「石浦昌之の哲学するタネ 第5回 アリストテレス」

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OPテーマ いしうらまさゆき「明日のアンサー」(2015年4枚目のアルバム『作りかけのうた』より)
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【オープニング】
夜も更けて日をまたぐ時刻になりましたが、寒い毎日が続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?オープニングはいしうらまさゆきの2015年のアルバムより「明日のアンサー」という歌で始まりました。「日本初の出版社が運営するインターネット深夜放送・極北ラジオ」、「石浦昌之の哲学するタネ」、早くも今回で第5回目…ということで、私・いしうらまさゆきが哲学するための必要最小限の基本知識を「タネ」と呼びまして、混迷の時代にあって、答えのない問いに答えを求め続けるためのタネ蒔きをしようじゃないか、というのが、この番組のコンセプトです。今年1月からは新装・リニューアル!となりまして、ツイキャスからYouTubeに場を移しての「哲学するタネ」となっています。毎回45分~1時間の長い番組ですので、YouTubeでしたら、日頃のスキマ時間に、15分ずつ聞くこともできるかと思います。引き続きご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。ちなみにもう一つの極北ラジオの番組、社会学者の竹村洋介さんの「夜をぶっとばせ」。こちらは引き続きツイキャスでの配信となりますので、お間違えの無いようにお願いいたします。

それにしましても、寒い毎日が続いております。特に日本海側・北陸の久々の大雪がニュースになっています。私の両親はじめ親戚一同は石川県の出身でして、祖母からも年末は天気が良いと聞いていたのですが、今年に入ってからは凄いですね。私も帰省で幾度となく金沢を訪れているのですが、小さかった30年以上前の記憶と比べると温暖化のせいか、年々雪が少なくなっているような印象があったんですが。とはいえ、私の母親などは山中という温泉町の出身でして、小さい頃は家の1階は雪で埋まったそうです。小学校に通うときは2階の窓から、電信柱を跨いで通っていたそうです。小さい頃はそんな話を楽しそうに思えたのですが、今はそうは思えないですね。くれぐれも雪崩、落雪などご注意いただければと思います。

【現実主義者アリストテレス】
さて、今日のテーマはアリストテレス。前回の理想主義のプラトンに対して、現実主義者のアリストテレスです。前回プラトン[B.C.427-B.C.347]にピンとこなかった方は、おそらく現実主義者なのかもしれません。夢物語のようなことを語っていても、「現実」は何も変わりません。壮大な「理想」を語る前にまず身近なことから行動すればいい、と思うかもしれません(とはいえ、実は「理想」と「現実」のバランスこそが重要なのですが)。ルネサンス期にラファエロ [1483-1520]が描いた『アテネの学堂』(バチカン市国にあります)の中心にはプラトンとアリストテレス(Aristotle)[B.C.384-B.C.322]が描かれています。プラトンは指を天に向かって指し示し、アリストテレスは手を前に突き出し、手のひらを地面に向けています。プラトンは天上の「理想」の「イデア界」を示し、アリストテレスはそれと対照的に目の前の「現実」を見ている…というわけなんです。アリストテレスは、師プラトンの「イデア論」を荒唐無稽である、として退けた人でした。

アリストテレスが生まれたのは、ギリシア辺境の国マケドニアです。ギリシア人がバルバロイ(野蛮人[barbarian]の語源です)と呼んでいた地域にあたります。父はアレクサンドロス(アレキサンダー)大王(Alexander III of Macedon)[B.C.356-B.C.323]の祖父の侍医でした。学園アカデメイアに入門したときアリストテレスは17歳、プラトンは60歳でしたから、どこまでの師弟関係が存在していたかは少々疑問が残ります。師の「イデア論」を批判して、プラトンの死後にアテネを去ったと言われています。ここまで言いますと、アリストテレスとプラトンは相対する立場のように思えるかもしれませんが、アリストテレスは長らくアカデメイアに籍を置いていたわけですし、影響を受けたプラトン思想を批判的に継承した人、として捉えるべきだと思います。プラトンが「若駒が母馬を蹴飛ばすように私を蹴飛ばした」と言った、などいうエピソードもありますが、それも実際はアテネの反マケドニアの動きが理由です。アリストテレスは41歳でマケドニアに戻ると、アレクサンドロス(アレキサンダー)大王の家庭教師となります。再びアテネに戻った後は、学園リュケイオン[Lykeion](フランスの高等教育機関リセ[lycée]の語源)を開きました。アレクサンドロス大王の急死後は再び反マケドニア運動がおこり、アテネを追われて、母の故郷で亡くなっています。

アリストテレスが様々な学問を体系づけ、「ばんがく万学の祖」と呼ばれたことは、下記の著書が種々の学問分野の名称となっていることからもわかります。形而下(形あるもの)を超えた形而上の存在を突き詰めた『形而上学(メタフィジックス[Metaphysics])』(『自然学(フィジックス[Physics])』の「後(メタ[meta])」の著作という意味です)、人間のあるべき生き方を説く『ニコマコス倫理学』(「倫理学」は「エシックス[ethics]」、「ニコマコス」は編者だった息子の名前です)、ほかにも『論理学(ロジック[logic])』や『政治学(ポリティクス[politics])』、『弁論術(レトリック[rhetoric])』、『詩学(ポエティクス[poetics])』、『自然学(フィジックス[physics])』など膨大な著書が残されています。後述する中世のキリスト教神学「スコラ哲学」はアリストテレス哲学に依拠し、多大な影響力をもちましたし、デカルト[1596-1650]に代表される近代哲学はアリストテレス哲学体系を見直すことから始まったのでした。

【イデア論の批判】
「現実界」の事物は、感性では捉えられない「イデア界」の「影」である…アリストテレスはこれを排し、事物の「本質」(それは何であるか)である「けい形そう相(エイドス[eidos])」は、事物の「素材」(何からできているか)である「質料(ヒュレー[hyle])」に内在している…と考えました。本質と素材から物の存在を説明するというのは、朱子学の理気二元論とも似ています。理が不変の本質、気が変動する素材ですね。「ヒュレー」はラテン語で「materia」と訳され、英語の「material」(物質の/材料)や「matter」(物質)の語源となっています。「現実界」の「犬」とは、「犬」の「素材」(皮膚・内臓・器官など)に犬の「本質」(犬という種)が内在することから成る…ということです。しごく当たり前ですが、「犬」という存在を説明するきわめて明快な定義です。プラトンのように「犬」は「犬のイデア」の「影」である…というのは少し無理があるようにも思えます。このようにアリストテレスは、個物の「本質」は個物を超越した「イデア界」にあるのではなく、個物(素材)に内在している、と考えたのです。

さらに「存在」とは「イデア」のような永遠不変のものではなく、動的なものであると捉えました。アリストテレスはそうした運動の原因を4つに整理しています。1つ目は「質料因」(素材・何からできているか)、2つ目は「形相因」(それは何であるか)、3つ目は「始動因」(運動・変化を引き起こしたのは何か)、4つ目は「目的因」(どのような目的をもつか)です。近代以降は、科学の発展に従って物事の「原因」と言ったら「始動因」を指すようになりますが、中世までは「目的因」が重要視されていました(こうした自然観を目的論的自然観といいます)。アリストテレスは、事物にその形相(エイドス=本質)を実現させているものを不動の動者(自らは動かずに、他を動かす)あるいは純粋形相と呼んでいました。これはいわば「神」と言い換えてもよいものです。「神」がすべてのものを自らに向かって運動させている…ということです。ここまで言ってもふ腑に落ちないかもしれないので、例を出しましょう。「人間」という存在、は皮膚・内臓・器官…という「素材」(質料因)にホモ・サピエンスという種、つまり「本質」が内在し(形相因)、父と母によって(始動因)誕生します。そして最後に残されたのは、どのような目的で・何のために生をう享けたのか(目的因)という話です。皆さんがこの世に生をう享けたのは何のためか…これは正直誰にもわかりません。人間の本能、とでもいうほかないものです。「神様が…」とか「コウノトリが…」などという人もいるでしょう。アリストテレスはこれを、神のような不動の動者や純粋形相をもち出して説明しようとしたのです。後述しますが、キリスト教の神の支配した中世欧州のキリスト教神学(スコラ哲学)では、アリストテレス哲学がその理論的基盤になりました。

さて、再び「存在」のダイナミックな運動をおさらいしましょう。目の前の木製の机を例にとってみます。机になる前の丸太は、質料(ヒュレー=素材)の中に、机という形相(エイドス=本質)が可能性として含まれています。これを机の可能態(デュナミス[dynamis])といいます(質料は可能態です)。これが「ダイナミック[dynamic]」という言葉の語源ですが、もともとは潜在的にため込まれた(机になる可能性がある)「エネルギー」という意味合いがあります。この丸太をノコギリで切るのが「始動因」です。こうしてできた机は可能態から移行して、机という形相(エイドス=本質)を実現させたものです。これを机の現実態(エネルゲイア[energeia])といいます(形相は現実態です)。「エネルギー[energy]」という言葉の語源ですが、もともとは「ダイナミック」に実現されたもの、という意味合いがあったのです(「ダイナミック」と「エネルギー」は現在の用法とは真逆なのが興味深いです)。さて、丸太(質料因)にノコギリで手を加え(始動因)、机という「本質」(形相因)が内在しました。最後は「目的因」です。この机にパソコンを置いて作業を始めれば、不動の動者(純粋形相)により、机という形相(エイドス=本質)を最大限実現させることができるのです。でも油断してはいけません。机の上にお尻を乗せて、どかっと座ってみたらどうでしょう。途端に机はイスになり、イスという形相(エイドス=本質)を最大限実現させたことになるのです。目の前の机という存在だと思っているものも、イスという存在に成り得る…アリストテレスが存在を4つの原因から捉えたことは、極めて妥当だと思われます。六角形の鉛筆も、「1~6」の数字を書いて転がせばサイコロに成り得るのです。
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ジングル1
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【幸福(エウダイモニア)な生活】
では、人間を人間たらしめている形相(エイドス=本質)とは一体何でしょうか。それは「理性」です。ソクラテスの言った魂(プシュケー)は全ての生物に備わっています。その魂の一部である「理性」は、人間にしかない形相(エイドス=本質)なのです。「理性」には2つの働きがあります。1つ目はかんそう観想(テオリア[theoria])です。観想は「理論」を意味する「セオリー[theory]」の語源ともなりました。アリストテレスによると、人間には3つの生き方があるそうです。まずは「享楽的生活」。快楽を求める生き方です。次に「政治的生活」、これは名誉を求める生き方です。そして最後が「観想的生活」です。『形而上学』の冒頭には「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」とありました。具体的には学問に没頭し、知(エピステーメー)を追い求め、感覚で捉えることのできない万物の目的であるところの不動の動者(プラトンの考えた「イデア」です)を「理性」で直観[intuition]するということです。しかもこれは、目的を達成する手段としての実用的な真理探求ではなく、理性により真理を直観することそのものを目的とする、人間最善の徳であり活動である、と考えたのです。確かに知的好奇心の赴くままに本を読み、頭を働かせている時は何とも楽しいものです。私もできれば毎日そんな暮らしをし続けたいと思います。学問を生業にする文系大学教員の中には、そうした実践ができている人が多少はいるかもしれません。でも昨今はそれも難しくなっているように思います。教員の世界にも極度の成果主義がもち込まれ、短期的にお金を生む手段としての学問が称揚されている雰囲気があります。中学や高校の教員を取り巻く現場も観想から程遠くなって久しいです。ただし生徒は違います。特に求道僧のような受験期の生徒は違います。初めは大学合格の手段として嫌々勉強に取り組むわけですが、そのうち「現代文」「古典」「数学」「英語」「生物」「物理」「化学」「地理」「日本史」「世界史」「倫理」「政治・経済」…など各教科の学習内容が有機的に結びつき、純粋な「愛知」そのものが目的となる…高3の12月ごろになると、そうした真理を直観した生徒に出会えます。人生でもこのような「観想的生活」の高みにたどり着ける時期は少ないのではないでしょうか。

さて、「理性」の働きの2つ目は、現実的な中庸(メソテース[mesotes])です。これは、無謀や臆病を避けた「勇気」、放漫やけちを避けた「鷹揚」、自慢や卑下を避けた「正直」といった超過と不足という極端な悪徳を避けた程よさを指します。とはいえ中間を取るということではなく、そのつど適切な選択をすることです。同義ではありませんが、仏教で説かれていた「中道」を思い出します。欲望や感情を理性でコントロールする、ということでもあるわけです。

このような「理性」の2つの働きによって実現される、究極の目的としての最高善が幸福(エウダイモニア[eudaimonia])です。これはソクラテスが信じていた「善き[eu]ダイモン[daimon](新奇な神、良心の声)」に守られている、という意味です。ソクラテスが言った「善く生きる」とも重なり合うものです。中庸を重んじ、学問に没頭する生活により、幸福が実現される…快楽や名誉、金銭など求める生活では幸福を実現できない(一時の幸福は得られるかもしれませんが)ということです。アリストテレスは「イデア論」を斥けながらも、個別的・相対的な善ではなく、人間の徳(アレテー)に基づいて魂を活動させることで、普遍的・絶対的な善を設定したのです。

徳という言葉が出てきましたが、アリストテレスは人間の徳を2つに分けています。1つ目は知性的徳、つまり知性の働きのよさに関する徳です。例えば「観想」や「知(エピステーメー)」、原理の直観的把握である「知性(ヌース[nous])」、「知恵(ソフィア[sophia])」、「技術(テクネー[techne])」、「中庸」を判断する「思慮(フロネーシス[phronesis])」がそれに当たります。また、学習して知識や理論を得ただけではダメで、現実世界で実践しなければ意味がない…とよく言うことがあります。それが2つ目の習性(倫理、エートス)的徳です。欲望や感情をコントロールして、日頃から中庸を守るよう反復的に習慣づけすることが大切なのです。習性的徳には「勇気」「気前のよさ」「友愛」「正義」「節制」などが挙げられます。

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~お便り紹介~
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いしうらまさゆき (feat.EARVIN)「しょうがない」(2014年3枚目のアルバム『語りえぬものについては咆哮しなければならない』より)

それでは音楽もいってみましょう。私の3枚目のアルバム『語りえぬものについては咆哮しなければならない』より「しょうがない」。これは友人のラッパーのEARVINさんに参加してもらったトラックです。EARVINさんはウリフターズという二人組で2008年にメジャーデビューしているラッパーさんで、EAST ENDのGAKU MCさんがやり始めて、ファンキーモンキーベイビーズで大衆化したメロディアスなシンギング・ラップをやっていた人です。フォークとラップはスタイルは遠いようで、実は言葉を大切にする点で結構近いと思います。EARVINさんは私がやっているフォークのコミカルな詩の世界を気に入ってくれたみたいです。ちなみに、EARVINさんはこのレコーディング、ワンテイクで決めました。これは凄かった!ピッタリでしたからね。さすがプロのラッパーさんだな~と思いました。
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ジングル2
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【人間はポリス的動物である】

習性的徳の例として、先ほど友愛(フィリア[philia])や正義(ディケー[dike])を挙げましたが、アリストテレスはこれらをポリス(共同体)で生きる上で欠かせないものだと考えました。これらの徳はポリスにおける他者との善き関係性の中で学ばれ、実践されます。ですから、ポリスがなければ「正義」も「幸福」な生活も成立しないということです。こうした文脈で「人間はポリス的(社会的)動物(ゾーン・ポリティコン)である」と言ったのです。社会における利害調整の学である政治学を学ぶと、その導入にしばしばこの一節が出てきますが、アリストテレスが語った文脈はこのようなものでした。ちなみに「友情」とも言い換えられる友愛は3つに分けることができます。1つ目は「快楽による愛」、自分に快楽を与えてくれるものへの愛です。2つ目は「利益・有用さによる愛」、テスト前にノートを見せてくれたり、マンガを貸してくれる友達、といった感じでしょうか。アリストテレスが最も重要視したのは、3つ目の「人柄の善さによる愛」です。お互いが人間性の善さに基づいて結ばれ、相手が善くあれと願う友愛…「友とは——「第二の自己」である」「愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存する」とも言っています。私たちの「友情」をいま一度見直してみる必要がありそうです。ちなみにアリストテレスは友愛があれば正義が実現されるとし、友愛を正義よりも重視していました。2009年に首相となった民主党(現・民進党)の鳩山由紀夫[1947- ]が「友愛」を掲げて政権を旗揚げしたことを覚えておられるでしょうか。これはフリーメーソンの流れをくむ友愛思想だったのですが、学者出身らしく普遍「理念」を掲げた首相として期待されたものの、国民の支持を集めることができませんでした。

【正義とは何か】
今度はアリストテレスの正義論に触れておきましょう。アリストテレスもプラトン同様、最後は正義が実現した「理想国家」を構想したのです。「正義」「正しさ」とは何か…なかなか一様に定義することは難しく、かといってソフィストのように、相対的に様々な正義がある…と済ましてしまうわけにもいかないものでしょう。まさに哲学的なテーマです。例えば日本語の「正」は、もともと「一」(城を意味する□が変化した)を「止める」という成り立ちの漢字です。つまり、軍事的に強力なものが正しい、というニュアンスが含まれています。「正」にぎょう行にんべん人偏(彳)を付ければ「征」という字になるわけです。現代でも正義論はジョン・ロールズ[1921-2002]やマイケル・サンデル[1953- ]など、政治哲学の分野で現代的かつホットな話題となっています。

ではアリストテレスの考えた「正義」を見ていきましょう。アリストテレスは社会において公平を実現させる狭義の正義を「部分的正義」と呼びました。「部分的正義」は、「配分的正義」と「調整的(矯正的)正義」に分けられます。「配分的正義」とは、個人差・能力差を重視して名誉や財貨を配分することです。例えば日本の所得税における累進課税があります。商業スポーツにおける1億円プレイヤーは半分近く(45%)の所得税を取られてしまう一方で、所得の少ない人の中には5%しか取られない人もいるわけです。しかしこうした所得の再配分は、皆が納得する正義の原理になっているわけです。一方、「調整的(矯正的)正義」は、個人差・能力差を無視して一律に利害調整をすることです。例えば一律に基本給20万円を支払ったり、損害賠償を支払ったり、18歳になると全ての国民に選挙権を与えたりする…これも、誰しもが納得する正義の原理です。しかし、これらが法律として明記されていたとしても、守らない人がいたら正義は実現しません。すべての市民がポリスの法を守ること…これが広義の正義である「全体的正義」です。ソクラテスが不当な死刑判決を受けながらも、それに従って毒杯を煽ったのは、この「全体的正義」を実現させるためだったといえるでしょう。自分が守らなければ、他の人々も法を尊重することをやめてしまうかもしれないのです。ギリシア神話の正義の女神はテミスです。テミスは右手に公平を意味する「秤」をもち、左手には裁きを意味する「剣」をもっています。「秤」は公平原理である「部分的正義」、「剣」は法を守らない者を裁くことで実現する「全体的正義」とみなすこともできるでしょう。

プラトンが「哲人政治」を理想としたことは既に触れました。では、現実主義者アリストテレスが考える善き政治制度とは、どのようなものだったのでしょうか。アリストテレスは、ポリスの政治形態を3つに分けました。「君主政治(王政)」は1人の王がポリスを守る制度です。市民が観想的生活に没頭できる最高の政体である一方で、堕落すれば「独裁政治(僭主政治)」に陥る危険性があります。「僭主」とは実力により君主の座を奪い取る「タイラント[tyrant]」(恐竜ティラノサウルスの「ティラノ」です)のことです。次に少数の貴族が支配する「貴族政治」はどうでしょう。これも堕落すれば、少数独裁である「寡頭政治」に陥る危険性があります。となると、一番安定性が高いのは「共和政治」です。「共和政治」は、ポリスの市民が参加する政治制度です。とはいえ市民が観想的生活に没頭できる余裕はありません。現代の民主主義社会においても、日々の雑事に追われて、閑暇(スコレー)があるモラトリアムの学生くらいしか観想的生活を営むことはできません。しかも、市民の教養と資産がなければ衆愚政治(愚か者の多数決)に陥る危険性をもっています。実際、ポリス・アテネにおける民主政はペロポネソス戦争の後、衆愚政治に堕していったのでした。それでも「共和政治」が一番安定的だと考えたのが、理想主義に留まらない、現実主義者アリストテレスだったのです。

それでは最後にもう1曲、私いしうらまさゆきの4枚目のアルバムのタイトル曲で「作りかけのうた」。

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EDテーマ いしうらまさゆき「作りかけのうた(2015年4枚目のアルバム『作りかけのうた』より)

【エンディング】
ではそろそろおしまいのお時間となりました。本日の記事は明月堂書店ホームページ、そしてnoteというサービスを使ってアップロードしていますので、そちらも是非ご覧になってください。日常使わない哲学用語も多いですので、テキストで確認していただくのが良いかもわかりません。極北ラジオですが、近畿大学で教鞭をとられており、主著の『近代化のねじれと日本社会』の増補新版が批評社から刊行されている、社会学者竹村洋介さんの「夜をぶっとばせ!」もぜひチェックしていただければと思います。まだの方はアーカイブでも聞けますので、明月堂書店のHPならびに極北ラジオのHPをチェックしてみてください。

最後に新刊のお知らせです。金沢大学教授・哲学者の仲正昌樹さんの「FOOL on the SNS—センセイハ憂鬱デアル」、絶賛発売中です。ちなみに仲正昌樹さんはこまばアゴラで3月に役者デビューを果たすことも決まっています。明月堂書店の看板犬、ラッキーと一緒にあごうさとしさん演出の『Pure Nation』に出演されるそうです。こちらも楽しみです。ちなみに『続FOOL on the SNS』も今年刊行予定となっております。「SNS言論空間の吹き溜まりを徘徊する〝末人論客〟に情け無用の真剣勝負!」を繰り広げる「FOOL on the SNS—センセイハ憂鬱デアル」、詳細は明月堂書店ホームページをごらんください。以上、明月堂書店の提供でお送りいたしました!また次回お会いしましょう!


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markfolky

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