえさせてきたわけです。

というわけで、今回は、
私がなぜこの店を引き継いだのかをお話をしていこうと思います。


当時、私はこの店のお客さんでした。

もともとの店主さんは、
ゲゲゲの女房の時代にこの店を立ち上げた方の娘さん。
出会った当時、すでに白髪となっていた、ともこさんでした。

ともこさんはとってもリベラルで面白い人。

彼女がどんな人かといえば、
無宗派、無政党派でありながら、
若かりし日には共産党の事務所で働き、
催涙弾を投げ込まれそうになった時には、
這ってでも逃げようとした人なのです。

また、ファンシィダンスで言うところのお山に入った(=仏門で修行)こともあり、大木に縄でくくりつけられたこともあるという、
とにかく謎の経歴の持ち主だったのでありました。

そんなともこさんのことをとても好きで、
店に行くたびに長話をしていたのでした。

では、私自身は当時、何をしていたのか?

さかのぼれば大学卒業時、
「一生、就職しないでこの世の中をサバイヴする」
と胸に誓い、現在までそれを続けている次第でございます。

大学卒業時には、偶然にも六本木のキャバクラにスカウトされ、
家賃を払うために働いてみた結果、2ヶ月でナンバー1になりました。
電話番号も教えず、同伴もアフターも一切なし、
いただくものはあくまで指名料と時給のみと決めて挑んだ結果、
最高で月200万円ものあぶく銭を稼ぐほどにもなりました。

しかし、やがて私は気付くのです。
「自分は、キャバクラに来る人々の”心の隙間”を埋めるために
生まれてきたわけじゃない」と。
それで、数ヶ月働いたのちにあっさり辞めてしまったのです。

それからは、英語も一切できないのに、知り合いもいないニューヨークに滞在し、数ヶ月間、謎の武者修行をしたこともあれば、
インディーズのソロアーティストとなってみた時期もありました。
(このインディーズ期間に、激しいストーキングをされたり、刺されそうになったりしたこともありましたが、それはまた別のお話なので割愛します)

そこから、幾つかのバイトを経て、
某制作会社にてライターのアルバイトを3年続けることに。

そしてある日、
「人員整理するから社員にならないか」と匂わされ、
「一生就職しないって決めてるんで辞めます」と
あっさり断ったのでした。

もうそれなら、フリーになった方が稼げるんじゃない?

そんな単純な発想のもと、
無謀にも何のコネもないままフリーのライターとなり、
食えない時期を過ごした果てに、
そこから現在まで、幸いにも食い続けている次第なのでございます。

さて、お話をもとに戻しましょう。

私がともこさんに出会ったのは、
フリーのライターとして死ぬほど働きまくっていた時期でした。
(某電通の働きぶりなど比にならないほどの労働時間です)

もともと小説は好きだったけれど、
読み始めたら丸ごと頭を持って行かれてしまうのが大問題。
仕事に支障をきたすので、遠ざけようと意識していました。

しかし、その点、漫画はショートトリップ!
一冊読み終わればすぐに帰ってくることができる。
家を一歩も出ずに、短い旅で気分転換できるなんて最高〜!

そうして、いつしか私は、毎月3万円も落とすほど、
この貸本屋の上客になっていたのです。
(当時も一冊の貸し賃80円〜100円が中心なので、
毎月、300冊近く借りていた計算ですね)

そんな私に大きな岐路が訪れたのは、
風薫る2009年3月のことでした。

久々に一気読みした「うる星やつら」を返却しに出かけたところ、
ともこさんは突然こう言ったのです。

「誰にも言ってないけれど、4月いっぱいでこの店をたたむ」と。

「それはもったいない!」と思わず答えれば、
「じゃあ、あなたやってよ!」と、
ともこさんは笑顔で言います。

実は、この半年くらい前に、ともこさんから
「いずれは店を閉めて、移住して農業をやりたい」
という話を聞いていた自分。

そしてこの時、「いずれこの店を閉める時が来たら、こういう店を継げたら面白いんだろうなあ。あの番台に座ってみたいなあ」と思っていた自分。

もちろん、後先考えず、即座に私は答えました。
「じゃあ、やります!!」


すると、ともこさんは、
「すぐ答えを出さなくていい。でも、あなたなら譲る。
この店の造作と本、ノウハウの全てを100万円で譲る」と。

・・・・・・・・・。

ひゃ、ひゃくまんえん〜〜!?!?
(この本、ブックオフで売ったら二束三文なんですけど・・・!?)

でも、その時の私はこう思ったのです。

「100万円なんて、海外旅行に何度か行ったらすぐに消える。
でも、100万円払っても、歴史ある貸本屋の番台に座れる機会なんてそうそうない! それでもって、今、自分の口座には100万円出せる程度の貯金はある」と。

そして、こうも思いました。

「この長く続く貸本屋を手放すには、きっとご本人にも色々な思いがあるはず。それを言い値で買うくらいの漢気がなくては、この店を継承する資格などない!」と。

そこで、自分で譲渡の契約書を作り、
(消費税込みで100万円、印紙も購入・貼付済み!)
賃貸契約も自分名義に変更し、
1ヶ月の修行期間を経てから継承することとなったのです。

もちろんこの貸本屋稼業については、
「儲からないよ」という話は聞いていました。
でも、本業のライターを並行して稼げば問題はないだろう、
副業としてもう一本の稼ぎのルートもできるだろうと思っていたのです。

しかし、現実は甘くはなかった。

そう。そうなんです。
正真正銘「儲からない」実情を知ったのは
継承が決まった後のことだったのです。

ともこさんは、ご夫婦でこの店を運営し、
当時の営業時間は12時半から23時まで。
お休みは日曜と祝日のみでやっていました。

それで月利が5万円・・・・!?

え〜〜〜〜っ!! そんな話、初耳なんですけど!?

どーする自分!?どーなる自分!?

つづく・・・・

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