天気が悪い

風が強い。昨日から強かったけれど、今日もまだ窓から聞こえる音は台風の時のそれと変わらない脅威を感じさせる。おじさんの咳も聞こえる。歳を取ったら何故だか人は大きく咳やくしゃみをする(特におじさん)。自分もある程度歳を取ったらそんな風になってしまうのかと不安になりながらこれを書いている。そんな風に歳を取った自分は仲間達と「俺らも年取ったなあ」と病気の話ばかりする時がやってくるのだろうか。そんな自分をあの人は変わらず好きだと言ってくれるのだろうか。脳内で小さく『私がオバさんになっても』が再生される。すごく可愛い曲。いくつだか知らないけど最近の森高千里は全然オバさんの見た目になっていない。すごい。自分も頑張ろう。絶対綺麗になってやる。

午後からは雨予報なので、出掛けるか迷ってしまう。変わらず風も強いので、ほとんど台風のような天気。年に数回は今日みたいな日がある。通勤しなければいけない人にとっては大変だろう。その上、窮屈な満員電車に揺られているところを想像しただけで気分が沈む。朝の最悪な景色だ。みんな頑張ってて偉い。

明日も雨予報なので予定していた登山は延期にし、蕎麦打ちをすることにした。遊びの予定は天気に左右されすぎる。もう少しどうにかならないものか。大人になるにつれ、スケジュール調整が難しいのに、その上天気に邪魔されるとなるととても遺憾である。どこかの偉い人が開く記者会見的妄想を繰り広げながら言う。「大変遺憾であります。」
だが、古の住民に比べたらいい方か。彼らは天気がもたらす損害をダイレクトに受け、命の危機に晒されるのだろう。それに比べたら贅沢な悩みだと思いつつ、文明の発展と科学技術の進歩に感謝しつつも悔しい気持ちは拭えない。

そして、今日もあまりすることがない。出掛けるという選択肢を奪われるだけですることがないように感じてしまう。本当は家でもやることは沢山あるのにないと感じてしまう。これも贅沢なのだろう。実際読書や映画を見て何だかんだ時間が過ぎてしまうのだろう。そして、きっと夕方頃にはやるせない気持ちになってしまうところまでは想像がつく。一日中家で過ごした日のあの感じ。自分は日光に当たらないと調子を崩してしまう種類の人間なのだと改めて思う。だけど、おそらく、天気が良くて外に出ていたとしても早く家に帰ってダラダラ過ごしたいと思ってしまうことも目に見えている。要するにないものねだり。人はないものねだりだ。かつ贅沢な生き物だ。今日も隣の芝は青い。ルサンチマンの支配からは逃れられない。そんなことをつらつらと書いている。


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