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優秀な人材はどこかにいるのか?

経営者同士での会話でよく聞く言葉に「どこかに優秀な人はいないかね~?」という言葉がありました。自社の人材のレベルに対する不満や、それによる自社の将来への不安があると、つい口から零れ落ちてしまう言葉です。しかし言葉を口にしたところで、「素晴らしい人材がいますよ。紹介します」という返事が返ってくることはありません。「そうだよね〜。どこかにいないかね〜」という雑談で終わるケースがほとんどでした。じゃあ、経営者はどうするのよ、ということについて思っていたことを書き述べてみたいと思います。

優秀な人材とは?

業界経験や知識が豊富で実績も充分。細かいことを教えずとも即戦力として力を発揮してくれて尚且つ成果も上げられる。ともすれば経営者自身が知らなかったことにも造詣が深く、良き相談相手ともなってくれつつも、経営者が決断したことを理解してそのイメージ通りに行動し想像以上の結果もあげてくれる、そんな人材。
少し求めすぎかもしれませんが、こんな人材がいるならば、それはどんな経営者でも欲しがるでしょう。

では果たしているのか?と冷静に考えてみれば、そんな人材はいないという結論に至ります。探し尽くせばいるかもしれませんが、実際にその人が来てくれるかは未知数です。もし来てくれるとしても相当なギャラも必要でしょう。

そもそも優秀な人材といっても、業界によって基準は異なります。
同業種であったとしても、会社の風土や目指すビジョンによっても変わってきます。
先に書いたざっくりとした条件では皆が共感できたとしても、実際の細かい行動や志向性を考えると、社長によっても優秀な人材の定義は変わってきます。

あの会社で優秀と言われているけど、うちの会社では務まらないなとか、
あの社長はずいぶんと買っているようだけど、私はそこまで評価できないね、なんて話もよくある話ではあります。

優秀な人材とは、それを求める社長や会社によって実は千差万別です。

ある程度親しい間柄の社長同士であれば、「どんな人材が優秀か?優秀さは何で判断しているか?」という詳細を議論や対話して、お互いに観点を交換できたりするのですが、中々そこまで話が膨らむことは私の場合はなかったような気がします。

一方で、どこかにいるかもしれない優秀人材を求めて、巷の転職エージェントや人材紹介のサービスを活用するというのも有効な手段だと思っています。
実際に転職サイトの活用で、優秀な人材を探すことや適した企業、職種と出会えるケースも実際には多々あります。

しかし、言うほど簡単ではないし、いい人材はやはりギャラも高いし売り手市場です。
中小企業社長にとっては悩ましいところだなあ、とも思えてしまうのです。

育成は面倒くさいか?

その人が考える優秀な人材が見つからないのであれば、選択肢はふたつに限られます。
今の人材で我慢するか(諦めるかとも言えます)、
今の人材を優秀な人材に育てるか?
のふたつです。
会社の成長を考える社長であれば、おそらく前者で納得する人はいないと思います。
諦めたらそこで終了ですから。
否応なしに後者、つまり育成することを選択することになります。

しかしですね。誤解を恐れずに言うのであれば、育成するってめちゃくちゃ大変です。
時間も労力もかかります。教えたことが直ぐに結果に結びつくわけでもありません。

山本五十六大将の有名な名言
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」

この言葉の意味には同意するしかありませんが、この言葉を実行するのはかなりハードルが高い!前段まではできても、中段で限界に達し、後段はもう自らの精神鍛錬の域にも思われます。

人材育成に取り組むということは、本当に面倒くさいのです。

人材育成などおこがましいわ

一方でこんな考え方もあります。
「人が人を育成するなどおこがましい。できることは育つ環境をつくることにある」

言葉の意味としては、確かに納得できます。
お前ごときにおこがましい!と言われれば、はい!その通りです。とひれ伏すしかありません。

で、環境作りを考えるのですが、この環境も実際にどんな環境がいいのか?と考えると中々難しい。そもそも環境を作るというのは一朝一夕にできるものではありません。またチームや組織となれば、社長一人の言葉や行動だけでどうにかなるものでもない。

それこそ山本大将の言葉を自ら実行し、部下が動き出し、育ち始め、実ってきて、それでやって環境というものが出来てくるとも言えます。

頭では分かっても実際に実行するとなると大変なことです。
時間と労力、金銭的コストもかけて、人や組織を作っていくとなると、方向性としての失敗は許されません。細かなひとつひとつの試行錯誤は当然していかなければなりませんが、一度出した方向性について大きく進路変更するとなると、組織の混乱や社員の離脱、財務の悪化といった悪循環の可能性も否定できないので、やはり社長としては慎重にならざるを得ない。

育成などおこがましい!と叱られるくらいなら、ここはありがたく従っておこうと思いたくもなってしまいます。

面倒くさいままでいいのか?

育成など一旦はやめておこう、と決めてしまえば当座の面倒はなくなります。
優秀な人材の獲得を諦め、社内の人材育成を諦め、取り敢えず不満はあるが現状維持でなんとかやっていこう。それでもそこそこ回って来たし、これからも回っていけるだろう、とも考えられるからです。

しかし本当の面倒くささは、ここからが本番です。
優秀な人材に求めた資質や能力は埋まっていません。引き続き社長自らが自分でやり続けるしかないのです。
ルーティンの作業は任せられたとしても、売上を増やす、会社を成長させるための思考や行動は任せられないのですから、全部自分です。相談に乗ってくれる社員もいないし、自らの間違いを指摘する社員もいないのです。
これって、相当きつくないですか?

中には、この状態こそがベスト!と考えられる社長さんもいるかもしれませんが、少なくとも私にはムリです。面倒くささマックスの状態ですから。

面倒の先送りは、当座の面倒からは解放されますが、後々により大きな面倒がやってきて、しかもその面倒は延々と続くことになります。そして続けば続くほど、面倒の規模は大きくなっていくものです。一度の悪天候ならば、いつかは晴れると期待できますが、こうした面倒の本質は人とお金です。人とお金によって起こる面倒は自ら何かを動かさなければ解決しないと私は思っています。
雨雲や台風のように、時間が経てばなくなるものではないと思うのです。

育成に取り組めばラクができる

私の信条は「ラクしたい」ことにあるので、自分がラクをしたいという、いわば我欲のために人材育成に取り組みました。
山本大将のようにとはとても言えませんが、自分が思う優秀な人材像をイメージして、その素質がありそうな、或いはその領域が好きそうな社員にそれらの仕事の経験を積んでもらう。自分が苦手な領域は、得意な人に頼って任せて、感謝して尊敬する。

また人事評価制度を作る際にも、コンピテンシーなどを通して自分がイメージする「優秀な人材」を描いて、そこに皆が向かっていくような仕掛けをすることもありました。

自分が描く「優秀な人材」像に対して、同じくそのような人材像を志向する社員を採用するというのも大事です。私が優秀と思うイメージに反発する人がいると、面倒が増えるだけです。

そんなこんなの甲斐あって、社長在任中の後半はかなりラクできる状態になることができました。もちろんその中でも課題は山ほどあったし社員の不満も少なくなかったはずですが、それはそれで仕方のない話です。それだけ社員が求める理想も高まってきたのです。社員から見た「優秀な社長」のハードルも上がったということです。
社員に優秀さを求める以上、社長も社員から求められる優秀さに応えていかないといけないよなあ、と思うのです。

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